さて、今月最後はJで始まるメーカー。ジャガー、ジェンセン、ジープ、ジョーダン等々、有名どころオモシロどころ多彩である。でも選んだのは、結局メーカーとしてはものにならなかったジォットである。
ジォットは紛れもない日本のスーパーカーメーカーである。まあ、もし生産していればの話だが。構想は童夢の林みのる社長と、服飾メーカーワコールの当時の社長だった塚本能交氏、それに同じく当時STI(スバル・テクニカ・インターナショナル)の代表だった高岡祥郎氏の3人で行われ、1989年にはスバルのフラット12エンジンを搭載したキャスピタと名付けられたクルマのプロトタイプ1号車が完成した。果たしてそれがシェイクダウンテストであったのか、あるいは別な意図だったのかは不明だが、このクルマを走行するシーンの写真が何故か我が家にある。
●当時ドライバーを務めたのは今は亡き、松本恵二氏
この時は、キャスピタ以前に童夢が作った童夢・零もやってきていたから、何か別な意図で走らせたものと思われる。キャスピタは2台が作られたようだ。写真にあるのは1号車で、前述の通りF1用として、スバルとモトーリモデルニが共同開発したフラット12エンジンを搭載しているが、このエンジンは1990年のF1シーズンで一度も予選通過せずに、スバルとモトーリモデルニが提携を解消。そしてスバルがこのジォットのプロジェクトからも撤退することで、キャスピタは搭載するエンジンを失ってしまった。
流麗なスタイリングはGMやオペルなどで活躍し今はアメリカ、デトロイトにあるCCSというデザイン学校の教授を務める伊藤邦久氏。エクステリアのみならず、インテリアのデザインも伊藤氏が手掛けた。
独特な形状のヘッドライトや、ユニークな昇降式のサイドミラーなど、随所に面白いデザインが展開されていた。
シャシーは童夢が開発したということだと思うが、このサスペンションの形状を見ても、まさにそれがクーペボディを持ったF1と言っても過言ではないデザインを持つことがわかる。そして、単なる絵空事ではなく、本気で販売を目論んでいた証拠が↓
ご覧の様にかなり立派なカタログが作られていた。これも何故か我が家にある。まあ、バブルがはじけた世の中では売り出したところで、成功は望めなかったことだろう。