自動車の免許を取ったのは1970年。18歳になってすぐにとった。自慢は当時の最短時間数25時間で取れたこと。しかし、それを遡る2年前、つまり16歳の時に自動車の免許を取れる可能性があった。
それは軽免許と言って、軽自動車に限って乗れる免許が1968年まで存在していたことによる。軽免許は1968年9月に廃止された。私は8月12日生まれだから、ギリギリその軽免許を受けるチャンスがあったのだ。とはいえ、一度も自動車に乗ったことがないような人がいきなり鮫洲の試験場に乗り込んで受かるほどたやすいものではないことは誰でもわかる。かといって、自動車学校に行ってのんびり練習をするには時間がなさすぎる。
●マツダR&DのB360の説明書き。職業柄、突っ込みを入れたくなる文言や間違いがある。
そこで、友人の家にあった軽自動車で、無免許運転で練習をすることにした。当時だって無免許は立派な違反だが、そうせざるを得ない切羽詰まった事情があったわけだ(まあ時効ということで)。その友達の家にあった軽自動車がマツダB360である。農家の家だったから、農機具や農作物を運ぶために持っていたのだと思う。だからピックアップトラックである。因みに鮫洲の軽免許試験車はマツダ・キャロル。同じマツダだからこれ幸いと思ったわけだ。
●これがB360のピックアップトラック。展示してあるこれは何と模型。実によくできている。
しかしこれがとんでもない落とし穴になることはその時想像もできなかった。
●実に愛嬌のある顔つきで、今見ても懐かしい。
●これは実車のB360ライトバン。角型ランプは確か後期モデルだ。
クラッチの繋ぎもうまくなり、エンストの心配は全くなし。狭い路地で練習していたから車庫入れだってなんのそのというわけで、意気揚々と鮫洲の試験場に向かったのは8月のお盆明けだった。
自分の順番になると、試験官に一礼してキャロルに乗り込む。一応ギアの位置は確認したが、なんとそれはB360とは異なっていた。B360はHパターンの左上、即ち1速の左側にリバースがあるのだが、キャロルはHパターンの右下。つまり4速の隣にリバースがあった。まあ場所は違うが問題ないと思って颯爽とスタート。
●正直言えば見るのはつらいマツダ・キャロル
極めて順調に車庫入れのところまできて、さて件のリバースにギアを突っ込む(そのつもりだった)。ところが意に反してクルマは前進して即エンスト。この辺りで頭にカーっと血が上った。再度挑戦。しっかりとHパターンの外側にシフトレバーを持って行ってRのはずの位置に入れて再びクラッチを繋ぐ。しかし無情にも車は再び前進してエンスト。試験官の冷たい「はいそこまで」という言葉が無情にも一発合格の夢を奪った。
●このデザインも後期型キャロルである。前期型とは顔つきが違う。
日を空けて再挑戦で鮫洲に向かうもやはり問題の車庫入れで敢え無く試験中止。こうして軽免許取得の夢が経たれたのである。
理由は実に簡単だった。キャロルのリバースはシフトレバーをいったん床方向に押して、それで入れるようになっていたのだ。当時、16歳の頭にシフトレバーを床方向に押すという概念は全くなかったから、いくら同じことをしてもギアは4速に入る。だから、当然ながらエンストする。これを繰り返していたわけである。
●見事なほど斬新だったクリフカットデザイン。そしてリアエンジン。さらにアルミシリンダーにクロスフロー燃焼室など、このクルマは革新性に溢れていた。また乗ってみたい車の最右翼。今度こそリバースに入れてやる。
もっとも免許をとってもクルマが買えたわけではなかったから、9月に入って傷心のまま再度鮫洲を訪れ、2輪免許を取得した。こちらも言うまでもなく無免許での練習。当時二子玉川に使っていなかった読売新聞の飛行場跡地(今の小山ドライビングスクールのあるところ)がバイク天国。大勢のバイカーがここで走り回っていた。だからバイクに乗ることなど既にお手の物だったというわけだ。
鮫洲のバイク試験はカワサキ製120ccのバイク(だったと思う)。ロータリーの4速ギアを持つモデルで、C2SSだったように思うが今見るとどうも違いそう。でも、こちらは軽免許と違って一発合格であった。その後18歳で晴れて自動車の免許を取るまでの2年間はバイクに夢中になった。
横浜の子安にあるマツダR&Dに展示してあったB360を見て、昔の苦い思い出が蘇ったというわけである。余談ながら当時は小型2輪免許を取れば、合法的にバイクなら何でも乗れた。だから400cc以上の限定解除免許など必要ないのであ
●後期型キャロルの室内。ラジオの横にシフトの位置が書かれているが、これは試験をした当時のものとは異なり、Hパターンの右上にリバースがあるようだ。初期型のと違うのか、あるいは私の記憶違いか⁇