■3話:桜が咲く前に(最終話)


 まばゆい朝の光の中を、鴉は軽快に飛んでいました。
昨晩の激しい雨が嘘のように、明るくよく晴れた朝でした。
まだ草木に残る水滴が陽射しに反射し、それなりに美しい景色。

 (世界も思っていたほど、わるくない)
 鴉は上機嫌にそんなことを思っておりました。

 夢の街の作り話をしたあの夜から子猫は、月夜に鴉の元へと当然の様にやって来るようになりました。
その度に鴉の作り話は大げさに膨らんでいきましたが、子猫の熱い眼差しは絶えることはなかったのです。
 そんな子猫を見ていると、作り話をしている鴉でさえも、本当に《夢の街》は存在するのではないか?という気にさえなるのでした。

 しかし今宵は、夢の街の扉が開くという、望月(ぼうげつ)の夜なのです。
 夢の街へは行けないとしても、なんとかして子猫を喜ばせたいと考えた鴉は、早い朝から意欲的に飛び立ち、子猫が喜びそうな玩具(おもちゃ)を探していたのです。

 めぼしい物はないかと上空から物色していると、大きなゴミ捨て場を発見しました。
注意深く観察してみたところ、高く積み上げられた半透明の袋の1つに、あの子猫にそっくりな縞模様のぬいぐるみが入っているのが見えました。

 それを発見した鴉は、心が踊り密かに笑いました。
 (あれをプレゼントしたら、きっと驚くだろう)

 嘴の太い輩(やから)とは違い、プライドの高い鴉でしたから、普段は人間のゴミ捨て場をあさることはありませんが、この日ばかりは手段を選んではいられないと、目的の袋を目掛けて地上に降り立ち、嘴の先で慎重に穴を開けはじめました。

 (もう少し…あと少しで取り出せる……)
 そう思ったその時でした。

 「薄汚い鴉め!あっちへいけ!!」

 突然、人間から罵声(ばせい)を浴びたと同時に、石を投げつけられました。
 その瞬間、鴉は左の羽に鋭い痛みを感じましたが、そんなことよりも手に入れたかった目の前のものに必死で食らいつき、飛び立とうとしたのです。

 ところが更に投げつけられた石によって、必死で食らいついたそれは、嘴(くちばし)から離れ、無惨にもアスファルトに叩きつけられてしまいました。

 「この、こそどろ鴉が!!!」

 容赦なく降りかかる罵声と石の雨に生命の危険を感じた鴉は、結局。
何も得ることなく、その場を立ち去ることしか出来ませんでした。

 その場から遠く離れ、青色い屋敷の屋根に留まった頃、先ほどの怪我が今更になり鈍く痛みはじめました。

 (……うぐっ)

 鴉は、今にも消えてなくなりそうな、うめき声を発し、うずくまりました。
先ほどまでの浮ついた気持ちが一転し、痛みと同時に込み上げる、やり場のない悔しさが鴉を押さえつけ、間もなく以前の卑屈な気持ちが蘇り、心が闇に閉ざされてゆくのが分かりました。

 しかし、その閉ざされゆく闇に、微かな光が射し込み、子猫の声が聞こえます。

 『色?色は重要じゃない』
 『そらのかなた。夢の街。はいれる』

 (……あぁ。そうだった)

 鴉は大事な事を思い出しました。
 自分を必要と思ってくれる存在があることを。

 (こうしては、いられない)

 今夜に限っては、夜になる前にやるべき事があるのです。

 朦朧(もうろう)とする意識を奮い立たせた鴉は、ある場所を思いつきました。
この地に辿りつく前に暮らしていた寝床の近くに、ゴルフの練習場があったことを。 

 (そうだ。あそこに行けばゴルフボールが簡単に手に入る)

 以前、野良猫がゴルフボールを夢中で追いかけているのを見たことがあったのです。
鴉は気を取り直して、その場所へと向かうことにしました。 



                     ※



 大事そうにゴルフの黄色いカラーボールを1つ咥えた鴉が、いつもの木へと戻ってくる頃には、すでに太陽が傾き、薄暗くなっておりました。

 (少し待っていれば、子猫はやってくるだろう)

 そう考えた鴉は、随分と体力も弱まっておりましたので、子猫が来る少しの間。
木の上で眠ろうと目を閉じました。

 静かな浅い眠りの中、幸福な夢を見ておりました。
望月(ぼうげつ)を背に、子猫が楽しそうにボールで遊んでいる夢でした。

 しかし、幸福な夢は、そう長く続くこともなく、
巨大な金属が、固い何かに擦れる様なけたたましい音で、一気に現実へと、引き戻されたのです。



 (ビィーーーンーーーバンッーーーキキィイィイィィイーー!!!!)



