■3話:桜が咲く前に(最終話)
まばゆい朝の光の中を、鴉は軽快に飛んでいました。
昨晩の激しい雨が嘘のように、明るくよく晴れた朝でした。
まだ草木に残る水滴が陽射しに反射し、それなりに美しい景色。
(世界も思っていたほど、わるくない)
鴉は上機嫌にそんなことを思っておりました。
夢の街の作り話をしたあの夜から子猫は、月夜に鴉の元へと当然の様にやって来るようになりました。
その度に鴉の作り話は大げさに膨らんでいきましたが、子猫の熱い眼差しは絶えることはなかったのです。
そんな子猫を見ていると、作り話をしている鴉でさえも、本当に《夢の街》は存在するのではないか?という気にさえなるのでした。
しかし今宵は、夢の街の扉が開くという、望月(ぼうげつ)の夜なのです。
夢の街へは行けないとしても、なんとかして子猫を喜ばせたいと考えた鴉は、早い朝から意欲的に飛び立ち、子猫が喜びそうな玩具(おもちゃ)を探していたのです。
めぼしい物はないかと上空から物色していると、大きなゴミ捨て場を発見しました。
注意深く観察してみたところ、高く積み上げられた半透明の袋の1つに、あの子猫にそっくりな縞模様のぬいぐるみが入っているのが見えました。
それを発見した鴉は、心が踊り密かに笑いました。
(あれをプレゼントしたら、きっと驚くだろう)
嘴の太い輩(やから)とは違い、プライドの高い鴉でしたから、普段は人間のゴミ捨て場をあさることはありませんが、この日ばかりは手段を選んではいられないと、目的の袋を目掛けて地上に降り立ち、嘴の先で慎重に穴を開けはじめました。
(もう少し…あと少しで取り出せる……)
そう思ったその時でした。
「薄汚い鴉め!あっちへいけ!!」
突然、人間から罵声(ばせい)を浴びたと同時に、石を投げつけられました。
その瞬間、鴉は左の羽に鋭い痛みを感じましたが、そんなことよりも手に入れたかった目の前のものに必死で食らいつき、飛び立とうとしたのです。
ところが更に投げつけられた石によって、必死で食らいついたそれは、嘴(くちばし)から離れ、無惨にもアスファルトに叩きつけられてしまいました。
「この、こそどろ鴉が!!!」
容赦なく降りかかる罵声と石の雨に生命の危険を感じた鴉は、結局。
何も得ることなく、その場を立ち去ることしか出来ませんでした。
その場から遠く離れ、青色い屋敷の屋根に留まった頃、先ほどの怪我が今更になり鈍く痛みはじめました。
(……うぐっ)
鴉は、今にも消えてなくなりそうな、うめき声を発し、うずくまりました。
先ほどまでの浮ついた気持ちが一転し、痛みと同時に込み上げる、やり場のない悔しさが鴉を押さえつけ、間もなく以前の卑屈な気持ちが蘇り、心が闇に閉ざされてゆくのが分かりました。
しかし、その閉ざされゆく闇に、微かな光が射し込み、子猫の声が聞こえます。
『色?色は重要じゃない』
『そらのかなた。夢の街。はいれる』
(……あぁ。そうだった)
鴉は大事な事を思い出しました。
自分を必要と思ってくれる存在があることを。
(こうしては、いられない)
今夜に限っては、夜になる前にやるべき事があるのです。
朦朧(もうろう)とする意識を奮い立たせた鴉は、ある場所を思いつきました。
この地に辿りつく前に暮らしていた寝床の近くに、ゴルフの練習場があったことを。
(そうだ。あそこに行けばゴルフボールが簡単に手に入る)
以前、野良猫がゴルフボールを夢中で追いかけているのを見たことがあったのです。
鴉は気を取り直して、その場所へと向かうことにしました。
※
大事そうにゴルフの黄色いカラーボールを1つ咥えた鴉が、いつもの木へと戻ってくる頃には、すでに太陽が傾き、薄暗くなっておりました。
(少し待っていれば、子猫はやってくるだろう)
そう考えた鴉は、随分と体力も弱まっておりましたので、子猫が来る少しの間。
木の上で眠ろうと目を閉じました。
静かな浅い眠りの中、幸福な夢を見ておりました。
望月(ぼうげつ)を背に、子猫が楽しそうにボールで遊んでいる夢でした。
しかし、幸福な夢は、そう長く続くこともなく、
巨大な金属が、固い何かに擦れる様なけたたましい音で、一気に現実へと、引き戻されたのです。
(ビィーーーンーーーバンッーーーキキィイィイィィイーー!!!!)
