今日は少しジャーナリストらしくアカデミックなお話を。
トヨタがFCV、即ち燃料電池車を今年度中に発売するというアナウンスをした。そのお値段、700万円程度というから非常に安くなった。しかもこれはまだ補助金の額が決定されていないもので、実際にユーザーが買うとなると、これよりさらに安くなると考えてよい。
実は燃料電池についてはその昔かなり真剣に追いかけたことがある。というのも、1998年に世界中の自動車メーカーの合従連衡が起こったことがあるが、例えばボルボ、当時フォード傘下入りを表明したのだが、最大の理由は燃料電池開発が単独では不可能とみて、アライアンスに入ったのである。それほど当時は燃料電池の未来が明るいもので、すぐにでもできるのではないかと思われていた節がある。
また、産学共同の開発が立ち上がり、アメリカではカリフォルニアでフュエルセル・パートナーシップというプロジェクトが立ち上がり、政治を巻き込んでの大きなプロジェクトとしてスタートした。このスタートが1999年。すでに燃料電池車を完成させていた当時のダイムラークライスラーとフォードがこのプロジェクトに参画。当時カリフォルニア州知事だったグレイ・デービスが高らかにプロジェクトの発足を宣言したのである。↓は当時のカリフォルニア州知事、グレイ・デービスが宣言をするまさにその時の写真だ。
僕はフォードに頼み込んで、このイベントを取材した。デトロイトからフォードのプライベートジェットで当時の役員や開発者と共に、カリフォルニア州サクラメントまで飛んだ。その途中、この燃料電池が普及に関していかに難しいかをとくとくと講義されたのである。曰く、とにかく大量に触媒としてプラチナを使うこと。そのプラチナの地球上における保有量はとても全世界に燃料電池車を普及させるに足る量ではないこと。さらにはインフラの問題からどのようにして燃料を搭載するか等々、問題は山積みだった。ただ、クルマに搭載するに十分なサイズまでダウンサイズすることはすでにできていた。初期の燃料電池車はまさに移動する化学プラントというもので、それを積んだら乗れるのはドライバーだけ、的なものだったのだから、驚異的進化である。
カリフォルニア・フュエルセル・パートナーシップに登場したクルマは、メルセデスのNECARと呼ばれる当時のAクラスをベースにした燃料電池車と、フォードは当時のコントゥアーという名(ヨーロッパ名はモンデオだ)のミッドサイズセダンをベースとしたモデル。どちらも試乗したがまあ、普通の電気自動車と何ら変わらない走りを披露してくれた。
この2台の違いは水素の貯蔵方法にある。フォードの場合は圧縮した水素をタンクに貯蔵するシステムを持っていた。一方のメルセデスは確か液体メタノールを燃焼させて、そこから水素を作り出すという方法を採っていたと記憶する。そもそもAクラスは電気自動車に対応するよう、2重のフロアを持っていて、そこにバッテリーを積む計画だった。それがうまい具合にここに燃料電池のモジュールやタンクを搭載できるというわけで、まさに瓢箪から駒の状況だった。だから、燃料タンクを見ることはできなかった。
一方のフォードの水素タンクはこちら。↓
トランクスペースに鎮座していたが、やはりスペースは採ってしまう。しかもここだとクラッシュした際にどうなのか少々心配だった。新しいトヨタのFCVもこの圧縮搭載方式を持っているようで、ようやく実用化の目処が立ったかと思うと感慨深いものがある。当時メルセデスは2004年にも実用化できるような話をしていたが、ほぼ10年遅れとなった。
ただ、当時実用化されていなかったかというと、一部ではすでに実用化されていたのだ。それがこちら↓
これはシカゴの市営バス。当時数台の燃料電池バスを走らせていて、これもその1台。勿論乗せてもらったし、路線バスの場合は走行距離がわかっているので、水素ステーションをバスの操車場に作れば何ら問題はない。そして燃料電池の良さは排出されるのがお水だけ。このバスの場合はご覧のように水蒸気をもうもうとあげていた。↓
是非水素ステーションを見せて欲しいと頼んだら、いいけどオウンリスクで行ってくれと言われた。その理由は、当時この操車場があった地域はシカゴ市内でも最も治安の悪いところで、しかも徒歩もしくはタクシーでしか行けない。カメラなど抱えていたら非常に危険だと、シカゴ市交通局のこのおっさんに脅かされて断念した経緯がある。↓
その後、燃料電池は鳴りを潜め、15年たってようやく実用化されることになった。当時一生懸命やっていた他のメーカーは果たして今どうしているのか。当然やっているはずだがその進捗状況を知りたいものだ。そして燃料電池のために合併したボルボなどはフォードとたもとを別ち、中国メーカーの傘下にいる。燃料電池の時代が来ると、一体どうなってしまうのか、少々心配でもある。