 目を見開いた鴉は、何が起きたのかと、暫くは呆然(ぼうぜん)としていましたが、つづく静寂な時の中、森に面した道路で赤いバイクが転倒しているのを確認すると。
 それは、現実に起きた交通事故の音なのだと悟りました。

 (…まさか)

 いままで感じたことがない悪い予感が鴉の体を硬直させました。
 転倒している赤いバイクのライトに照らされた、小さな物体を認めたからです。

 (……あの子猫のはずがない)

 鴉は無意識で目を反らしました。
今朝方(けさがた)のゴミ捨て場で、アスファルトへ無惨に叩きつけられた、子猫に似た縞模様のぬいぐるみが、脳裏に鮮明に蘇ります。

 次の考えを巡らす前に、鴉は事故の起きた場所へと急ぎました。
確認した物体が想像のものと違っていることを、早く、その目で確かめたかったからです。


  怖々その物体に近づいた鴉は、言葉を失いました。
アスファルトの上で微動だにしない小さな物体は、鴉がよく知っている容姿をしていたからです。

 (……うそだ)

 目の前に突きつけられた最悪の現実は、簡単に受け入れることが出来ません。
鴉は、為す術もなく無言で立ちつくしておりました。
 
 少しすると、事故の音を聞きつけた人間が、こちらへと向かってきました。
以前、子猫を捕まえようとした眼鏡の男の人でした。
 事故を起こしたバイクの持ち主に声をかけた様子でしたが、
バイクの持ち主は何を思ったのか無言で車体を起こすと、逃げる様な凄いスピードでその場を後にしました。

 その後、子猫の鼓動を確認した眼鏡の男の人は、小さな声で子猫に何かを言い。
素手で子猫を持ち上げて、ひとまずといった具合に木陰へ移動させた後、屋敷の中へ戻っていきました。


 《子猫は、即死でした》


 鴉は空の彼方を見上げました。
夜空に穴が空いているかの様な丸い月が、燦々(さんさん)と輝いております。
 そうです。今夜は《夢の街》の扉が開いているのです。

 燦々と地上に降りそそぐ光を、恍惚(こうこつ)に眺めた鴉は、何かを決意したかの様に《ガァー》と短く鳴き。
木陰で眠っている子猫の傍へ近づくと、優しい口調で語りかけました。

 「ねぇ。今夜は特別に、連れて行ってあげる」

 鴉は、自分の羽を1枚引き抜くと、子猫の体にそっと載せました。

 それから、絶望と希望が折り重なった美しく真っ黒い羽を、力いっぱい広げて。
祈る様に空の彼方へと、羽ばたきました。


ーー 彼等が共に遊び、語り合ったあの木に、もうじき咲く「山桜の花」を見る前に。


(了)


<あとがき>

 この物語の一部は実際にあったことを元としております。
自宅の裏が森で、窓から文中の山桜の木が見えるのですが、そこで鴉と野良猫がよく遊んでおりました。
 「こんなことってあるのだろうか?」と思いながら、その様子を眺めているのが楽しみでした。

 文中に出てきたように、子猫を飼いたいという近所の人がいる程、愛くるしい容姿の子猫でしたので、近所の人達からは「アイちゃん」と呼ばれておりました。突然のバイク事故によって、天国へいってしまい。
 窓から見える山桜の木が、本当に寂しくなりました。ひと言で言ってしまえば、ほんの数行の出来事ではあるのですが、私にとっては、色々な事を考えさせられた出来事でしたので、どうにかして記憶に残しておきたいという思いで、短く拙い文章ではありますが、1つの物語として書かせて頂きました。

 野良猫のアイちゃん。そして、仲良しだった名もなき鴉。彼等が夢の街へ辿りついていることを切に願って。

2011年2月16日 mitapan.

