昔話を今に。ディーノ246GT | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

モータージャーナリスト中村コージンが、日々乗ったクルマ、出会った人、趣味の世界を披露します。

時代を遡ると、スーパーカーと呼ばれる類の高性能車が日本の市場に姿を現し始めたのは、1972年のことだと断言できる。勿論それ以前にもあった、だが大抵の場合は個人輸入かそれに近い形で1台か2台入ったもので、ある程度の量がまとまって導入が始まったのはこの年だ。理由は並行輸入の制度が解禁になったから。今の東京環状8号線周辺には、そうした高性能車を展示するショールームが増えていった。勿論元祖は横浜にあったSモータースであるが。
 ディーノ246GTを初めて見たのもこの頃。僕がバイトをしていた会社でも4台のディーノが入荷した。このうち3台はドイツから。残りの1台はどこか他の会社が入れたモデルが回ってきたものだった。並行輸入が解禁となった72年に立ち上げられた会社は、創業当初閑古鳥が鳴いていたそうだが、何故か僕が入った頃から突如として売れ始めるようになった。そして最初に売れたのがディーノ246GTだったのである。当時365GT2+2の価格が550万円であったのに対し、450万円ほど(どちらもちょい乗り中古)で、ややお手軽だったことにあったと思う。それに何と言っても格好良かった。

このディノがカーグラの表紙を飾り、小林編集長のドライブでインプレに使われたクルマである。

 

当時新車のディノなど、滅多にお目にかかれるものではなく、記憶が正しければ、新車としてこの当時日本に導入されたディノは恐らく3台である。1台は名古屋の中部八州自動車、もう1台は八王子にあったカネショウ自動車、そして僕の会社の3台で、いずれもGTSだった。
 とにかく低くスタイリッシュであった。フェラーリは当時トップモデルがディトナであったが、フロントエンジンのため、ディーノのような低く流麗なデザインというわけではなかったし、そもそも日本ではとにかくミッドシップが珍しかった時代。勿論、ロータスヨーロッパやポルシェ914といったモデルは既に存在していたが、どちらもディノから見ればそのスタイルは魅力的とは映らなかったはずである。
 この当時、自動車雑誌と言えばモーターマガジン、モーターファンを筆頭にまだ数えるほどしか存在していなかった時代。とりわけ輸入車を記事として多く取り上げていたのはカーグラフィック誌だったが、案の定僕の会社にあったディーノの試乗依頼が来た。検討の結果、宣伝になるということと、当時カーグラフィックには広告を出していた関係もあって、お貸しすることにした。クルマを取りに来たのは誰あろう、御大の小林彰太郎氏であった。冒頭に4台のディーノが入庫した話は書いたが、カーグラに貸したのは白いモデル。後にこのクルマは丸井や伊勢丹の宣伝に貸し出すいわゆる広告塔になった。こうして73年9月号のカーグラフィックでディーノが誌面を飾る。ほぼ同時期に岡崎宏氏の執筆でカートップにも貸したと記憶しているから、どちらが先だったかは不明だが、いずれにしてもこの種のクルマが日本の路上で撮影されるようになった最初の頃だと思う。

写真ではわかりづらいがメタリックの淡いグリーンだった。これは新車。しかしすぐに売れて試乗はしていない。

 

この白いディーノ、実は出戻りのクルマで、正直言って状態は良くなかった。カーグラのテストでもファンベルトが切れるハプニングに見舞われた。でも、評価は非常に高かったと記憶するが、4台あったディーノの中でも美しいブルーメタリックのボディを持った新車のGTSはやはり別格だった。幸いなことに4台のうち3台は乗った。白、赤、そしてブルーメタリックのGTSである。新車のディーノに乗ったジャーナリストは、日本では恐らく限りなく少ないと思う。そもそも海外に行かない限り乗りチャンスはなかったのだから…。あまり調子のよくない、というか中古になると当時のディーノは決まって全開からアクセルを戻すと、ひどいアフターバーンに見舞われたものである。ところが、新車ときたら、アクセルを戻すと高周波のキーンという得も言われぬサウンドを発する。実はそれが聞きたくて、必要もないのにアクセルを戻して、サウンドを楽しんだ。ハンドリングの良さは申し分なし。東名高速の厚木ランプのループを当時100km/h近くで平然と回って行った。国産車ではあり得ない芸当で絶対的な瞬発力こそ、同時期に誕生したポルシェカレラRSにはかなわなかったが、その美貌とサウンド、それにコーナリング性能では絶対的に勝ったいたように思う。

 

僕がしょっちゅう乗り回していたディノ。後にフェラーリの第1人者切替徹氏が記念すべきフェラーリ1号車として購入したモデル

ディノ2台とモントリオール2台。いずれもほぼ新車であった。