私はプレゼントをするのも、されるのもあまり得意ではない。
けれど、世の中には何かを贈る習慣が多いので、まぁまぁ困っている。
そこで、何故プレゼントなどしなければいけないのか?
少しだけ考えてみた・・・。
まず、プレゼントとは、そもそも言葉の意味としては、贈り物であったり
贈り物をすることを表している。
だから、「プレゼントを贈る」なんて言葉はかなりファジーに捉えた
方がいいと思う(私的見解)
そして贈ると一言でいっても、意味はひとつではない。この辺が日本語の
難しいところだね。
基本の意味としては、「他の存在に気持ちを込めて、金品等を与える」事を
指している。
文字にしただけで何とも恐ろしい行為だ(私的見解)
まず他の存在に気持ちを正確に伝えるのは、言語を駆使し、全身の表現力を
存分に使用したとしても、非常に困難な作業(というよりほぼ不可能)であるとい
うのに、それを金品に込めるなど・・・、全人類が呪い師か何かになった時代が
あってその時にできた言葉としか思えない!(やや興奮)
ただ、それでも「100歩ほど、どうぞお先にお進みください」と、世界一の美男美女
軍団に促されて、「そ・・それじゃぁ」とハニカミながら譲って、気持ちが込められる
としよう。
ところが、そのあとに続くのは、なんと「金品を与える」だ。
おぃおぃ、「与える」とは何ともエラそうじゃないか?えぇ??(しゃくれ)
「プレゼント」という言葉自体は、とても善良な言葉のカテゴリに分類され
ていて、なんとなくだけど清らかなことじゃないの?(そうでもない?)
それを、「金品を与える」だなんて・・・。
何だろう・・・普通に友人の家に遊びに行ったら、2DKの部屋の1室に
300㎝黒檀の机が置いてあり、その上に置いてある見たこともないおば様が
ほほ笑む、金縁の写真立てに向かって、「じゃあ、とりあえず祈ろっか」なんて
有無を言わさぬ視線で言われたような激しい衝撃を感じるよ。(実話)
まぁ、元来人間とはこのように矛盾を常に孕んで生きる珍しい生き物だから
別にいいんだけど・・・(アメーバ目線)
えぇっと、何の話してたんだっけ?
そうそう、プレゼントって何故しなきゃいけないかね。(忘れっぽい)
結論だけ言ってしまえば、最初に言った通り、どんなに言葉を尽くしても全身で
表現しても、他人に気持ちなんて正確には伝わらない。
そういう、「絶対的な壁」に対して、人々はいくつもの手段を講じて挑んできたわけ。(キャラ変)
そのうちの一つが「プレゼント」なわけで、人々が伝えたい気持ちの数だけ、プレゼント
をする習慣が生まれたと思う(私的見解)
それは、言葉では伝え難い気持ちほど、たくさんのプレゼント習慣を生み出しているようだ。
そんなわけで、気持ちを伝える事において言葉より優秀なツールは存在しえない(現時点)
と考えている私としては、贈る必要性を感じないため、得意ではないのですね(納得
いやぁ、こうして書いてみると、性格が悪い感じがするねw(なんでだろうねぇ~♪)
え?貰うのが苦手な理由は何って?
そりゃ、もらったらさ~、贈り返さなきゃいけないじゃ~ん
人としてね(アメーバ自称中)
だからプレゼントするとき、ちょっと思い出して。
気持ちを込めたものを贈るより、気持ちを込めて語ったほうが
いいんですよっと(ぽっ)