2015年1月27日に強直性脊椎炎の発覚。
2015年11月8日に合併症である大動脈弁閉鎖不全症の発覚。
2016年3月に入り、想像以上に進行していた弁膜症の症状。
色々な感情や、精神的、身体的な変化も、命の危険も、それぞれ感じてきましたがそれでも自分の中で全てを懸けていたバレーボールを辞めることは出来ませんでした。リハビリのトレーナーやPT、医師も、辞めておいたほうが良いという意見でしたが、この時に関しては引退まであと10カ月と少しをやりきりたいという勝手な思いで私はバレーを選びました。
そして4月になり、新チームになって最初の2ヵ月間にわたる大きな大会がスタートしました。
それまでにも入退院を繰り返していたのですが、大会が始まって初めて異変が起きたのは、第2戦目が終わった4月24日の帰りの電車でした。
電車で帰っている途中ものすごい脱力感に襲われ嫌な予感がした為、以前失神で電車を止めてしまったというトラウマもあり一度電車を降りて駅のホームで座って休憩することにしました。ですが脱力感はひどくなる一方で徐々に体が動かなくなっていきました。そして下半身の感覚が鈍くなり立つこともできなくなり、完全に駅のホームから動けなくなってしまいました。さすがに自力ではどうすることもできなくなってしまったので、前を通った駅員さんに事情を説明し救急隊員にきてもらって病院まで運んでもらうことになりました。
上半身に大きな支障はなかったため、病院に着いてからは車いすでの行動でした。いつもと同様、原因も治療法も分からずまず入院でした。原因不明の下半身麻痺。動かないというよりは、自分の中では足に力を入れているつもりなんだけど動かない。動かし方が分からない、というような感覚でした。
それでも体が固まってしまわないように毎日リハビリではPTさんが下半身の関節を動かしてくれました。下半身を動かせないというのは車いすへ乗り降りするのも、リハビリをする中で仰向けやうつ伏せになるのも一苦労でPTさんの手助けが必要です。ベッドで寝返りを打つことも大変です。下半身麻痺という状態に慣れていない私は自力でトイレを済ませることも出来ませんでした。どれだけ五体満足だった自分の身体が有難かったか痛いほど思い知らされます。
歩けるようになるのかどうかも分からない、良くなるとしてもいつ回復するのかも分からない、それでも大会期間は続いています。とにかく次の試合に間に合わす為に必死でした。気持ちがどれだけ焦っても体が良くなる兆しはなく、3日、4日と経っても下半身が言うことをきいてくれることはありませんでした。
さすがに私も、「もうダメかもしれない」と覚悟を決めました。
つづく