本ブログには、ある程度書き貯めてあるモノのあれこれかまけてる内にタイミングを逃してしまったネタが幾つか在りまして…

その1つが、バンダイキャンディ事業部から発売された「スーパーミニプラ 装甲騎兵ボトムズ外伝 青の騎士ベルセルガ物語」レビュー。
今回は、朝日ソノラマ文庫版(以降 文庫版)の後半③④巻「メルキア騎士団計画」編に登場する主要AT三機を、何時もの裏付無・特定個人&団体への愛故のお気楽極楽与太話を交え、今更ながらレビューして行こうと思います。
ちなみに、前回は約1年前のこちら。とんだ体たらくとなってしまいましたが…ま、備忘録だから仕方がないね。うん。

お時間のある方のみ、何卒寛容にお付き合い下さい…それでは、どうぞ!
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さて、「青の騎士」のプロトタイプとも言える1984年の「デュアルマガジン版(以下 DM版)」では、主にカラー頁の「作例」&白黒頁の「解説」の二段階構成で記事展開が行われておりました。
「MSV」のボトムズ版という企画意図から、「作例」のためにわざわざ線画設定を描き起こし、その「解説」が為されていた訳ですが…これが80年代当時のサブカル誌に良く見られた深夜ラジオ的ノリの、軽妙かつ何とも小洒落た代モノだったのです。

何しろデザイナー自ら手掛けたデザインをアートミック系と自嘲したり、当時流行っていた「ひょうきん族」懺悔コーナーをパクって「作例」モデラーに〆切ギリアップだった事を謝罪したり。

この一風変わった「解説者」に対し、自分たちの間では親しみを込めて「愉快な兄ちゃん(アンチャン)デザイナー」と称し、楽しく記事を読ませてもらっておりました。

尤もその後DM誌が休刊となってしまい、残念ながら「愉快な兄ちゃんデザイナー」の「解説」を読む機会は永遠に失われてしまう訳ですが。

処でこの1985年と言う年は、リアル・スーパー・TV・OVA関係無くロボ物の百花繚乱・群雄割拠期。中でも特に注目度が高かったのが、ライバル誌「模型情報」に続々と新情報が掲載されていた「ガンダム続編」…そう、あの「機動戦士Zガンダム」(1985)です。
様々なメカデザイナーが参戦した事で知られるこの作品は、とある一人の若手デザイナーによって統一感ある物に纏められ、MSV的要素を押さえつつも新たな時代を感じさせる、まさに「新世代機」と言えるモノでした。

そして当時、自分たちは全く気が付いていなかったのです…全く異なる模型玩具2メーカー&ホビー専門誌2誌、同じ版権元の「ガンダム」「ボトムズ」2大キャラクターに跨がった「新世代機」を一手に担っていたのが、たった一人の人物の手によるモノだったとは。

ましてやそれが、あの自分たちが(一方的に)慣れ親しんでいた「愉快な兄ちゃんデザイナー」だったと言う事に。

当時DMの編集業務を請け負っていた、後に名ただる実力派クリエイター陣となる企画・編集集団「伸童社」の若きスタッフ達。

その中で「メカデザイン」に大きく関与していた「青の騎士」第四のキーパーソンこそ、「愉快な兄ちゃんデザイナー」ことメカニックデザイナー「藤田 一己」氏です。
「はた まさのり氏」原作の"本家"「朝日ソノラマ文庫版(以下 文庫版)」においては、その設定画・挿絵の全てを「幡池 裕行 氏」が描いていました。が、元々"元祖"DM版時は藤田氏がメカデザインを担当していたのです。

「文庫版」の発売時期を確認してみると、1985年6月・9月に①②巻、翌年86年5月に③巻となっているため、恐らく「Zガンダム」で多忙を極めていたであろう藤田氏の分まで、「青の騎士」デザイン・イラスト面を幡池氏が一手に担う形となったのであろう事が推察されます。

そんな藤田氏が再びメカデザインとしてクレジット&直筆画掲載されたのが、1987年2月に発売された初の「公式設定本」とされる「HJ別冊①(以降 ムック①)」。

渡辺 誠(MAX渡辺)氏」をはじめ、MAX FACTORY他名立だるモデラー達がHJ誌上にて存分に腕を奮う中、1987年7月に文庫版④巻、約1年後HJ版別冊②(以降 ムック②)を以て「青の騎士」は一応の決着を迎える事となります。