※ 拙い文に、おつきあいしてくださった方がおりましたら、本当に感謝。ありがとうございます。

■2話:夢の街 (全3話)


 明くる日の夕暮れ。適当な食事を済ませた鴉は、迷いもなく昨日過ごした木の上へとやってきました。
それとなく子猫が来るのを待っていたのです。しかし、待てども待てども子猫が来る気配がありません。
それどころか人間がザワザワと近くへと向かってきます。
 何事かと耳をすますと、こんなことを話しているのです。

「あの子猫ちゃん飼いたいのだけど、うまく捕まえることは出来ないかしら?」
 小太りの女の人が、なにやら眼鏡の男の人に話しかけています。

「親猫が近くにいるかも知れないし、捕まえるのは簡単ではないでしょう。それが野良猫にとって幸せなのかもわかりませんしねぇ……」
 眼鏡の男の人は腕組みをし、とても困った顔をして言いました。
 ところが、小太りの女の人は息もつかずにこう捲し立てました。

「私、早くに主人を亡くして何年も独り身だからとても寂しいのよ。このあいだあの子猫ちゃんを見た時に、なんだか我が子みたいに愛しくなってしまったの。だから、どうしても飼いたいのよ。この寒さだから外で凍えしんでしまいそうで心配でならないの」

 暫くそうしたやり取りを繰り返しておりましたが、小太りの女の人に根負けしたようで、眼鏡の男の人は渋々と口を開きました。

「わかりました。やるだけやってみます……」


 鴉にはそれが、昨日の子猫のことだとすぐに分かりました。
この辺りの野良猫で、あれだけの綺麗な猫は他におりませんから。
 そう考えると同時に、脳裏をよぎったのは、人間に飼われたくないといった子猫の不服そうな顔でした。

 ( ……どうしよう )

 自分には関係のないことだと割り切れれば良いのですが、どうにも胸騒ぎがおさまらず、
いまは枝の上をウロウロと歩きまわるしかありません。

 ( ……どうしよう )

 身勝手な人間がとても嫌いでしたが、野良猫の行く末を知っている鴉は、人間に飼われれば外にいるよりマシであるようにも感じておりました。

 ( ……ちがうちがう )

 結論の妨げとなっていたのは『もっと一緒に遊びたい』と思ってしまう自身の気持ちなのです。
その思いを振り払うかのように、またも枝を何度も小突いてみましたが、
振り払うどころか気がかりで仕方ありません。
 暫くの間、枝を小突きながら、何事かをブツブツとつぶやいていた鴉でしたが、突然思い立ったように動きを止めました。

 ( そうだ。人間に飼われたくない理由を聞かなくては )

 そう結論づけ、鴉は子猫を探すために羽を広げました。


 それから、どれくらい飛びまわったのでしょうか。
道路に面した街灯(がいとう)が、ポツリポツリと灯りはじめました。
 視力には自信があり、簡単に子猫がみつかると高をくくっていた鴉でしたが、
いくら飛び回っても、子猫どころか1匹も野良猫が見あたらないのです。
夜になると気温がいっそう下がりますので、猫たちはどこか暖かい場所にいるのかも知れません。

 ( 今日は諦めて寝床に帰ろうか… )

 鴉は仕方なく、寝床のある場所へと向かいました。

 しばらく飛び続けると、あの木の近くにあるレンガ色の屋敷のドアから、光が漏れているが見えました。
なんとなく胸騒ぎがした鴉は、近くの電線に止まり、様子を伺うことにしました。

 よく見ると、レンガ色の屋敷から、先ほどの眼鏡の男の人が手に皿を持って出てくる所でした。
眼鏡の男の人は、止まっている車の下を慎重に覗きこみ、手慣れた動作で、持っていた皿を《カンカン》っと鳴らしました。
 その音を聞きつけた野良猫たちが我先にと一斉に、眼鏡の男の人の元へと集まってきます。

 ( まずい… )

 鴉は焦りました。大きな猫たちの陰にかくれて、昨日の子猫を見つけたからです。
子猫は、大きな猫たちが食べこぼした餌を、何とかして食べようと必死になっております。

 なかなか食事にありつけない子猫を見兼ねた眼鏡の男の人は、皿から少し餌を掴むと、子猫の前に放り投げました。子猫は怯えることもなく、目の前の餌を他の猫に奪われぬよう夢中で食べはじめました。
 その様子を無言で確認した眼鏡の男の人は、そっと両手を広げ、子猫を捕らえようとしました。

