今そこにいる醜いジジイ2
え~、すっかり書くのを忘れておりました。前回の続きです。
で、何の話でしたっけ?
あ、そうそう、ジジイでしたね。
都知事の石原爺なんですが、僕自身全く興味がなくて恐縮なんですがこのジジイの問題発言って「どこそこに、何々がいる」っていう構文パターンで作られてるケースがおおくないっすか?
「九州にうっとうしい三国人がいる」とか「六本木でアフリカから来ていばってるヤツラがいる」とか
そう、ジジイは「存在」という観念に並々ならぬ感心をよしている質の人間なのです。
そして、標的にした人間の行動やら性質やらを一々中傷するでなく「存在」自体を「罪である」として攻撃するんですな。
これが、普段存在という観念に疎い一般人にとっては効果テキメンのようで、多くの人が賛同してしまうんですね。
どういうことかと言うと、普段我々が生活してる上で他者から感じる不快感というのはですね、一部の例外を除いて大概が「今、そこにいるから」おこるものなんですね。
それをよく理解していないから「あの人、あんなことするから嫌い」とか「あの人はああいう性質があるから嫌い」という風に相手の人格やら行動を非難する方向に考えが向いてしまうんですが、本当はそうではない。
そして、なんだかんだで、自分の感情をうまく理解できず、どう不満を解決すればいいかわからずにストレスばかりがたまってしまう、というところに石原爺が上のような発言をすると思わず無条件に共感する、と。
ここが石原という政治家の強みであり、逆に言えば唯一のとりえでもあるわけなんですが、そこから暴君たる性質にいたるまでの経緯はまた気が向いたら書きます。
というわけで今日もこれまで。