以前からサッカーでもフットサルでも、「戦術」というものは難解であればあるほど素晴らしい。みたいな幻想がある気がしてます。
そここそが根本的な大きな間違いだと思うんですよね。
フットボールの原点は、要はいかに効率よくボールをゴールまで運んでいくか?といかに相手の攻撃を止める成功率を高めるか?の組み合わせを多人数の共通理解を深めてどう行うかということでしかない訳です。
それがいわゆる「戦術」と「戦術理解度」につながっていく訳です。
そこをしっかり押さえてあれば、決して複雑で難解なボール運びを出来るようにする事が、戦術的に優れていると言うわけではないと言うことは簡単に気づくことが出来るはずです。

一旦頭をフットボールから切り離してみます。
例えば車のレースで考えてみて下さい。
直線もありカーブもあるサーキットでいかに速く周回するか?を考えた時、車の動かし方、つまりコース取りのラインがドライバーによって全く異なってくると言うことはあり得ません。
当然の事ですが、カーブの前では減速しますし、out-in-outで走ったほうが良いと言うのは一般のドライバーでもF1のドライバーでも基本的には同じわけです。
それをいかに速く、正確に、プレッシャーのかかる中で行えるかが、ドライバーに委ねられている技術力という訳です。
ただ、ベストなコース上に相手の車がある状態で、そのラインを淡々とトレースしていれば、途中で抜くことは一切不可能となりますので、敢えて理想的でないコースを攻めるとか、ギリギリを超えたブレーキタイミングにするとかと言う、イレギュラーに対応する技術力も当然ドライバーには求められますが、それはあくまで応用の適応能力と言うだけで、常にイレギュラーなコース取りで走ることを理想としているわけではありません。
ドライバーによって全く異なるラインを考える事を良しとする訳でもなければ、考え出された難解なラインをいかに速く走れるかを競っている訳ではないんです。
理想的なラインがあり、そこを走るために様々なイレギュラーを乗り越える訳です。

それに加え、基本が大切とか、基礎が重要、とも良く言われます。
なのにやろうとしている戦術は複雑すぎて難解だったりします。
それでは理屈が合いませんね。

もう一度切り替えて、例えば建物で考えてみます。
あなたはしっかりした基礎を仕上げました。
3階建でも5階建でも十分持ちこたえる頑丈な基礎です。
さあ、そこに安心して躯体を組み上げていきましょう。目指すイメージは出来上がっています。
その時にあなたはそこに向かって、出来るだけシンプルに躯体を組み上げますか?
それとも出来るだけ難解な組み上げ方を求めますか?
もし出来るだけ難解さを求めたんだとしたら、そんな組み方をする理由はなんなんでしょう?きっとそういう人はそこに芸術性を求めているのかも知れません。

そうでなく、まずチームの屋台骨をより頑丈に、より高く組み上げていく作業を優先するというのであれば、イメージした完成図に向け、よりシンプルな組み方を考えるのが理想的でしょうね。

そこでフットボールに頭を戻してみましょう。
今考えている戦術というものは、そういった、本来の目的から外れた、何やら難しいことをやっている方が凄いんじゃないかという幻想や、基本的な組み上げでなくイレギュラーばかりの組み合わせになってはないでしょうか?
考えたものは、よりプレッシャーの少ない中でならボール回しをする事は簡単でしょうか?それでも難しいものでしょうか?
フリーでの練習で動かしてみて、それでも運べないものではないでしょうか?
もし、ボールを運んでいくだけの事に意味なく複雑な動きを加え、足元の技術力にも困難なレベルが求められているのだとしたら、きっとそれは戦術として間違っているという事でしょう。
戦術とは、基本的に簡単であるべきです。それを実行するにあたり、様々な障害が出てくることを想定して、初めてひねりを加える必要が発生する訳です。
その障害の設定が極めて一般的な中で、より難解な動きとより難解なボール運びを実行しなければいけないのだとしたら、もうそれはジャグリングの域ですね。
基本戦術は簡単であるべきという当たり前の所をすっ飛ばして、色々な戦術、戦略を加えていく事は愚かな作業でしかありません。
まず最初に大切な事はなんなのか?
そこに立ち返ってみる事も必要という事でしょう。