三溪園散策・・・其の四。(蓮華院・海岸門・松風閣・出世観音) | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

よこはまウォーキングポイントでゲットしたクーポンで入園、スタンプを集めながら散策するこの企画、

其の四にしてようやく折り返し地点にやって来ました。これまでは移築された歴史的建造物なんかを、

見て回るといった感じでしたが、今回は険しい山道を登って、展望台からの景色を眺めています。

 

三溪園の陸側から入って海側へ進んできましたが、高台の展望台から眺める現在の景色は、

埋め立てられて工場地帯となっているものの、その当時はすぐ近くまで海が迫っていたと思われます。

また、西の方には富士山も見えていて、山頂付近に冠雪していることも確認できました。

 

 という事で、今回は蓮華院からスタートです・・・ ↑

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蓮華院(れんげいん)・・・

原三溪自らのプランにより建てられた茶室です。建物の一部には京都・宇治の平等院鳳凰堂の古材が使われ、また一部の天井には蓮の茎が用いられています。               建築年:大正6(1917)年

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 蓮華院の先へ進むと、海岸門がありました・・・ ↓

 

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海岸門(かいがんもん)・・・

海岸門は御門と同じく、京都東山の西方寺から移築された門で、内苑のもうひとつの入り口となっています。近くにある三渓園の南門が、海岸線を埋め立てる前は海に通じる門であったため、海岸門と呼ばれています。

                                      建築年:江戸時代 移築年:大正時代

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    そのまま道なりに進むと南門ですが、左に折れて高台へ向かいます・・・ ↓

    

       途中にはこんな階段もあったりして、ちょっとした登山気分を味わえます・・・ ↓

       

          ようやく視界が開けてきたと思ったら、そこにあったのは松風閣の遺構でした・・・ ↓

          

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松風閣(しょうふうかく)・・・

原家の初代・善三郎が明治20年頃(1800年代末頃)に築いた別荘の建物で、その名称は伊藤博文によるといわれています。断崖に立ち富士山や東京湾の絶景が楽しめる松風閣は、重要な客をもてなす場所として使われ、三溪の代の大正5(1916)年にはインドの詩人ラビンドラナート・タゴールが2か月余りをここで過ごしました。また、三溪が支援した日本画家の一人・下村観山は室内の襖や壁に「四季草花図」を描きましたが、大正12(1923)年の関東大震災により建物とともに失われました。現在の建物は、昭和39(1964)年に建てられた展望台です。

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横浜港の開港期に生糸の貿易で財を成した原善三郎が、別荘として建てたのが松風閣ですが、

関東大震災で倒壊してしまいました・・・ ↓ 善三郎の孫娘と結婚して、原家に入ったのが三溪です。

 現在は、後に建てられた展望台が松風閣となっています・・・ ↓

 

    松風閣からの眺め・・・ ↓ 東側には東京湾、眼下には本牧市民公園のD51も見えています。

    

       西側には工場地帯のタンクが目立っていますが・・・ ↓

       

          その向こうには、鉄塔に挟まれて富士山が見えています・・・ ↓

          

松風閣を離れ、三重塔へ向かう途中には出世観音がありました・・・ ↓ いよいよ後半戦へ・・・つづく。

 

三溪園散策〓fab44〓其の四