このような理由から「同機体でありながら様々なバリエーションが存在する」事となった「青の騎士」AT群ですが、その影響を最も受けたのが、これから紹介する本機となります。
ATM-FX1「ゼルベリオス VR-MAXIMA(以降 ゼルベリオス)」。次期主力AT開発計画「FXシリーズ」の一環として開発された、カラミティドッグのブルーバージョン(白兵戦仕様型)。

仇敵「黒き炎」との戦いで大破した"青の騎士"「ベルセルガBTS(以下 BTS)」に代わり、"狂戦士"「ケイン・マクドガル」がミーマ・センクァーターより譲り受けた機体となります。

※…なおグリーン・レッドver.はパーツ取りに回したため割愛させて頂きます。
今回も製作方法は「スーパーミニプラ」ならではの、何時もの「パチ組・ガンプラマーカー」によるお気楽極楽対応。

プラモは普通「全体のまとまり」を重視して「各部」のトーンを一致させて造りますが、この「ゼルベリオス」に関しては「最新鋭機」という設定から、従来の「ATらしい製作セオリー」を敢えて無視した「メーカー納品直後の完全新品」をイメージ。

ただ物語上、ケインに供給後そのまま実戦に突入するため「オフロードバイクの新品でいきなりコケまくり(実体験済)」を再現するために、懐かしの技法「銀チョロ」をホンの少しあしらうつもりでしたが…これが良くなかった。

成形色活かしで軽くペーパー当て地慣らして丁寧にクリア吹いて磨き込みという、F1や車やオンロードバイク定番の「スケールモデル」的手法で一旦纏めた訳ですが、よくよく思い返して見れば何時もはここで「完成」なんです。

つまり「まっさらな新車状態」から汚しを入れるなんて事は「スケールモデル」はおろか「キャラクターモデル」でもやった事が無かったので…元々大好きな「銀チョロ」の手がまあ楽しくって止まらない。

結果的に興が乗り過ぎて、気が付いたら「事故車一歩手前状態」まで汚しまくってる有様。後悔の残るモノとなってしまいました… _| ̄|○

処で、今回ミニプラ化された「ゼルベリオス」は「ムック①②」にて藤田氏によってデザインされた、言わば「公式別冊版」の最終決定稿デザイン。

ですが、2020年現在までにおける「青の騎士」書籍の中で最も入手しやすい「本家文庫版」を読んだ方、特に当時を知る人ほど内心こう思っていらっしゃるのでは無いでしょうか。
「違う、そうじゃない」と。

何故なら、各パーツデザイン・シルエットこそ準備稿とも言える「元祖DM版」と同じ物の、「本家文庫版」と「公式別冊版」とでは、頭部デザインやそのスタイル・色合いからして、その解釈が全く別モノとなっているからです。
ちなみに「青の騎士」発表当時、最も早く(ガレージキットとは言え)「公式」に商品化された「MAX FACTORY製ソフビキット」版ゼルベリオスも「本家文庫版」…いわゆる「幡池版ゼルベリオス」でした。

では、そんな「本家文庫版=幡池版ゼルベリオス」とはどんな物なのか?それがこちらとなります。
ご覧の通り、色合い・スタイル・頭部デザインからして、現在「ゼルベリオス」とされる「公式別冊版=藤田版」とは全く異なるモノとなっています。

何故こんな事になってしまったのか?コレは「青の騎士」に関わる「4人のキーパーソン」の思惑の違い(変化)が大きく影響していたりします(※)。

※…この辺りの事情については、新装版発刊時に当事者自身(最終巻の後書きにて はま氏が/特別サイトのインタビューにて幡池 氏)が、各々詳細に語られています。

元々この四人のキーパーソンに共通していたのは「大のボトムズファン」と言う点で、それ故「多大なるリスペクト」を以て事にあたっておりました。

元祖DM版・本家文庫版①②巻までは「一人称での語り」「既存ATバリエーション」「バトリング」と言う「ボトムズ本編内の枠組み」の中で存分にボトムズ愛を発揮。

その結果、世の最低野郎共(ボトムズファン)から大絶賛を以て受け入れられる事となります。処が人気作となったその結果、望外とも言える続編要請が。

そうなると、今後の展開は大きく分けて2つの選択肢しかありません…枠組み内で事を進める「保守派」と、枠組み外で事を為す「革新派」です。

どちらが良い悪いも無いのですが、ここで四人のキーパーソン達の「思惑」が明確に二分化して行く事となります。

「ボトムズファン」に直接相対す機会が多い挿絵担当の幡池 氏&モデル担当の渡辺 氏は、あくまで「ボトムズ本編内の枠組み」での進行を主張。言わば「保守派」となります。