目を見開いた鴉は、何が起きたのかと、暫くは呆然(ぼうぜん)としていましたが、つづく静寂な時の中、森に面した道路で赤いバイクが転倒しているのを確認すると。
それは、現実に起きた交通事故の音なのだと悟りました。
(…まさか)
いままで感じたことがない悪い予感が鴉の体を硬直させました。
転倒している赤いバイクのライトに照らされた、小さな物体を認めたからです。
(……あの子猫のはずがない)
鴉は無意識で目を反らしました。
今朝方(けさがた)のゴミ捨て場で、アスファルトへ無惨に叩きつけられた、子猫に似た縞模様のぬいぐるみが、脳裏に鮮明に蘇ります。
次の考えを巡らす前に、鴉は事故の起きた場所へと急ぎました。
確認した物体が想像のものと違っていることを、早く、その目で確かめたかったからです。
怖々その物体に近づいた鴉は、言葉を失いました。
アスファルトの上で微動だにしない小さな物体は、鴉がよく知っている容姿をしていたからです。
(……うそだ)
目の前に突きつけられた最悪の現実は、簡単に受け入れることが出来ません。
鴉は、為す術もなく無言で立ちつくしておりました。
少しすると、事故の音を聞きつけた人間が、こちらへと向かってきました。
以前、子猫を捕まえようとした眼鏡の男の人でした。
事故を起こしたバイクの持ち主に声をかけた様子でしたが、
バイクの持ち主は何を思ったのか無言で車体を起こすと、逃げる様な凄いスピードでその場を後にしました。
その後、子猫の鼓動を確認した眼鏡の男の人は、小さな声で子猫に何かを言い。
素手で子猫を持ち上げて、ひとまずといった具合に木陰へ移動させた後、屋敷の中へ戻っていきました。
《子猫は、即死でした》
鴉は空の彼方を見上げました。
夜空に穴が空いているかの様な丸い月が、燦々(さんさん)と輝いております。
そうです。今夜は《夢の街》の扉が開いているのです。
燦々と地上に降りそそぐ光を、恍惚(こうこつ)に眺めた鴉は、何かを決意したかの様に《ガァー》と短く鳴き。
木陰で眠っている子猫の傍へ近づくと、優しい口調で語りかけました。
「ねぇ。今夜は特別に、連れて行ってあげる」
鴉は、自分の羽を1枚引き抜くと、子猫の体にそっと載せました。
それから、絶望と希望が折り重なった美しく真っ黒い羽を、力いっぱい広げて。
祈る様に空の彼方へと、羽ばたきました。
ーー 彼等が共に遊び、語り合ったあの木に、もうじき咲く「山桜の花」を見る前に。
(了)
<あとがき>
この物語の一部は実際にあったことを元としております。
自宅の裏が森で、窓から文中の山桜の木が見えるのですが、そこで鴉と野良猫がよく遊んでおりました。
「こんなことってあるのだろうか?」と思いながら、その様子を眺めているのが楽しみでした。
文中に出てきたように、子猫を飼いたいという近所の人がいる程、愛くるしい容姿の子猫でしたので、近所の人達からは「アイちゃん」と呼ばれておりました。突然のバイク事故によって、天国へいってしまい。
窓から見える山桜の木が、本当に寂しくなりました。ひと言で言ってしまえば、ほんの数行の出来事ではあるのですが、私にとっては、色々な事を考えさせられた出来事でしたので、どうにかして記憶に残しておきたいという思いで、短く拙い文章ではありますが、1つの物語として書かせて頂きました。
野良猫のアイちゃん。そして、仲良しだった名もなき鴉。彼等が夢の街へ辿りついていることを切に願って。
2011年2月16日 mitapan.
