◼️その4:メガゾーン23 劇場公開

当時、玩具や模型の商品化がからむ「リアルロボ」に関しては、玩具屋や模型屋で配布されていた、各種情報誌やチラシ等によってアニメ誌の情報補完が行われていました。
株式会社バンダイより発売されていた「模型情報」「B-CLUB」

 OVA展開の本作に関しては、当然そのような動きはありません。ですが当時、東京在住だった一中学生には、図書館や児童館のような感覚で当たり前のように利用していた「とある無料施設」がありました。

現在、有明にあるTOYOTAのテーマパーク「MEGA WEB」のような、いわば無料の「アンテナショップ兼テーマパーク」が最もイメージに近いと思います。

そこでは様々な最新のアニメ・邦楽・洋楽を体験出来るだけで無く、先行情報満載のチラシや作品紹介パンフレットが配布され、イベントまでが「全て無料」で行われているという、今考えるとやり過ぎでゾッとするようなサービスが供給されていたのです。

高田馬場のアイコンでもあり、ランドマークでもある「BIG-BOX」の九階にその施設はありました…その名を「ビクターミュージックプラザ」と言います。


高田馬場のアイコンでもありランドマークでもある「BIG-BOX」。現在は青ですが、当時の正面パネルは赤色でした。


高田馬場という土地柄もあって「ブームを先導する大学生を対象」とし、今現在も続いている「ファンイベント」の先駆けのような事も行われていました。今で言うと「限定イベントライブビューイング(無料)」みたいな感覚です。

その先行受付・定人数締切制のチケットを入手する為、友人たちと共に学校帰りの学生服のままチャリを飛ばし、BIG-BOX内の階段に並んだものです。実際に一中学生と愉快な仲間たちが行っていたイベントは次のような物になります。

■ラジオ番組「アニメトピア」公開録音

■OVA「BIRTH」先行試写会

■「メガゾーン23」イベントキャラバン&宮里久美ミニコンサート

…Etc.etc.

特に「メガゾーン23」イベントキャラバンでは、何かしらのくじで「時祭イブ・等身大ポスター」が当選してしまい、どう持ち帰るか?そもそもこんな大きな物をどうするのか?と、むしろ困惑してしまった事を思い出します。

この「等身大ポスター」「イベント限定グッズ」という存在も、実はここから始まったように思います。

ですので、少なくとも一中学生の周りでは「Zガンダム」ばりの情報展開、及びマーケティングが行われており、正に「今を生きている旬なコンテンツ」として認識していたのでした。



1985年3月5日、本作の「ビデオソフト」が発売された訳ですが、アニメ誌やカタログにそう記載されていただけで特に何がどうと言う事はありません。

当時の値段で約一万五千円、今の感覚だと四万五千円以上の価格設定だった為、とても現実の物とは思えなかったからです。

よって東京在住の一中学生としては、少し遅れて劇場公開される3月23日(土)こそが本番となります。

当時の学校は土曜午前授業が当たり前で、多少ヒヤヒヤもしましたが、初回当日は春休みという事が分かりその憂いは完全に消し飛びました。後はそれに向けて前日夜から皆と並ぶだけです。

なぜ「初日初回」にそれほどまでにこだわるのか?それには以下のような事情がありました。

「完全予約・入替制」が当たり前の紳士的な「現代のシアター」と異なり、「当時の劇場」は「先着順・居座り」が大前提。初回特典狙いで並ぶ現代とはまた異なる意味で、弱肉強食かつ野性的な場所でした。

アニメ作品は基本的に上映期間が短く話題作ほど「立ち見で見えない」。最悪「劇場にすら入れない」まま公開終了という状況も起こりえます。

その為「誰よりも早く並ばないといけない」という「言い訳」大義名分が親に対して成り立つ事になります。実はこれこそが、当時の学生達にとって最重要ポイントでした。

親が真面目な「子供向けアニメ映画」と舐めてかかっている盲点を突き、大手を振って如何わしい「青年向けアニメ映画」と「夜遊び」という「大人な時間を楽しもう」というのが、学生達の本来の目的だったからです。

ヤマト・ガンダムの流れから、様々な「青年向けアニメ映画」が春・夏・冬休みに公開されましたが、これは塾帰りに「コンビニやゲーセン」に立ち寄る位の夜遊びしかしてこなかった学生達にとって、親公認で「徹夜で友達同士で並ぶ(=遊ぶ)」事が出来る絶好の機会を産み出しました。

この流れから本作もごく自然に皆で見に行く事が決定付けられていたのです。

この事例からもお分かりの通り、一中学生とその周辺のバカ共は反抗期のくせにしっかりと門限は守っておりました。とんだ不良もいたもんです。こういう口先だけで、中途半端な根性無しは只の「輩(やから)」と言います…まあ、それはともかく。

 そして、ついに運命の日。本作の劇場公開初日…3月23日の土曜日がやってきました。

公開直前日の夕刊広告

正確には前日22日の夜8時に友人達と待合せ、まだ春とは名ばかりの夜の寒空の下、西武新宿駅目指してチャリをかっ飛ばします。完全にお祭り感覚ですね。

「現代のシアター」と違い「当時の劇場」にはまだ規制概念その物がありません。既に東京新宿・歌舞伎町の名画座ミラノ(現在の新宿東急ミラノ)脇には、多くの先輩方が列を作り、思い思いのスタイルでその上映を待ち望んでいました。