「やめろ」

 鴉は思わず悲鳴のような声を上げました。
その声が届いたとしても、人間に伝わるはずもありません。 

 ところが、どうしたことか。
眼鏡の男の人は、うつむき加減で小さくため息をつくと、
広げていた手を引っ込め、レンガ色の屋敷へと戻っていってしまったのです。

 《どうして捕まえなかったのか》鴉には全くわかりませんでした。

 猫たちが夢中で食事をしているのを横目で見ながら移動し、いつもの木の枝に留まりました。
何をしたという訳でもありませんでしたが、今夜の鴉は、とても疲れていたのです。
 すっかり暗くなった空の下でじっとしていると、木の根元の方から、小さな声が聞こえてきました。

「あそぼう」

 声のする方を見ると、お腹が満たされ、力が漲(みなぎ)っているといった子猫が、
ギラギラとした眼差しで鴉を眺めておりました。
 少し前まで人間に捕らえられそうになっていたとは、考えもつかないのでしょう。

「あそばない」
 疲れた鴉は、そっけなく言い返しました。

「なんで?つまんない」
 子猫は面白くないといった顔で、木の幹で軽く爪を研いでみせましたが、
先ほどのことが頭から離れない鴉は、虚空(こくう)を見つめたまま言いました。

「……もしも、人間に捕らえられそうになったら、どうする?」
 突拍子もない質問でしたが、子猫は迷いもなく言いました。

「にげる」

「どうして逃げるの?暖かい部屋で、ぬくぬく暮らせるかも知れないのに」
 相変わらず虚空をみつめたままの鴉を見て、子猫は少し首をかしげながら言いました。

「だって。いま。しあわせ。それに……」
 子猫は何かを言いたそうに口ごもりました。

「それに?」
 鴉は繰り返しました。

「わらわない?」
 子猫は真剣な表情で鴉を見つめています。

「笑わないよ」
 鴉も真剣な表情で子猫を見返しました。
 すると子猫は、数秒の沈黙の後、意を決したように口を開きました。

「大きくなったら《夢の街》にいくの」
 それを聞いた鴉は呆然(ぼうぜん)と、子猫を見つめました。
地上では夜空に浮かぶ黄金の月のような瞳が、キラキラと2つ輝いております。

「夢の街?」
うつろな目つきで、子猫に聞き返しました。

「そう。きいちゃったの」
 子猫はくすくすと笑いながら言いました。

「森から。きれいな歌きこえて。世界はひろい。おいしいもの。おもちゃ。うたう花。キラキラ踊るみずうみ。空のかなたに《夢の街》がある。そう歌っていたの」

 子猫は相変わらず、くすくすと笑っております。

「空の彼方に、夢の街?」
 鴉はキョロキョロと目を動かしました。

「でも。猫は羽がないから……」
 子猫は、沈んだ声で鴉の黒い羽を羨ましそうに眺めました。

「こんな汚い色の羽でも欲しいのか?」
 思わず鴉は卑屈(ひくつ)なことを口に出してしまいました。

「色?色は重要じゃない。それよりも見たんでしょ?世界を。夢の街あったんでしょ?」
 どうやら子猫は羽さえあれば空の彼方とやらに行けると信じているようです。

 卑屈なことを口にした鴉でしたが、色が重要でないとさらりと交わされたことに少し驚きながら、何と続けたものかと迷いました。少なくとも鴉の見てきた世界とやらには、子猫が想像しているような幸福に満ちた場所は、見あたらなかったからです。それにしても、さんざん劣等感を抱いてきた《鴉》という存在は、目の前の子猫にとっては羨(うらや)ましい存在なのかも知れない。そう感じた時、鴉は自分の発言が、とても恥ずかしいことのように思えるのでした。

 そんな小難しいことを、あれこれ考えている鴉をよそに、子猫は真っ直ぐな瞳でじっと話を待っております。

「あぁ、世界は凄かった」
 鴉は、迷った末に適当なことを口走りました。

「すごかった?やっぱり。おいしいもの。おもちゃ。たくさんあった?」
 子猫の瞳は、よりいっそう輝きを増しております。

「…あったさ」
 鴉は困惑しながら、ふと夜空を仰ぎました。するとそこには大きな黄金の月が輝いております。
夜空に1つ。地上に2つ。まるで、3つの月に見られているような特別な気分になった鴉は、
嘴(くちばし)で夜空の月の方向を示しながら、こんなことを言いました。