それに対し、「物語の縮小生産」を良しとしない脚本担当の はま 氏&デザイン担当の藤田 氏は、「ボトムズ本編内の枠組み」を越えた新たな方向性を模索しつつありました…言わば「革新派」です。

「大のボトムズファン」「多大なるリスペクト」という起点に何の変化もありません。ただ、その発露の方向性=ベクトルが全く異なってしまったのです。

最終的に③④巻「メルキア騎士団計画」編については「三人称」「新規ATバリエーション」「戦場」と言う「ボトムズ本編の枠組み」を大いにはみ出す「大幅な路線変更」が敢行される事となります。

なお はま 氏は、ムック①&新装版後書きにおいて「ボトムズ」総監督の高橋 良輔 氏に「青の騎士」の今後の展開について相談し、自由にやっていいとの内諾を得ていた事を述べています。

また藤田 氏も、「ボトムズ」「ガンダム」共にメカニックデザインの大河原 邦男 氏から自由にやった方が良いと後押しされた事をデュアルマガジンをはじめとした各模型誌記事内で語っています。

つまり、この「大幅な路線変更」については、(版権元たるサンライズはおろか)オリジナルスタッフへの仁義(裏付・許可)をしっかり通した上での展開だった事が伺えます(※)。
※…高橋監督・大河原氏のみならず、版権元サンライズも含めた「ボトムズ」の「他クリエイターに対するコンテンツとしての許容範囲の自由さ」は、後に発表された新世代ボトムズ「ボトムズ・ファインダー」「ケース・アービン」によって証明されています。

尤も、さすが各方面で凌ぎを削ってきたトップクリエイターの四人。製作過程上でよくある意見のぶつかり合いと言う「戯れ」として、その後の「青の騎士」の展開についてもキッチリと「痺れる仕事」をこなしていきます。

ただその結果、(「元祖DM版」は雑誌&準備稿という事で置いとくとして)公式書籍上に以下2種の「ゼルベリオス」が存在する事となってしまったのです。

【1】1986年05月~:文庫版「青の騎士」③④巻=「幡池版ゼルベリオス」

【2】1987年02月~:ムック「青の騎士」①②=「藤田版ゼルベリオス」

本企画取り纏め役の「伸童社」は、製作者側の意図として「個別のイメージに自由であって欲しい」としているようですが…(※)
※…事例として幡池版ゼルベリオス」を採用したプレイステーション用ソフト(1997)が上げられます。

問題なのは、「ガンダム・センチネル」と異なり公式書籍どちらもほぼ絶版&再版機会が無く、再評価の機会が現在皆無な事。

そこでせっかくのこの機会。同じ「元祖DM版」デザインを起点としながらも、その解釈次第でどれだけの違いが出るものなのか?

ここで「幡池版」「藤田版」各々のゼルベリオスを(あくまでも自分個人の見解で)比較・検証してみようと思います。

【幡池版ゼルベリオス】

挿絵担当の幡池 氏&モデル担当の渡辺 氏により「ボトムズ本編内の枠組み」=「保守派」として纏められたのが、この「幡池版ゼルベリオス」。

本家文庫版」内で記載された個性を押さえつつ「ATの特徴」は外さないよう、むしろ「ATの中のAT」としてデザインされています。

・色=青は青でも、ミリタリー色の強いマリーンブルー
・スタイル=重心が低くガッシリとしたモノ
・各パーツ=□(四角)のマス感ある各部位で構成
・頭部="ニヤリ"と笑った口を連想させる左赤センサー等、デュアル・アイを否定する左右非対称

