よこはまウォーキングポイントでゲットしたクーポンで入園、スタンプを集めながら散策するこの企画、
其の四にしてようやく折り返し地点にやって来ました。これまでは移築された歴史的建造物なんかを、
見て回るといった感じでしたが、今回は険しい山道を登って、展望台からの景色を眺めています。
三溪園の陸側から入って海側へ進んできましたが、高台の展望台から眺める現在の景色は、
埋め立てられて工場地帯となっているものの、その当時はすぐ近くまで海が迫っていたと思われます。
また、西の方には富士山も見えていて、山頂付近に冠雪していることも確認できました。
という事で、今回は蓮華院からスタートです・・・ ↑
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蓮華院(れんげいん)・・・
原三溪自らのプランにより建てられた茶室です。建物の一部には京都・宇治の平等院鳳凰堂の古材が使われ、また一部の天井には蓮の茎が用いられています。 建築年:大正6(1917)年
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蓮華院の先へ進むと、海岸門がありました・・・ ↓
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海岸門(かいがんもん)・・・
海岸門は御門と同じく、京都東山の西方寺から移築された門で、内苑のもうひとつの入り口となっています。近くにある三渓園の南門が、海岸線を埋め立てる前は海に通じる門であったため、海岸門と呼ばれています。
建築年:江戸時代 移築年:大正時代
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そのまま道なりに進むと南門ですが、左に折れて高台へ向かいます・・・ ↓
途中にはこんな階段もあったりして、ちょっとした登山気分を味わえます・・・ ↓
ようやく視界が開けてきたと思ったら、そこにあったのは松風閣の遺構でした・・・ ↓
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松風閣(しょうふうかく)・・・
原家の初代・善三郎が明治20年頃(1800年代末頃)に築いた別荘の建物で、その名称は伊藤博文によるといわれています。断崖に立ち富士山や東京湾の絶景が楽しめる松風閣は、重要な客をもてなす場所として使われ、三溪の代の大正5(1916)年にはインドの詩人ラビンドラナート・タゴールが2か月余りをここで過ごしました。また、三溪が支援した日本画家の一人・下村観山は室内の襖や壁に「四季草花図」を描きましたが、大正12(1923)年の関東大震災により建物とともに失われました。現在の建物は、昭和39(1964)年に建てられた展望台です。
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横浜港の開港期に生糸の貿易で財を成した原善三郎が、別荘として建てたのが松風閣ですが、
関東大震災で倒壊してしまいました・・・ ↓ 善三郎の孫娘と結婚して、原家に入ったのが三溪です。
現在は、後に建てられた展望台が松風閣となっています・・・ ↓
松風閣からの眺め・・・ ↓ 東側には東京湾、眼下には本牧市民公園のD51も見えています。
西側には工場地帯のタンクが目立っていますが・・・ ↓
その向こうには、鉄塔に挟まれて富士山が見えています・・・ ↓
松風閣を離れ、三重塔へ向かう途中には出世観音がありました・・・ ↓ いよいよ後半戦へ・・・つづく。
三溪園散策〓fab44〓其の四










