よこはまウォーキングポイント連動企画の三溪園散策も、いよいよ後半戦に突入していきます。
前回は険しい山道を上って松風閣の展望台へ行き、高台からの風景を眺めてきましたが、
今回は三重塔を見た後、高台から下りてきて、大池沿いの茶屋で一息ついて、終盤戦へ・・・って感じ。
まずは三重塔の脇から、大池の方を見降ろしています・・・ ↓
振り返って見上げれば、旧燈明寺三重塔です・・・ ↓
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旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)・・・
三重塔は釈迦や聖者などの骨を納めるための寺院建築です。この三重塔は現在の京都・木津川市の燈明寺から移された室町時代のもので、三溪園の中で最も古い建物です。この塔の存在は、その後に進められた内苑の庭園造成のうえで重要なポイントとなりました。内苑にある建物の多くは、その室内から美しい三重塔の姿が眺められるよう、配置に工夫がみられます。
建築年:室町時代 康正3(1457)年 移築年:大正3(1914)年
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三重塔を見た後は、階段を下りて大池の方へ向かいます・・・ ↓
大池沿いには茶屋が並んでいるので、団子でも食べて一息つきましょう・・・ ↓
大池の向かい側には、今回の散策のスタート地点が見えます・・・ ↓ 池には鯉や鴨、蒼鷺がいます。
そして、こちらはダイサギでしょうか?獲物を物色中です・・・ ↓
また、大池沿いには原三溪翁之碑があります・・・ ↓
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原三溪翁之碑 碑文・・・
三溪原富太郎翁は慶應四年に生れ昭和十四年にみまかられきはやく生糸の輸出に製糸職の経営にまた関東大震災後の横浜の復興に終世苦心し盡力せられし事業は別に後代に伝ふる人あらむ三溪園は翁これを創設して各地より古建築物を移築し内外人の遊覧に公開せらる又自ら風雅に至り深く或は画人を後援し或いはタゴール詩宗をその客たらしめなどせられきここに高節を憶ふ讃歌に曰く山の上の古塔仰ぎゆく池そひ道風やはらかに海よりいたる 佐佐木信綱
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さらに、大池沿いを進むと高浜虚子句碑がありました・・・ ↓
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鴨の嘴 より たらたらと 春の泥 虚子
昭和8(1933)年3月に、俳人の高浜虚子(たかはまきょし)が三溪園で詠んだ句です。
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その後、川に沿って遡って行くと臥竜梅がありました・・・ ↓
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臥竜梅(がりょうばい)・・・
龍が這うような樹形から、この名があります。臥竜梅は、原三溪が支援した画家の下村観山筆の名作「弱法師(よろぼし)」(重要文化財 東京国立博物館所蔵)に描かれた梅の木のモデルになりました。
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そんな臥竜梅の手前には、ちょっと簡素な掘っ立て小屋??? ↓ こちらは初音茶屋でした・・・つづく。
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初音茶屋(はつねじゃや)・・・
かつて三溪園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書きしるされた茶屋。当時はいつでも麦茶がふるまわれたという。芥川は大正4年(1915)の初秋、ここでの印象を
[ ひとはかり うく香煎や 白湯の秋 ] と俳句に残しています。
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三溪園散策〓fab44〓其の五