切れ長で細目の人が多かった江戸時代の美人
陸軍軍人”乃木大将”こと乃木希典
江戸時代なら美人だった眠たそうな目もと
現代の美人とされるパッチリした目もと
現代の美女といえばパッチリした目
といわれますが
江戸時代の美人は切れ長で細目の人だったんですって![]()
現代において“美人”とされる目の大きな女性は
昔も多く存在し魅力的とされていたとは思いますが
日本では古くから控えめな女性を良しとする文化があり
大声で笑ったり目をむいて怒ることは下品とされたそうです。
美人画の女性に細目やおちょぼ口が目立つのは
文化的な意味での理想像だったからなんだそうです。
”目の大きい女性=美しい”と言われ始めたのは
日本人の美人像の転換期として西洋文化が流入した
明治時代だといわれているそうです。
化粧はその一つで目を強調するメイクが伝わり
そうした海外の価値観が入ることで抑制されていた
目の大きさに対する意識が変化・解放されたようです。
例えば明治時代に行われたミスコンテストで1位
になった
“末広ヒロ子”さんが目鼻立ちのしっかりした
現代的な美人像に近いことからも変化が見てとれます。
この末広ヒロ子さんは日本一の美人に選ばれた
にもかかわらず彼女に不幸が訪れちゃうんです。![]()
彼女は当時女子学習院中等科に在籍していて
学習院院長であったのがナント!
陸軍軍人”乃木大将”こと乃木希典だったんですって!![]()
乃木院長は末広ヒロ子さんの話題に恫喝して
末広ヒロ子さんに退学を命じたのです。
そんな乃木院長ですが末広ヒロ子さんの前途を心配し
ヒロ子さんに結婚相手を探してあげたそうなんです。
そのお相手はナント侯爵家・野津家の野津道貫の息子で
末広ヒロ子さんは乃木院長の計らいによって
侯爵夫人という幸せを掴んだとのことです。
軍紀に厳しかった乃木大将も粋な方だったんですねっ!![]()
武官としての作戦の責任と多くの犠牲を深く恥じ
明治天皇の大喪の日に妻と共に自決した乃木希典。
死をもって国民に謝罪した その男気に敬礼('-^*)/
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