※ 拙い文に、おつきあいしてくださった方がおりましたら、本当に感謝。ありがとうございます。
まばゆい朝の光の中を、鴉は軽快に飛んでいました。
昨晩の激しい雨が嘘のように、明るくよく晴れた朝でした。
まだ草木に残る水滴が陽射しに反射し、それなりに美しい景色。
(世界も思っていたほど、わるくない)
鴉は上機嫌にそんなことを思っておりました。
夢の街の作り話をしたあの夜から子猫は、月夜に鴉の元へと当然の様にやって来るようになりました。
その度に鴉の作り話は大げさに膨らんでいきましたが、子猫の熱い眼差しは絶えることはなかったのです。
そんな子猫を見ていると、作り話をしている鴉でさえも、本当に《夢の街》は存在するのではないか?という気にさえなるのでした。
しかし今宵は、夢の街の扉が開くという、望月(ぼうげつ)の夜なのです。
夢の街へは行けないとしても、なんとかして子猫を喜ばせたいと考えた鴉は、早い朝から意欲的に飛び立ち、子猫が喜びそうな玩具(おもちゃ)を探していたのです。
めぼしい物はないかと上空から物色していると、大きなゴミ捨て場を発見しました。
注意深く観察してみたところ、高く積み上げられた半透明の袋の1つに、あの子猫にそっくりな縞模様のぬいぐるみが入っているのが見えました。
それを発見した鴉は、心が踊り密かに笑いました。
(あれをプレゼントしたら、きっと驚くだろう)
嘴の太い輩(やから)とは違い、プライドの高い鴉でしたから、普段は人間のゴミ捨て場をあさることはありませんが、この日ばかりは手段を選んではいられないと、目的の袋を目掛けて地上に降り立ち、嘴の先で慎重に穴を開けはじめました。
(もう少し…あと少しで取り出せる……)
そう思ったその時でした。
「薄汚い鴉め!あっちへいけ!!」
突然、人間から罵声(ばせい)を浴びたと同時に、石を投げつけられました。
その瞬間、鴉は左の羽に鋭い痛みを感じましたが、そんなことよりも手に入れたかった目の前のものに必死で食らいつき、飛び立とうとしたのです。
ところが更に投げつけられた石によって、必死で食らいついたそれは、嘴(くちばし)から離れ、無惨にもアスファルトに叩きつけられてしまいました。
「この、こそどろ鴉が!!!」
容赦なく降りかかる罵声と石の雨に生命の危険を感じた鴉は、結局。
何も得ることなく、その場を立ち去ることしか出来ませんでした。
その場から遠く離れ、青色い屋敷の屋根に留まった頃、先ほどの怪我が今更になり鈍く痛みはじめました。
(……うぐっ)
鴉は、今にも消えてなくなりそうな、うめき声を発し、うずくまりました。
先ほどまでの浮ついた気持ちが一転し、痛みと同時に込み上げる、やり場のない悔しさが鴉を押さえつけ、間もなく以前の卑屈な気持ちが蘇り、心が闇に閉ざされてゆくのが分かりました。
しかし、その閉ざされゆく闇に、微かな光が射し込み、子猫の声が聞こえます。
『色?色は重要じゃない』
『そらのかなた。夢の街。はいれる』
(……あぁ。そうだった)
鴉は大事な事を思い出しました。
自分を必要と思ってくれる存在があることを。
(こうしては、いられない)
今夜に限っては、夜になる前にやるべき事があるのです。
朦朧(もうろう)とする意識を奮い立たせた鴉は、ある場所を思いつきました。
この地に辿りつく前に暮らしていた寝床の近くに、ゴルフの練習場があったことを。
(そうだ。あそこに行けばゴルフボールが簡単に手に入る)
以前、野良猫がゴルフボールを夢中で追いかけているのを見たことがあったのです。
鴉は気を取り直して、その場所へと向かうことにしました。
※
大事そうにゴルフの黄色いカラーボールを1つ咥えた鴉が、いつもの木へと戻ってくる頃には、すでに太陽が傾き、薄暗くなっておりました。
(少し待っていれば、子猫はやってくるだろう)
そう考えた鴉は、随分と体力も弱まっておりましたので、子猫が来る少しの間。
木の上で眠ろうと目を閉じました。
静かな浅い眠りの中、幸福な夢を見ておりました。
望月(ぼうげつ)を背に、子猫が楽しそうにボールで遊んでいる夢でした。
しかし、幸福な夢は、そう長く続くこともなく、
巨大な金属が、固い何かに擦れる様なけたたましい音で、一気に現実へと、引き戻されたのです。
(ビィーーーンーーーバンッーーーキキィイィイィィイーー!!!!)
