あれこれ、手元の資料と検索だけでも

調べ甲斐がありましたニコニコ


易経はこれからの事なので

とりあえず、その話はおいておいて。。。


中国大陸における

『10進法と12進法の接点』

これが一番知りたいです。


60干支は10の干と12の支の組み合わせです。


一年は365日。

マヤ文明では一年を360日として

残りを忌むべき日、としたらしいです。


その考えはエジプトやほかの文明にも

あったとのことで、ちょっとした不思議です。


一年は本当は365日ではなく、小数点がつきます。

完全な整数ではない。


そういう意味では、この残りを忌むべき日として

調整するのはいいシステムではないかと思います。

観測と折り合いをつけられるもんね晴れ


で、一年を10ヶ月にするのか

12ヶ月にするのか、でまた違ってきます。


10干の考え方をしたイ族は、一年を10ヶ月にしています。

一ヶ月は36日。

36日×10ヶ月=360日。


そりゃそうですよね。

10進法なんですから。


で。。。。


どうして、10干と12支が合流したのか?って話なんです。


10干の考え方が中国のイ族だとすると

バビロニアの12進法とどこかで接点がなくてはなりません。


干支の世界は

10干は空間、12支は時間。

天と地。


10干は10個の太陽伝説があります。

毎日違う太陽が昇っていると考えられていた。

それが三堆星遺跡でもうかがえるようです。


四川の文明の暦は不明。

文字も解読されていないようなので

まだまだ、解明されていないことがたくさんあります。


イ族に少なくとも12進法の考え方は

なかったようです。(イ族十月太陽暦)

この接点が知りたいな。


3000年前にはもう完成されていた60干支。

どこで出合ったのでしょう???


ある部族とある部族で婚姻関係があり

それによって新しい組み合わせを採用したのか?


もちろん、バビロニアは60進法が考えられていたので

バビロニアの文化が丸ごと東に流れてきた?

でもそれなら10干は??


10個の太陽伝説は?

バビロニアにあったの??


も~

知りたいことだらけですショック!

今日はメモになってしまいました目