「あれを見て。あれが《夢の街》の入り口だよ」
 月が天体であることは既に学習済みの鴉でしたが、思わずそんな作り話をしてしまいました。

「そうだったのか。そらのかなた。夢の街。はいれる」
 疑うことも知らない子猫は、大きな月を眺めながら、凛(りん)とした声で言いました。

「でも、毎日は入れない。望月(ぼうげつ)という丸く見える時だけ《夢の街》の扉が開くの」
 鴉は、ここぞとばかりに得意げに作り話を続けました。

「いつか行けるかな?」
 不安そうな顔で、望月に満たない月を眺めながら、子猫は小さな声でつぶやきました。

「あぁ、大人になったら行けるさ。その時は、ぼくの背に乗ればいい」
 鴉が自信に満ちた声で言うと、子猫は月と鴉を交互に、うっとりとした瞳で眺めました。

 それを見て、鴉は満足気に羽を大きく広げました。


<3話へつづく>

Voice Warehouse-桜が咲く前に

■1話:退屈な鴉 (全3話)


  きみも 見えているかい? 

  今夜は 夢の街の 扉が開いている。
 
  さぁ 行こう。

  ぼくの背で眠っていれば 辿りつくから…



 その鴉(からす)がこの地にやってきたのは1年で最も寒い大寒の頃。元より 協調性に欠け、同じ場所に留まることが出来ない性分でしたから、短い間だけ適当な仲間とねぐらを共存した後は、今度も長く留まろうとも思ってもいなかったのです。植物質を好む“ハシボソガラス”にとっては、木々に囲まれたこの地は、食料に困らない最良の場所でしたから、なんとなしに木の上で暫く退屈な時を 過ごしていたのです。忙しい時は何も考えずにいられるものですが、こうも暇を弄ぶとあらぬ方へ意識が及ぶものです。


  ぼくだってきらいなの。この真っ黒い羽の色が。細くとがった嘴(くちばし)が。
  ガァガァと濁った鳴き声も。それにこの記憶力。ぜ~んぶ。きらい。
  人間は種類も気にせず『鴉』とくくり。気味が悪いと疎(うと)ましい目でぼくらをさげすむの。
  そんなことくらい理解している。

  けれど生きるという連鎖を担がされたからには、ぼくらだって必死に生きるしかないの。
  ガァガァ、それ以上でも以下でもない。ガァガァ、食べるために増やすために続けるだけ。
  楽しいこと? さぁ。 嬉しいこと? さぁね。 しぬってかなしい? それともこわい~?

  あぁ。今日も退屈だ。


 鴉は欠伸(あくび)ついでに《ガァー》とひと呼吸して、他の鳥がそうしていた様に《コツン・コツン》と枝を小突いてみせました。あまりに滑稽(こっけ い)な音が辺りに響いたので、鴉は愉快に何度も何度も繰り返しました。そうしている間、何も考えずにいられましたから。白い雲が流れ、木々が揺れ、森に面 した道路を凄いスピードで車が何台も通り過ぎました。やがて桃色の雲が流れ、自転車に乗った子供達がキャッキャと騒ぎながら走り去り、近くの枝で他の鴉がマネごとを始めましたが、鴉は全く興味を示しませんでした。

 ところが木の根元の方から、草を踏みつける微かな音を聞いた瞬間、野生の本能が一気に目覚めました。逃げるために構え、気づかれぬよう慎重に目をやる と、鴉の体より小さい子猫が瞳を大きくさせ、鴉に狙いを定めていたのです。はじめは構えていた鴉でしたが、それが産まれてまもない野良猫であると認めたとたん《玩具(おもちゃ)が来た》と胸をおどらせました。

 わざと驚いたように羽をバタつかせ《ガァー》と濁った鳴き声を発してみると、子猫は更に興味深く鴉に狙いを定めました。

「お願い。ぼくを食べないで~」

 退屈な鴉は久々に沸き上がる笑いを抑えながら、命乞いをあげ羽をバタつかせてみせました。
子猫は《ごくり》と息を飲み、ゆっくりゆっくりと木に登りはじめましたので、鴉は子猫の鼓動を
弄(もてあそ)ぶかのように、先ほどまで繰り返していた滑稽な音を素早く響かせました。
 ところが、猫が木に登ることは簡単ではありません。
何度もすべり落ちそうになり、子猫は諦めかけたようです。
 そこで今度は、子猫が届きそうな枝に移り、恐くて動けないふりを演じてみることにしました。

