昨日行われたプレーオフの第2戦のハーフタイムを挟んで現れた意外なまでの潮流の変化が、ずっと頭から離れない。
馬鹿だと笑われるかも知れないが、あれに時代の狭間に現れる、人には関与できない大きな存在のようなものまで感じてしまった。
おかしな話だが、過去にはライターというよりアナリストに近いですねと言われた事もある
それから自分の事は幻想的アナリスト、もっと言えば、妄想的アナリストだと認識する事にした。
話を戻そう。
昨日の潮流の変化を見て、もしかしたら今巷で言われる「歴史が変わる」と言うのは、単に初のチャンピオンが生まれる事や連覇が止まる程度の事では無いのではないかと言うことが頭をよぎった。
プロ野球でも、全盛期の巨人が9連覇を果たし10連覇は叶わなかった。が大きく歴史が変わったかといえば、相変わらず長嶋の時代が続いた。
巨人と言う球団から長嶋と言う個人に焦点が変化しただけのことである。
巨人の10連覇を阻止したチームを覚えていないと言う人は少なくはないが、長嶋を知らないと言う人は圧倒的に少ない。
歴史の狭間であるなら振り返ってみる必要があるのではないか?
過去にどんな潮流の変化が現れていたのだろう。と
私的には、サロンフットボールまで遡るつもりはない。
現在のフットサルにリアルに関係する出来事で言えば、大きく3つの時代の狭間の出来事があったと思っている。
その初期を黎明期とするなら、その狭間はスーパーリーグの設立だと思っている。
今ほど多くない、全国に散らばる僅かである競技系フットサルチームが、強豪同士の対戦を望む時、年に一度の全日本選手権を除いては、様々な場所に移動し、都度大会に参加しなければならない時代であった。
それは山梨であり静岡であり、東京であり大阪と言う具合に。
強豪同士が通年での対戦を繰り返すことの出来る経験を求め、民間主導で立ち上がったスーパーリーグは間違いなく大きな潮目の変化であった。
顔は甲斐修侍その人である。
スーパーリーグの存在はその後大きな役目を果たして終焉を迎える。
私が考える2つ目の潮流の変化となる、地域リーグ及び都道府県リーグの整備である。
通年で行われる大会を求めたスーパーリーグは、協会が重い腰をあげた地域リーグの整備を持ってその役目を終えた。
私は、これは非常に大きなスーパーリーグの功績であったと感じている。
現在、当たり前のようにプレー出来ている都道府県リーグは、その設立を求めて自らの行動によって変化を促して行った、決して古くはない先人達の活動があった事は想像に難くない。
そして3つ目の潮流の変化が、Fリーグの発足とプロクラブの設立である。
未だに唯一のプロクラブである名古屋オーシャンズのプロ一年目は実は先述の、地域リーグに所属してでのスタートであった。
また顔であり、この流れに大きく貢献したのは現名古屋のGMである櫻井氏であり、今では当たり前だが、当時は馬鹿らしいほどの批判も巻き起こした外国人助っ人の登用というのも、BANFF時代の櫻井氏の功績であったと思っている。
私的にはこの3つの流れが、現代の競技フットサルを大きく動かしてきた主軸の出来事であり、ブラジル戦で大敗だとか、カズの代表招集だとか、リカルジーニョの来日などは、枝の出来事でしかないと考えている。
この3つの大きな流れの2つまでもを誘発してきた甲斐修侍も引退を表明し、名古屋の10連覇も途絶えた。地域リーグでは、Fの下部組織が優勝をおさめ、地域とFの融和点がより明確になり始めている。
さて本題に戻そう。
Fリーグのチャンピオンチームは、翌シーズンのホームゲームでチャンピオンフラッグを掲揚することとなる。
現チャンピオンとしてシーズンを誇らしく戦う訳である。
あまり意識して見ないかもしれないが、現在オーシャンアリーナのバックスタンド上には、9つのフラッグが掲揚してある事と思う。
今日の勝利チームは来季、その旗の下で戦う訳である。望むにせよ望まないにせよ、それはチャンピオンとしての重責を背負いながら戦う事を義務付けられる訳だ。
その資格を問われているのかも知れない。
町田の甲斐引退のはなむけも、森岡の下克上の優勝も、これは過去との惜別でしかない。
大阪でも、村上や奥田が引退を表明するも、代表を支え、黎明期には広島、ファイルと職人的なプレーを表現し続けた名プレイヤー村上ですら、来季のチャンピオンフラッグの元で戦う訳ではない。
では、新しい時代を築くチームはどちらなんだろうと考えても一向に答えが出ないのだ。
大阪が得たプレーオフ1位の権利は、リーグでの名古屋最強の歴史を終わらせた。
町田はプレーオフで、名古屋連覇をその手でその足で途絶えさせた。
でも、これはあくまで「名古屋の終わり」でしかないと感じている。
ここからを示す結果でも出来事でもないのではないか?
それが私がなかなか答えを導き出せない理由であり、昨日のハーフタイムを挟んで現れた「やっぱり大阪の時代なんだ」「いや町田の時代が始まるんだ」と感じさせてくれない、神の邪魔とも思える潮流の変化だった訳である。
時代の狭間に現れる壁を越えるものは、過去と対峙するだけではいけない。明確に未来を作る意思を持って突き進むモノにしかその権利は与えられない。
甲斐を筆頭とする、「通年リーグの開催を」望んだ者たちが巻き起こした、スーパーリーグから地域リーグの発足然り、プロリーグもない中で、プロチームを設立しFリーグの開幕、そして連覇を続けて行った名古屋然り。
未来を作り出す事こそが重要な訳であって、過去を打ち消す事はそれに付随するだけでしかない訳なんだと。
甲斐の引退のはなむけに。
リーグ1位の大阪の地力の判断。
森岡薫の10年連続優勝とリベンジ完結。
いろんな事を考えた。
昨日の森岡の開始早々の離脱は、戦略的なものではないのかと、邪推までし始めた自分がいる。
歴史はそんなよこしまな部分的な要素では動かない。
もっと大きな要素があるはずだ。
眠れないほど答えを見つけ出そうと躍起になったが、結局答えが見つからないまま世が明けた。
それでもこの感覚でブログを書いておこう。答えは後回しでいいや。
そんな時、ふと気付いた。
あ、木暮か…
新しい時代に「新しい立ち位置」で挑んでいるモノ
過去との決別ではなく、未来に向けて動き出しているモノ
選ばれたのは木暮なんだと。
黎明初期にウィニングドック、ファイルフォックスとフットサルの先頭を走り、スーパーリーグではファイル不参戦により日の目を見ないながらも地域リーグを盛り上げ、その後スペインに渡り、名古屋の連覇に貢献し、代表でもそのプレーで日本のフットサルを牽引するなど、選手として走り続けた木暮賢一郎が。
新しい時代に向けて、監督と言う新たな立ち位置でスタートを切り、選手としてでない木暮が名古屋のリーグ1位を阻み、今日のプレーオフ決勝に立つ。
優勝は大阪だと思った。
だけど4つ目の潮流の変化の主役は「大阪」でなく、「木暮」が率いる大阪なんだと。
チャンピオンフラッグは誰の上ではためく事を望んでいるのか。
自分の中で、答えは出た気がしている。
結果はどうなろうが、ようやく答え合わせが楽しみになった。
