去年はなぜか籠神社が気になり

7/8の流れもあって

(カモワンタロットの観点からすれば

7は人間界、8は天使界

7で人間界を終え、天使界へと進む)

思い切って行ってきたのですが

 

奥宮の真名井神社から

籠神社へ移転した

真名井稲荷神社がありました。

 

神社については全くの素人ですが

稲荷神社がとても気になりましたので検索。

すると

 

例えば伏見稲荷大社さんのWEBには

 

「当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、

奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。

「山城国風土記」の逸文に

《秦中家ノ忌寸等の遠祖、

伊呂具秦公の的にして射た餅が白鳥と化して飛び翔けり、

その留った山の峰に“稲”が生じた奇瑞

(やゆよ略)

信仰の起源は、これよりも更に古くさかのぼると考えられています。」

 

と記載されています。

アドレスも貼っておきますね。

伏見稲荷大社 (inari.jp)

 

餅、稲

ということで豊受の神様を思わせます。

 

なぜ初午なのでしょう?

 

2月の初午ということで

現在の干支は寅なのですが

初午の場合

寅と午で半会となり

化火であり、雑気のない化火であり

上にあがるもの

未来

そういう意味では春の木気から

火気へと縁起のよい日

あたたかみのある日となります

 

初午を調べると

火事に関する言葉も見つけられることから

化火については既に考えられていたのではないか

と推察されます。

 

まーしかし

いつ頃2月は寅月となったのでしょう

下記WEBによれば

暦Wiki/三正論 - 国立天文台暦計算室 (nao.ac.jp)

  • 殷正=建丑正月=冬至の翌月

とありますので

殷の頃・・・?

いやいや、でもその後にも改正されてますよね(多分w

 

でもこの殷正なら

寅月の初午

めちゃくちゃ納得できるのですが。。。

 

 

とはいえ、実際に

年干支

月干支

日干支

としての暦を使用するようになったのは

もっと後だと言われています。

でも、こういう説があるということは

本当にあった可能性は高いかもしれません。

 

年干支は太歳の考え方がありますからひとまず外しておくとしても

月干支は北斗七星の動きを元に考えられていますから

早くから成立していたとしても全くおかしくはないかもしれません。

 

となると

初午と稲荷、それらの起源は

やはり殷の時代の流れを汲むのでしょうか。。。

 

いやはや、年始から

なにやら妄想が始まってしまったようですにやりあせる

 

どうでもいいのですが

2月干支が寅という考え方の暦であれば

私は初午生まれです爆笑キラキラ ブタネコ魂

             ハ❓

 

ということで、しばらく稲荷について

時間があれば探ってみようかなと思います。

干支の起源はまだまだ不明ですし。。。ねニコブタネコ音譜