「猫さん。恐いよ。動けないよ~」

 近くの枝に鴉が移動したので、子猫はビクリとしましたが、手が届きそうな場所で身じろぎもしない黒い鳥を何とか捕らえようと夢中で木によじ登りだしました。
 子猫が近くに来るまでの間、鴉はじっと様子を伺い、次のおもしろい作戦を考えておりました。

 鴉が逃げないよう慎重に木をよじ登り、
いよいよ子猫がおしりを小刻みに振り、鴉を仕留めようとした、その時。

 鴉は黒い羽を《ハラリ》と飜(ひるがえ)し、今度は地面に降り立ちました。
そして、笑いながら地面で羽をバタつかせて言いました。

「残念。僕はここだよ~」

 枝に取り残された子猫は、はじめて上から下をのぞみ。
随分と高い所まで登ってきてしまったことに気がついたのでしょう。
 降りることを躊躇(ためら)うように体を強ばらせました。
今にも足を滑らせて落下しそうな子猫の様子を見た鴉は、ほんの少しだけ後悔しました。

 この地に辿り着く途中、子猫くらいの小さな野良猫が病にかかり、凍死する姿を思い出したからです。それまでは自分の不幸ばかりを嘆(なげい)ていた鴉でしたが、野良猫である彼等の行く末もまた、残酷であることを賢い鴉は知っていたのです。
 鴉は急に居たたまれない気持ちになり、元いた枝へと羽をはばたかせて子猫に問いかけました。

「どうしたんだい?降りられないのか」

 暫く恐怖に体を強ばらせていた子猫でしたが、バサバサと良く動く眼前の黒い物体を本能が捕らえようとしたようで、無言で鴉に手を伸ばしました。

「あぶね~。心配して損をした」

 鴉は独りごとをいい放ち、また地面へ降り立ちました。
子猫は木の幹に前足を少しかけると、そこから一気に鴉のすぐ近くへ飛び降りまし た。

 近くで子猫を見た瞬間、鴉は目を疑いました。
何故なら野良猫であるはずの子猫があまりにも美しい容姿をしていからです。
長く天に伸びた尻尾(しっぽ)。鴉のそれとは似ても似つかぬ綺麗な黒と灰色の縞模様。それに夜空に浮かぶ月のような黄金の瞳。だいぶ以前に大きな屋敷で見た、飼い猫のようでした。
 ふと我にかえると、またも子猫がお尻を小刻みに振るわせ、鴉を捕らえようとしておりましたので、慌てた鴉は自分が飛べることも忘れ、羽をバタバタとさせながら地面を鳩のように歩きまわりました。
そのおかしな動きに、子猫は思わず捕らえるのを放棄し、笑ってしまうのでした。

「とばないの?」
 いたずらな瞳で子猫が鴉を覗き込みました。

「い…いま飛ぶところだよ」
 見惚れてしまったことを揉み消すかのように鴉は強がりを言い放ちました。
 すると子猫は突然沈んだ声で、こうもらしました。

「ずるい。そらをとべる。どこへでもいける」

 それまでは空を飛ぶことが当たり前だと思っていた鴉でしたので、子猫が何を言っているのか、
少しのあいだ呆然(ぼうぜん)としておりましたが、目を《ギョロリ》とさせながら言いました。

「どこがいいの?何処へ行っても何も変わらない」

 はじめは世界の先に「鴉の王国」なるものがあると信じていた鴉でしたが、色々なものを見聞きしているうちに、世界を随分と窮屈(きゅうくつ)に感じてしまう大人になっていたのです。

 しかし、子猫は少し怒り気味に言いました。
「かわるの。おいしいもの、たくさん。おもちゃも、たーくさんあるんだから」

「あぁ、それなら飼い猫になればすぐに手に入るよ、君はみたところ野良猫にしてはとても綺麗な猫だ。人間に媚びをうれば、飼い手が見つかるかもしれない」

 鴉は大人びた口調で断言してみせました。
 ところが子猫は不服そうな顔をし、すぐにこう返しました。

「いやだ」

そう言い残すと《フイッ》と方向を変え、子猫は自分の居場所へと帰っていってしまったのです。

《2話へ続く》