特筆すべきなのは、まさに当時 幡池 氏&渡辺 氏の意見のキャッチボールによって発表された、初出にして究極の立体モデル「MAX FACTORY製ガレキ」だけが持つ説得力あるメッセージ。
「かつての仇敵シャドウフレアのケイン版=ケルベリオス」と言う、唯一無二の「燃えるドラマ性」を想起させるデザインだと言う事です(※)。

※…これは「ドッグ系SAKを基としたセミスクラッチ推奨」という、シャドウフレアが持つモデラー向けの存在意義・特徴をも引き継いでいる事を意味します。

【藤田版ゼルベリオス】

それに対し、脚本担当のはま 氏&デザイン担当の藤田 氏により「ボトムズ本編内の枠組みを越える」=「革新派」として纏められたのが、今回スーパーミニプラ化を果たした「藤田版ゼルベリオス」。

これは言わば「ATの常識を外したAT」として「本家文庫版」内で記載された個性を更に押し進め、敢えて「ATらしさ」のギリギリを見定めるようデザインされています。

・色=ヒーロー色の強い純粋なブルー
・スタイル=下半身に行くに従い、左右横から前後厚に変化させ、重心を高くスマートにしたモノ
・各パーツ=▽(逆三角)のシャープな各部位で構成
・頭部=デュアル・アイを彷彿とさせる左右対称

かように「青の騎士」にかつて有った無言のルール「既製品の改造によるキャラ付け」制限が手放され、ほぼ新規の「専用機デザイン=ヒーロー機」というキャラ付けとなっています。
中でも特筆すべきは「頭部が左右対称」という点。まずは当時のデザイントレンド「異形化」(後述)をATでも試そうと、バイザー下部に左右均等な「切り欠け」を設け、中央凸を小型「口部」・左右凸を「頬当て」に見立て、意図的な「小顔化」を図っている点。

また左赤センサーを基本とし、右緑センサーは主役メカとしては初めて「スカウター」概念を採用。デュアル・アイ」を彷彿とさせつつ「ATの左右非対称性」を辛うじて維持している点です(※)。
※…「スカウター」の元ネタは「機動戦士ガンダム」(1978)のコックピット内照準システムからと言うのが定説ですが、サンライズのリアルロボ物では敵メカで既にお馴染みのデザイン。ちなみにメジャー化した「ドラゴンボール」での初出は、数年後の1990年以降となります。

この「ケインのヒーロー性の象徴=ゼルベリオス」と言う扱いは、ボトムズ本編が推奨してきた「脱キャラクター性&ミリタリー路線」からの脱却をも意味していました(※)。

※…尤もこれは、ボトムズ本編における大幅な路線変更・起承転結の「転」=「クエント編&ラビドリードッグ」に対するリスペクトと捉える事も出来ます。

実際に1987年のムック②&文庫版④巻以降、「青の騎士」は「ヒーロー&未来兵器路線」へと大きく舵を切る事となったからです(※)。

※…ガンダムにおける「ニュータイプ」のように、世界観に関するネタバレが起きた段階で大きく物語転換が起きるのが「リアルロボット物」のセオリー…的な見方も、80年代当時は確かにあったのです。

では最後の〆として小ネタを一つ。今回の「スーパーミニプラ」は「豊富な余剰パーツ」と、それを「自由に付け替え出来る事」が隠れた「売り」ですが、機体本体の組換に関してはかなりの制限があります。

色々と試してみましたが、形になりそうな物の1つが以下の「改修案」。
今回の「藤田版」を基とし「シャドウフレア」の頭部に差し換える事で「幡池版ゼルベリオス」の叩きになりそうかを試してみた物となります…ちょっと夢が拡がりますね。
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次のお題はこちら。本機については「何故か何時までも劣化しない」という設定から、これまた従来の「ATらしい製作セオリー」を敢えて無視した「新品」をイメージ。

全身黒一色・マーキングは最初から着彩済みと言う事で、何時もの「パチ組・ガンプラマーカー」によるお気楽極楽対応ですとアッと言う間に完成してしまいます。

前面の曲面装甲はギラギラヌメッとするまでクリアを多層吹きして磨き込み。後面のメカ露出部はメタリックで塗り分けて…とかやってたのですが。

どう塗ってもエンジン=内燃機関の低テクノロジー感・何より本機が持つ「塊感」が消えてしまうため、最終的には全面艶消し黒で塗り潰し、形状把し易いよう外辺のみ銀チョロでヘリ出しを行いフィニッシュとしています。
アストラギウス銀河以外で作られた事以外、駆動系及びジェネレータも解析不能。強大な力を維持し続ける未知の人型兵器「レグジオネータ(RECTIONETER)」。

