武士道 and スコッチ魂
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前回 登場したストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルさんは確かに三島、武士道カルトとも呼ぶべき御仁でしたが やはり外国人なのでしょう 三島文学 あるいは武士道について読みきれていなかった部分があると思います
今回はその部分を検証します
武士の道とは死ぬこととみつけたり
と武士道をの基本書「葉隠」に書かれております
そして実存主義者 ドイツのハイデッカーは
人間は「今、ここに」いて、そこから 避けられない「死」へと向かう
その事を認識することで本来の自己を回復する
と言ってます
そうです 武士道は20世紀の実存主義とよく似ているのです
(ちなみにオアシスのアルバム「Be here now;今 ここにいる」はここからパクりました)
だから現代作家三島は武士道にこだわるのです
しかしフランスの実存主義者J・P・サルトルは
「現代人は形骸化、記号化されている そしてそれ以上の意味を持たない」
と(少し悲観的に)言っています 分かりやすく言うと
「レッテル張り」です
たとえば オタクっぽく見られる人は秋葉原に行ったことがなくても社会からみれば「オタク」です
社会は彼(彼女)をオタクとしか認識しないのでオタクに相応しくない言動は社会が許しません 彼、彼女の人格なんて どうでもいいのです
彼、彼女はオタクという記号になるのです
仮にメガネをかけていて「オタク」と認識されたのなら「メガネ」が彼、彼女のアイコン(象徴;パソコン画面に出てるヤツとイッショ)になります
現代社会は人間をアイコンにより記号化します
三島先生はそんな現代社会がイヤでしたが それに対抗する力をあまり持ってませんでした そして
三島先生は現代を生きるため 実存主義的武士道に傾倒していったのです
しかし 武士道も現代社会では「カタナ」「ハラキリ」などのアイコンでくくられて
記号化されてしまう虞がありました
それだけは避けたかったので三島先生は武士道のアイコン「カタナ」を徹底的に排除
晩年 結成した政治結社も名前は武士道をニオわせない「楯の会」でした
そんな三島先生が「カタナ」に対する武士道のオルタナティブ(代替的) アイコンとして
彼の小説の中に持ち出したものがありました・・・・・・・・・・
フ ン ド シ で す
そう!決して武士道の表面には現れないが
武士道があれば確かに「いま ここに あるもの」
「現代社会には決して相容れないもの」
決して現代社会のアイコンに成りえないが 古きよき日本の、そしてなつかしい庶民の生活の
「に お い を感じさせてくれるもの」
そして
市民階級意識という幻想に踊らされ 欺瞞に満ちた現代の記号化、形骸化した日本の社会に対しては間違いなく
カ タ ナ より フ ン ド シ の方が破壊力があったのです!!!!
三島先生は フ ン ド シ で本来の自己を回復したのです・・・・・・
フ ン ド シ は三島文学の中の日本人にしか理解できない隠されたアイコン・・・
嗚呼・・ 日本に生まれてつくづくよかった・・・・・・
次回 スコッチ魂編に つ づ く