生まれてから死ぬまでの間に
心で受け止められることって
そんなに沢山はないのかも。
いろんな人と接していくと、当然と思って会話をしていても
最終的に、全く違う気持ちでとらえていたって事、ありますよね。
よく言う「愛」
愛を伝えてもらったとしても
そんな愛は愛じゃないよね、なんて
思ってしまうことってありますよね。
もちろん、自分で思い描く「愛」は
やっぱり誰かにしてみると「愛」なんかではなかったりして。
だけれどそれはその人が悪いわけでもなくて
知らないわけですよね、お互いの知っている
「愛」がどういうものをあらわしているのか。
世の中の事を
ほんとうに沢山の事を
知っているかのように話をしていても
その単語の裏の体験については
全く物足りないものだったり。
人は誰でも他人がよく見える。
でもね、
あなただって
沢山の宝物を持っている
それはコトバだけでは伝わらないもの
毎日一緒に生活して
出来事が起こったときに
はじめて伝わるものだったりする
人はそういう意味で
上も下もなく
同じなんだろうと思う。
大切なのは
自分の宝物に気付くこと。
それから
他人の宝物を認めること。
難しいね。
だって
宝物は目に見えないものが多いから。
自分のものが一番だって
やけに思い込んだり
人のものがやけに一番
輝いてみえたりして。
それは努力だけではなくて
もちろん
努力は必要だけれど
受け止めようって気持ちから生まれること
人と人との間に生きることで
教えてもらえるもの
この世界に生きているからこそ
与えてもらえるもの
この命が終わるとき
どれだけのものを受け止められたのか
そんな事を考えると
まだまだ恥ずかしくなることばかりだ。
やっぱり生きるって修行なのかなあ
もっと楽しく生きたいなあ
o(⌒▽⌒)o![]()