約5,000年前のメルキアの地層から発掘され、「青の騎士」において「全てのATの祖」とされる。その実態は、自身を扱える者のみで文明を築くと言う選民思想に基ずき稼働する「凶兵器」。パイロットはケインのクローン「K´(ダッシュ)」。

…今回のボトムズを始めとし「機甲界ガリアン」(1984)、「蒼き流星SPTレイズナー」(1985)、「ガサラキ」(1998)等。

この「ロストテクノロジーの再利用」というモチーフは高橋良輔監督のリアルロボット物作品においてよく用いられる手法で、はま氏のリスペクト度合いが察せられる設定が「レグジオネータ」には集約しています(※)。

※…そして、同じサンライズの富野由悠季監督も「伝説巨人イデオン」(1980)、「戦闘メカ ザブングル」(1982)、「重戦機エルガイム」(1984)そして「∀ガンダム」(1999)等で用いており「サンライズのリアルロボット物全般へのリスペクト」と捉える事も出来そうです(…あ、勇者ライディーンもか)。

ムック①でその存在がチラつかされ、単行本④にて大暴れした本機ですが、今回の「青の騎士」スーパーミニプラシリーズの中で、個人的には最も楽しませてもらったモデルかも知れません。と言うのも…

①これまでの「日本のキャラクターコンテンツ」の中で当時「最も先進的かつ野心的なラスボス像」を提示して見せた事

②そのくせ「装甲騎兵ボトムズというコンテンツ」の中にあっさりと溶け込んで見せた事=「ATの最低必要条件」を提示して見せた事

この二大特徴が本機には備わっており「直接この手で触って立体考証したい!」と前々から常々思っていたからです。

と言う事で、早速このモデルを使ってその二大特徴を確かめていこうと思います。まずは、こちらの写真をご覧下さい。
「青の騎士」シリーズにおいて、このレグジオネータは最悪・最凶にして最強な、まごう事無き「ラスボス」として君臨している存在。そう聞いて改めて見直してみた時、こうは感じませんでしたか…?

「小っちゃ!」そして「頭デカっ!」と。

実はそれこそが、先に述べた二代特徴の一つ。

①これまでの「日本のキャラクターコンテンツ」の中で、当時「最も先進的かつ野心的なラスボス像」を提示して見せた事

となります。

まずはその「小っちゃ!」さに「シンプルさ」も交え 、これまたあくまで自分個人の見解で過去の事例と比較・検証してみようと思います。

まず「強大な敵」のパターン…当時の「ファミコン=TVゲーム」ブーム風に言わせてもらえば「ラスボス」の必要最小条件とは一体どんなモノなのか?以下3つまで絞り込む事が出来ます。

【ラスボス3条件】
▪️あらゆるキャラより巨大な事
▪️あらゆるキャラより派手な事
▪️あらゆるキャラより暗色な事

これは「強大」な事を示す全世界的なパターンでもあるのですが、日本人は特にそれをエスカレートする傾向があるようです(※)。

※…これは、日本人が本能的に持つ「小柄な事へのコンプレックス」と、独特の美徳感性…武士道にも通ずる「滅びの美学」のためとされています。

故に、1960年代のテレビ漫画元年からこちら、日本のあらゆるキャラクターコンテンツ内において、この【ラスボス3条件】は頑なに堅持されてきました。

無論数少ない例外は存在します。この年代で言うと大友 克洋 氏「童夢」(1980)のチョウさん。
尤も2020年現在、この「ラスボス3条件」は過去のモノとなっています。それは鳥山 明 氏が「ドラゴンボール」(1984)に「フリーザ第4形態」を登場させた事で、日本のラスボス像を根底から覆し革命をもたらしてしまったため(※)。

※…逆説的に言えば、大友氏&鳥山氏ほどの筆致力が無ければ「3条件」を覆すラスボス像を描けなかった証とも言えます。

が、その登場は1990年以降。ましてや80年代当時は「ロボット物」ジャンルにおいてトレンドとなりつつあった「異形」(後述)デザインのまさに確立&全盛期。

そんな最中【ラスボス3条件】の2条件「巨大」「派手」(そして、紋様以外の「悪魔(悪)の意匠」)をアッサリと放棄し、時代を先取った「小っちゃ!」&「シンプル」さで勝負。見事「ラスボス」を成立足り得たのが、この「レグジオネータ」なのです。

では何故ラスボス3条件のうち2条件を外しながらも「レグジオネータ」はラスボス足り得たのか?