目を見開いた鴉は、何が起きたのかと、暫くは呆然(ぼうぜん)としていましたが、つづく静寂な時の中、森に面した道路で赤いバイクが転倒しているのを確認すると。
それは、現実に起きた交通事故の音なのだと悟りました。
(…まさか)
いままで感じたことがない悪い予感が鴉の体を硬直させました。
転倒している赤いバイクのライトに照らされた、小さな物体を認めたからです。
(……あの子猫のはずがない)
鴉は無意識で目を反らしました。
今朝方(けさがた)のゴミ捨て場で、アスファルトへ無惨に叩きつけられた、子猫に似た縞模様のぬいぐるみが、脳裏に鮮明に蘇ります。
次の考えを巡らす前に、鴉は事故の起きた場所へと急ぎました。
確認した物体が想像のものと違っていることを、早く、その目で確かめたかったからです。
怖々その物体に近づいた鴉は、言葉を失いました。
アスファルトの上で微動だにしない小さな物体は、鴉がよく知っている容姿をしていたからです。
(……うそだ)
目の前に突きつけられた最悪の現実は、簡単に受け入れることが出来ません。
鴉は、為す術もなく無言で立ちつくしておりました。
少しすると、事故の音を聞きつけた人間が、こちらへと向かってきました。
以前、子猫を捕まえようとした眼鏡の男の人でした。
事故を起こしたバイクの持ち主に声をかけた様子でしたが、
バイクの持ち主は何を思ったのか無言で車体を起こすと、逃げる様な凄いスピードでその場を後にしました。
その後、子猫の鼓動を確認した眼鏡の男の人は、小さな声で子猫に何かを言い。
素手で子猫を持ち上げて、ひとまずといった具合に木陰へ移動させた後、屋敷の中へ戻っていきました。
《子猫は、即死でした》
鴉は空の彼方を見上げました。
夜空に穴が空いているかの様な丸い月が、燦々(さんさん)と輝いております。
そうです。今夜は《夢の街》の扉が開いているのです。
燦々と地上に降りそそぐ光を、恍惚(こうこつ)に眺めた鴉は、何かを決意したかの様に《ガァー》と短く鳴き。
木陰で眠っている子猫の傍へ近づくと、優しい口調で語りかけました。
「ねぇ。今夜は特別に、連れて行ってあげる」
鴉は、自分の羽を1枚引き抜くと、子猫の体にそっと載せました。
それから、絶望と希望が折り重なった美しく真っ黒い羽を、力いっぱい広げて。
祈る様に空の彼方へと、羽ばたきました。
ーー 彼等が共に遊び、語り合ったあの木に、もうじき咲く「山桜の花」を見る前に。
(了)
<あとがき>
この物語の一部は実際にあったことを元としております。
自宅の裏が森で、窓から文中の山桜の木が見えるのですが、そこで鴉と野良猫がよく遊んでおりました。
「こんなことってあるのだろうか?」と思いながら、その様子を眺めているのが楽しみでした。
文中に出てきたように、子猫を飼いたいという近所の人がいる程、愛くるしい容姿の子猫でしたので、近所の人達からは「アイちゃん」と呼ばれておりました。突然のバイク事故によって、天国へいってしまい。
窓から見える山桜の木が、本当に寂しくなりました。ひと言で言ってしまえば、ほんの数行の出来事ではあるのですが、私にとっては、色々な事を考えさせられた出来事でしたので、どうにかして記憶に残しておきたいという思いで、短く拙い文章ではありますが、1つの物語として書かせて頂きました。
野良猫のアイちゃん。そして、仲良しだった名もなき鴉。彼等が夢の街へ辿りついていることを切に願って。
2011年2月16日 mitapan.
※ 拙い文に、おつきあいしてくださった方がおりましたら、本当に感謝。ありがとうございます。



