昔話を今に。ドイツ留学時代その1 | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

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1976年から78年までおよそ2年半、ドイツに住んでいた。当時は東西に分割されていたから私がいたのは西ドイツの方。つまり西側である、まだ直行便など存在しない時代で、フランクフルトまでは東京からまずアラスカのアンカレッジに飛び、そこで給油1時間ほどの待ち時間の後、そこからフランクフルトまで一気に飛ぶ。合計飛行時間はトランジットも含めて確か17時間ほどあったように記憶する。

ドイツに住んだのは、大学を卒業してすぐに就職してもろくな仕事に就けず、それだったら少し世界を見てこいという親の有難いお言葉に乗ったというのが理由である。そしてドイツを選んだのはやはり自動車に関して勉強するならこの国だろう…ということと、大学時代の同期がやはりアメリカ留学を決めていて、どうせ行くならアメリカを外そうという単純というか大したことのない動機であった。本来はシュトゥットガルト大学の工学部に聴講入学するつもりであったが、生憎その制度がなかったこと(現地に行って分かった)と、そもそも言葉もできないので、とりあえずゲーテインスティテュートというドイツ語の語学学校に2か月世話になった後向かったのはミュンヘンだった。ミュンヘンにした動機も大したものではなく、ミュンヘン大学に外国人のための語学コースがあったから…である。

〇オリンピアツェントラムといういわゆるオリンピック公園にそびえるタワー。展望台に上ることができる。

 

初めて降り立ったフランクフルトからいきなりシュトゥットガルトに向かい右も左もわからず取ったホテルがいわゆる★五つのバカ高いホテルで、その日の夜に手持ちのお金を計算したら、あっという間になくなるとわかり、その翌日から安い学生達が泊まるユースホステルに移動と相成り、そこでだいぶ勉強したので、ミュンヘンでの部屋探しはだいぶ手馴れていた。そして決めたのはかつて1972年に開催されたミュンヘンオリンピックのために作られた選手村のアパートである。小さな部屋だが、家具はすべて整っていて、暖房なども完備だから何一つ不自由なくその日から生活ができた。
この選手村は、BMWの本社と工場に隣接している。道一つ挟んだ反対側がBMWである。というわけで当然ながら散歩コースがBMWとなった。当時この本社工場ではデビューしたての3シリーズと、まだ現役を退いていなかった02シリーズが混流されていて、工場見学ではその珍しいシーンをこの目で見ている。残念ながら写真はない。

〇タワーの展望台からBMW本社とお椀型をしたBMWのミュージアムを望む。屋根がこんな風になっていたのは、展望台に上って初めて知った。

 

工場の北の端には当時これまた出来たばかりのMの工場があった。両開きの木の扉で囲われたなんとも古めかしいところだった。そしてここから産声を上げたのがM1である。時々けたたましい音を立てて中で凄い車が作られているであろうことは想像できたが、如何せん中に入ることはできない。たまたまここに散歩で行った時に、突然木の扉が開き、中から異様に低い車が姿を現した。勿論フロントのキドニーグリルは目隠しされていたが、後からそれがM1であることを知ることになった。ただし、その時聞いたエンジン音は絶対に直6の音ではない。個人的にはV8だと確信していたのだが、開発段階でV8を積んだなんて言う話はどこにも出てこないのだが、今でも自分の耳を信じて疑わない。あれはV8だった。

〇当時のBMW博物館内部。


〇M1プロトタイプの写真もないがこいつはある。

〇328ミレミリア。BMWが唯一ミレミリアで優勝したマシンである。

〇これは量産型のM1