それは、これまでのラスボスが「物理的不安感」を裏付として成立していた事に対し、「レグジオネータ」は「生理的嫌悪感」を徹底的に突き詰める事で成立させたからです(※)。

※…数多のキャラクターデザイナーの矜持に直結する この「生理的嫌悪感」要素の採用方法。「ウルトラマン」の成田 亨 氏は、対象たる子供達のため頑なにこの路線を避けたと言います。

※…方や「仮面ライダー」の石森 章太郎 氏は「代換・単純化」する事で間接的に「生理的嫌悪感」要素を投入し、キャラクターに「愛嬌」「哀愁」性をもたらす事に成功しています。

※…処が、大量消費されていくキャラクターデザインにおいて「表現の可能性」の方に魂を売り渡してしまい「悲劇」という名のトラウマを子供達に植え付けてしまった「天災」もまた存在しておりました…それが「デビルマン/マジンガーZ」の永井 豪 氏と「漫画の神様」手塚 治虫 氏となります。

なおこの手法は、大友氏が「共感性の無い肉塊としての人」を、鳥山氏が「ハチュウ類」をモチーフとして採用していたモノ。

では藤田氏は何を「モチーフ」とし、何を「テーマ・コンセプト」として、この「レグジオネータ」のデザインに行き着いたのか…そのヒントが「頭デカっ!」に隠されているように思えます。

そこで発表時の1980年代当時の世相を踏まえつつ、極めて個人的な当時の思い込みで、その過程と根源を推察(邪推)してみようと思います(※)。

※…尤も、今や事の真相が分かる訳も無く、その是非を問うつもりも無く…単に「妄想・邪推を想起させる出来の良い立体片手に呑む酒は旨いよね?」という全くのホラ話となります。

まず「レグジオネータ」が発表された文庫版④巻発売前後(1987年7月)の「発表当時の世相」、映像コンテンツを取り巻いていた空気感から押さえていく事にしましょう。

1980年代当時(以降、当時)。映像コンテンツを取り巻いていた空気感を最も的確に表す言葉として、よく引用されていた用語があります…いわく「エロ・グロ・ナンセンス」

元言語は昭和初期の物ですが、当時のメディア作品に対する気分を過不足なく伝えています。

「倫理面」の既成概念その物が、ある意味で最も「ユル」い時代…性と暴力表現に対し比較的寛容だった1970年代。

処が、80年代に入り次第にこれらがやり辛くなってきます。この表現方法に対する閉塞感とストレスがメディア全般に蔓延した結果、「エロ・グロ・ナンセンス」要求を増長させる事になってしまったのです。

製作側は隙あらば視聴者たちにトラウマを植え付けんと、意図的に何かしらを為し遂げさせるための「犠牲」を伴わせ、ビターorバッドエンド…今で言う「鬱展開」を叩き付けるようになります。

視聴者側も安易な「平和で幸せな結論」ハッピーエンドを自ら拒否。双方、より刺激的「ナンセンス」な内容を求めるようになっていたのです(※)。

※…そんな「製作者側の表現要求」と「視聴者の潜在欲求」が一致した処に、双方の欲望を満足させる恰好の機会を提供したのが、1980年代に登場した「OVA」と、1990年代に登場した「Vシネマ」となります。

ここで注目したいのが「エロ・グロ・ナンセンス」の「グロ(グロテスク)」。おかしな話なのですが、この映像表現にも当時流で言う「トレンディ」路線が、確かに在ったのです。
それが、TVアニメ「北斗の券」(1984)(漫画原作版は1983)の「あべしっ!」や、劇場版「AKIRA」(1988)(漫画原作版は1982)の「か、金田ーっ!」に代表される「内側から膨張する肉塊」表現(※)。

