昔話を今に:フェラーリ365GTC-4 | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

モータージャーナリスト中村コージンが、日々乗ったクルマ、出会った人、趣味の世界を披露します。

スーパーカーを専門に扱う会社でバイトを始めて1年余り。あまり大きな声では言えないが、何が楽しみだったと言って、まずはそのスーパーカーに乗れるということ。次に営業マンと共に夜な夜な新宿・青山・六本木界隈を超の付くスーパーカーで徘徊することだった。この会社で初めて完全な新車として入庫したフェラーリが365GTC-4だった。それ以前、フェラーリは365GT2+2が唯一の12気筒フェラーリ。芝浦にあった工場に行くと気になる250GTカリフォルニアスパイダー(ロングホイールベース)はあったものの、それは長期不動車で、それ以外となると単発では乗れても会社の在庫という存在ではなかったため、滅多なことではそうやたらとフェラーリに乗るチャンスはなかった。しかしながら、そう書くこと自体人が聞いたら実にうらやましい環境である。何せ、日常的にフェラーリの12気筒を乗りまわせる環境だったのだから…。

 

さて、そのGTC-4、新車ということもあるが少なくとも僕らが知っているフェラーリとは完全に一線を画していた。当時はGTB-4ディトナの陰に隠れ、安物感漂うモデルでしかなかったが、そのサウンドは僕としては最良のフェラーリと、当時は思えた。理由は他のフェラーリがすべてダウンドラフトキャブレターの12気筒エンジンを持っていたのに対し、このクルマは何故かサイドドラフトだったからである。だから、エンジン高も低く、スタイルが良かった。そのサウンドは低く押し殺したようなもので、メーターの針と共に踊るようなダウンドラフト系の12気筒サウンドとは全く異質で、当時はこちらの方がスポーツカー的だったと思った。

 

 

 リアにシートは存在したが人が乗れるようなスペースではなく、もっぱらの持つを置くスペースとして活用するものと理解した。もっともここに乗って青山に繰り出したことがあるが、とにかく狭く、横向きにしか乗れなかったことを覚えている。
 さすがに新車だったから、お値段も当時在庫していた365GT2+2の倍近い1000万円だった。このクルマは売却される前に名古屋のレーシングカーショーにも展示した。その際トランポに載せたのは当時の営業マン。しかし、ランプの幅が狭くタイヤをそのランプにこすってしまう。よせばいいのに下側ではなく上側に載せたのだが、上がりきる直前、恐らく最後のパワーを出すために半クラッチを最大限に活用したのだろうが、その瞬間クルマの下から猛然とと煙をはいて微動だにしなくなった。勿論エンジンはかかっているのだが、一瞬にしてクラッチを失ったらしい。そのことがあってから、シングルプレートのクラッチはほぼ半クラッチが使えないということを学び、信号からの発進でもアイドリングスピードでクラッチを繋ぎ、そこから加速するようにした。後年、自らポルシェに乗るようになった時、その経験が生きてポルシェでもクラッチを傷めない乗り方が出来た。
 ビックリしたのはそのインテリアのモダンさだった。ディトナも含め、当時のフェラーリは伝統的にヴェリアのメーターを装備していたが、その針はあくまでも細く尖っていた。ところがGTC-4のそれは太い。しかもスラントしたセンターコンソールの上に4連メーターが鎮座する。とりわけメーターナセルのデザインはその後に誕生する365BBと全く同じデザインだったのだから、モダンなはずである。

 


〇残念ながらインテリアの写真は当時ほとんど撮らなかった。撮っときゃよかった

 

 このクルマは大阪から初めてディノを買って行ったお客さんのもとに嫁いだ。しかし、残念なことに購入後半年で大クラッシュし、前後を潰してほとんどスクラップ同然の姿になってしまった。その後、大改修を施したという話を聞いたが消息は知らない。そしてこれも後に知った話だが、このサイドドラフトのレイアウトは問題があって、何とキャブレターはエクゾーストパイプの真上に存在する。だから、万一ガソリン漏れを起こすと消失の危険が非常に高いのだそうだ。サイドドラフトの12気筒がこれ1台こっきりに終わったのはそんな理由もあるのかもしれない。多くの人が好まなかったラバーで周囲を覆ったグリルデザインも、個人的にはスマートに見えたもの。初の新車の12気筒フェラーリということもあって、思い出は尽きない。
このスーパーカー輸入会社は大学卒業とともに辞した。就職したからではなく、そのまま当時の西ドイツへ留学したからだ。渡独から半年以上クルマ無しの生活だったが、ミュンヘンに引っ越してから偶然に知人からクルマを譲ってもらい、活動の幅が(要するに出歩く場所が)大きく広がった。それとともにすぐに次に手を出したくなるのが悪い癖。買えもしないのにクルマ漁りをした。ミュンヘンは大学の街で、その大学の近くに大きな路上駐車のスペースがあった。レオポルド通りという南北に連なるミュンヘンの目抜き通りに面し、常に数十台が止まっている。中にはかなりマニアックなものがあって良く通った。もっともここでクルマを買ったことはない。大学生がひと夏を楽しんですぐにそのまま売り出すケースが多いから、キャンピングカーなんかもあった。

〇このノーズが当時の還8の等々力陸橋手前に突き出ていたのだ。しかも柵もなく。フェラーリがいっぱい並んでいたのだから、クルマ好きにはたまらなかった。その分、エンブレムなどの盗難も多く、後年黒い柵を作ったと記憶している。