以前からつぶやいたり記事で触れたりしていましたが
うろ覚え的内容となっていましたので
忘れないためにメモっておきます。
10月2日の熊本日日新聞に掲載された
『時代の航海図』より抜粋します。
(以下、抜粋する。(略)は管理人によるもの)
CIA工作
核問題の歴史を掘り起こしてきた名古屋大特任教授の春名幹男は、日本への原子力の導入が米国の戦略下で始まった歴史を強調する。「米国は戦後、原爆をやめる選択肢もあった。だが、結局は産業利用を模索した。核兵器拡散は困るが、平和利用ならばいいと考えた。ソ連をけん制するため、同盟国がゆくゆくは核兵器が持てるという思惑もあったとみられる」
原子力平和利用はアイゼンハワー大統領が1953年の国連演説で「アトムズ・フォー・ピース」と提案したことに始まる。春名が入手した米中央情報局(CAI)の機密文書によると、平和利用がCIAのプロバガンダ工作であったことが裏付けられるという。
(略)
工作は日本が標的となった。読売新聞社主を務めた衆議院議員正力松太郎が55年、米の原子力産業幹部を「原子力平和利用使節団」として招待。CIA文書で、使節団によって「日本の産業界の関心を集めた」「日本国民の関心をむかわせた」と当時のダレスCIA長官に報告があったという。
(略)
「CIAは正力を利用した。正力は日本の発展に原子力が要ると信じたようだが、米国は、被爆国の日本での原子力推進がほかの諸国への宣伝になると考えた(略)」
(略)
春名は「広島、長崎の実像が国民に十分に知らされず、歴史研究も足りず、日本人は核の危険性を理解できなかったと思う。日本は米国に従属し、福島の事故まで、核を閉じ込めることの重要性に気がつかなかった」とみる。
議論避ける空気
「国と東京電力の責任もあるが、われわれがもっと深く考えるべきだった。市民サイドも甘かった」と平和運動家でピースボート共同代表の川崎哲は悔しさを示す。
(略)
反核運動の主力団体の構造的問題もあった。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)は70年代以降から脱原発を訴えているが、支持母体の連合に電力会社の労働組合があり、原発反論の展開には一定の限界があった。
(略)
「脱原発を考える市民の国際会議を来年初めに日本で開くことを準備している。また原子力脱却のための専門家を世界規模で育てていきたい」
日本人が核と原子力の問題を正面から議論してこなかったことを、いま痛感する。
(敬称略、共同通信・東海亮樹)