※…これは「禁忌」「得体の知れない理不尽な力(パワー)」の暗喩表現にもなっています。「風の谷のナウシカ」(1984)のドロドロに溶けながら一発放つ巨神兵も印象的でした。

この80年代トレンディグロな空気感を踏まえた上で、改めて「レグジオネータ」の全身をご覧下さい。
中央ブロックに張り巡る赤紋様を除けば、余計な装飾物がほぼ無い「シンプル」な前面の身体ブロック構成。

特筆すべきは(実際に生体パーツを用いて無いにも関わらず)全身を被う黒光りした「複雑にうねり混む曲面構造の前面外装」と、80年代トレンディグロ「内側から膨張する肉塊」表現とのシンクロ率の高さ

この"体液に艶滑りした肉塊"と"背面の内部機構"そして「頭デカっ!」が相みまう事で、「異物としての機械を噛み込んだ胎児」を連想させる効果を産み出したのです。

「胎児」と言えば、当然ながら"赤ちゃんの元"即ち「命の根源」であって、それが"暴走する力"によって、維持装置たる"機械"を巻き込み「別の何モノかに強制的に成長」させられていく…これ程迄に「暴走する力」そして「命を冒涜」した表現はありません

故にレグジオネータは、倫理面・精神面・肉体面の全方位において「生理的嫌悪感」を想起させる事に見事成功しているのです。
なお、先程事例で出した劇場版「AKIRA」(1988)の「鉄雄暴走」シーン(体液に艶滑りした肉塊・異物としての機械を噛み込んだ胎児)は、原作たる漫画版連載に先立って初お披露目されたモノ。

「青の騎士」最後のムーブメント「ムック②」の発売は、それより更に一足早い1987年の御目見えだった事もあり、最初に見た時の第一印象が「…レグジオネータまんまじゃん…」だった事を今でも思い出します。

かように、レグジオネータは「異物としての機械を噛み込んだ胎児」を「モチーフ」として誕生した事を妄想させる訳ですが…一体何を「テーマ・コンセプト」とする事で、このデザインに辿り着いたのでしょうか。

先に話した通り、レグジオネータは全体的に、前面が「生体」(をイメージした装甲)/背面が「機械」(剥き出し構造)となっています。

この「生体&機械」のハイブリットデザインと言えば、「エイリアン」(1979)の「H・R・ギーガー」ラインと言うのが、1980年代当時における「お約束」でした(※)。
※…アイレムの「R-TYPE」(1987)・ハドソンの「邪聖剣ネクロマンサー」 (1988)・萩原 一至 氏の「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」(1988) 等、その影響は計りしれません。

また先程の「胎児」と言えば、当時真っ先に思い浮かぶのが「2001年 宇宙の旅」(1968)の「スター・チャイルド」(※)。

※…「伝説巨神イデオン」(1980)の「メシア」の元ネタとも言われていました。
そして、レグジオネータの大型頭部「半球 + 台座」構造は「スター・ウォーズ」(1977)に登場する「生命維持装置が痛々しい、マスクを取ったダース・ベイダー(=アナキン・スカイウォーカー)の頭部」と、全く同じ構造なのです。

これまでの要素を羅列する事で、1つの法則が見えてきます。まだまだ有るかも分かりませんが…

・「エイリアン」のエイリアン…シリーズを司る「起源」デザイン

・「2001年 宇宙の旅」のスター・チャイルド…「起源」への発展・帰結の象徴

・「スター・ウォーズ」のアナキン・スカイウォーカー…シリーズを通じた物語の「起源」

「青の騎士」において「全てのATの祖」とされる「レグジオネータ」は、1980年代迄の所謂「SF洋画」を「テーマ」とし、「起源」を「コンセプト」としてデザインされたのでは?と妄察する事が出来ます。

そんな「レグジオネータ」は、そもそも「左右対象」なデザインな上、「センサー部」つまり「目」に該当する部分もありません。ただ、頭部中央下部に小さな「吸排口」らしき物があるのみ。

ATにとって「目」となる「センサー部」は、その形状から「タコの口」とも称され「スコタコ」の愛称の基ともなった訳ですが、この「吸排口」が辛うじてタコ口ならぬ「おちょぼ口」をギリギリ形成しているのみ。

こんな「生理的嫌悪感の塊」のようなデザインで全く「AT」らしく無いレグジオネータですが、少なくとも自分周りの「最低野郎共」(ボトムズファン)には不思議と「ATの亜種=愛されメカ」として認知されておりました。

この不思議な「謎」については、これまた当時ならではの別の切り口で見直してみると腑に落ちる部分が出てきます…その秘密は「頭身」にありました。

と言う訳で、今度はそれを踏まえた上で、改めて「レグジオネータ」の全身をご覧下さい。

まずレグジオネータを正面から見た場合、胸部と一体化した巨大な「頭部」を基準とすると、その頭身はおおよそ「2.5頭身」となります。この話は一旦置いとくとして…

レグジオネータを背面から見た場合、肩より上にはみ出た部分を「頭部」として捉えると、その頭身はおおよそ「5.5頭身」となります。実はこれ「標準的ATの頭身」だったりするのです。

なお「ボトムズ本編」に出てきた最も頭身の低い「ツヴァーク」で約4.5頭身、「青の騎士」の「オクトバ」に至っては約2.5頭身…即ちレグジオネータと同じ頭身となります。

つまり「ATの頭身は5.5頭身以下~2.5頭身以上」という条件付けが、「青の騎士」という作品を通じて既に仕込まれていた事となります。

これが、少なくとも自分周りの「最低野郎共」(ボトムズファン)に「ATの亜種=愛されメカ」として認知された理由となります。即ち、先に話した…

「②そのくせ「装甲騎兵ボトムズというコンテンツ」の中にあっさりと溶け込んで見せた事=「ATの最低必要条件」を提示して見せた事」へと繋がっていくのです。

では、その最低必要条件とは何か?自分なりに三原則としてまとめたモノが以下となります。

【ATデザイン三原則】
①頭身が5.5頭身以下(2.5頭身以上)な事
②デュアル&バイザー・アイで無い事
     (顔面が左右非対称であるのが望ましい)
③頭部と胴体の幅が同じな事
     (首が無いのが望ましい)

しかも話はこれだけに留まりません。当時のキャラクターコンテンツにおいて、この「2.5頭身」はまた特別な意味を持つからです…そう。「可愛いは正義!」を地で行った「SD(スーパーデフォルメ)」ブームをも、レグジオネータは取り入れていたのです。


尤もこれは、「タカラ」という同じ玩具・模型メーカー内において、リアルロボットプラモデルシリーズ「SAK」に完全に引導を渡した「逆コンセプト商品」を示唆する皮肉な結果をも産み出してしまいます。

あの「面白カッコいいぜ!」なキャッチコピーでお馴染み「魔神英雄伝ワタル」(1988)の「プラクション」シリーズです。
ラスボス・レグジオネータが先に提示した「生理的嫌悪感」の法則が、ワタルの敵メカに逆採用されているのが、また何と言うか…(※)

※…というのは流石にウソ八百な盛り話。実際は「トランスフォーマー」(1985)に代表される変形玩具路線への大変革が、タカラのプラモデル事業からの撤退を促したと言われています。

ですが、少なからず「SAK」シリーズに思い入れを持っていた当時のモデラーからすれば、少々苦い思いが過るのもまた事実なのです。

…と言う事で「小っちゃ!」そして「頭デカっ!」な「レグジオネータ」が、当時どれだけブッ飛んだラスボス・デザインだったか、少しはお伝えする事が出来たでしょうか。

ではこちらも、最後の〆として小ネタを一つ。自分は「レグジオネータ」に対して、正直「生理的嫌悪感」の方がどうしても先に立ってしまうのですが…。

今現在の「SDを見慣れた今の視点」、即ち「解像度をわざと下げる」視点で見直したら、もしかしたら可愛く見えてくるかもしれません。
と言う訳で、先の「ファニー・デビル&サーバルちゃん」同様、ジャパリパークの乗り物感覚で「レグジオネータ&かばんちゃん」をコラボさせて見たのがこちら。

ん、んん~っ?かわいい、か、…なあ~…

…と言う事で、またもや文字数制限に引っ掛かってしまったので今回はここまで。
次回いよいよ「青の騎士」編の最終回。レグジオネータのぶっ飛び度合を遥かに凌駕した「ボトムズ界最大の問題事」こと「テスタロッサ」を、当時の世相を交えレビューしていきます。それでは、また。