ガイナックス「おたくのビデオ」。この頃のおたくの情景が封じ込まれています

こちらも手慣れたもので、防寒 兼 シート代りの新聞紙を地べたに引いて一夜の陣を築きます。皆で持ち寄った各種アニメ誌やカタログ・チラシや菓子やトランプを手に、まずはひとしきり昨今のアニメ談義。

この時点でZガンダムは3話までしか放映しておらず、ガンダムMk-Ⅱは黒いまま、カミーユの目の前でお母さんが撃たれました。

話が落ち着くと、交代で公園のトイレや自販機のホットコーヒーで休憩タイム。

当時はまだ繁華街までコンビニは普及しておらず、ゲーセンは先に施行された「風適法」によりとっくに閉店しています。もっとも開いてた所で、不良や暴力団がはびこっていて、恐くて近寄れないんですけどね。

手持ちの退屈しのぎが底を尽きかけるのを見計らい、同じく退屈を紛らわそうと周りの先輩方から声がかかり始めます。これこそが徹夜並びの醍醐味「先人の知恵や技術を惜しみ無く披露するの巻」です。

どこから調達したかも分からぬ資料を見せてくれたり、魔法瓶に入れたお湯でカップヌードルを作って差し入れてくれたり、剛の者に至っては発電機とビデオデッキと小型テレビを持ち込みその場で上映会を始めたり。

「ワンフェス」も「コミケ」もそうでしたが、諸先輩方は確かに風体も言動もどこかおかしかったけど、年少の者に対しては常に「バカを真剣にやる」新鮮な驚きと楽しさを与えてくれ、何よりとことん優しかった。

ルールやコツみたいな事も伝授してくれ、大人への憧れがそのまま具現化したようで、これが嬉しくてわざわざ徹夜で並びに行っていたのです。

少し雨がパラつきましたが大した影響もなく、空が白みかける頃、ようやく劇場側から従業員が出てきて列が動き始めました。相手をしてくれた諸先輩方にきちんとお礼を言い、一夜の陣とゴミを速やかに回収します。

ここからは諸先輩方も、一夜の友から場所取りのライバルへと変貌していきます。

弱肉強食な「当時の劇場」でしたが、並ぶ人が多数の場合、従来の予定よりも早く初回上映を行う事もあるという利点がありました。故に予測が立たず、こちらも迅速かつ臨機応変な対応が求められます。そしてまた、この緊張感が堪らないのです。

前売券をモギリに渡し、その流れでパンフを購入します。この流れで入手しておかないと、次に入手するタイミングが読めない為です。裏ページを一瞥し劇場限定グッズの紹介が無い事を確認、ザッと狭い場内を見定めます。

当時のアニメショップ。映画館の中も大体こんな感じ

「出店してるのは、アニメショップあいどる?」「同じく新宿にあるアニメショップ・ペロで見た事あるグッズばかりだね」「一応ビデオソフトも売ってるんだ?」「初めて見たけど、あんな高い物ここじゃ売れないよ」

…そうです。今思えば「機動戦士ガンダムUC」初と言われた劇場ソフト先行販売が、既に本作で行われていたのです。

レコード店でのビデオソフト取扱も一般的では無いこの時代、実質先行販売と言っても差し支えないでしょう…もっとも、誰も購入していませんでしたが。

「当時の劇場」の様子をもう少しお話しておくと、今のイベント運営の観点から見るとかなりゾッとする場所で、人気のある作品ほどその凄惨さを増していくというトンでも無いシステムでした。

「人気が高い」という事は「居座り度が高い」という事ですが、回転率を上げたい劇場側はろくに居座り客を追い出さず、後から後からお構い無しに観客を押し込んできます。

そうなると「壁側から通路まで立ち見がぎっしり」という状況が生まれ、背の低い子供だと画面すらまともに見る事が出来なくなる始末。何より我が身を守る方に意識が集中してしまいます。

更には、当時の「倫理観」が圧倒的に欠如していた証明となる一つの事象が状況を悪化させていました。それが今でも現存する「カメラ小僧」です。

当時のエロ本は「カメラ小僧」によるパンチラや着替えの「盗撮」写真が主力記事の一つ。著名な出版社がむしろその行為を推奨するという、現代の「倫理観」からは到底かけ離れた状況が起きていました。

では「青年向けアニメ映画」の何を「盗撮」するのか?それがアニメキャラクターの「如何わしい」サービスカットです。

当時のテレビは撮影すると走査線が走ってしまうため、フィルムを直接スクリーンに投影する劇場は格好の「盗撮」ロケーション。「居座り」の約半数がこいつらで、長玉と三脚の分 余計に幅を食う訳です。

そして、良いシーンになるほどフラッシュ光とシャッター音が観賞(と撮影)の邪魔となり、罵声が飛び交うという最悪のローテーションを生み出します。

よく怪我人とか出して問題にならなかったよなあ…まあ、だからこそ「現代のシアター」に変革したのでしょうが。

何はともあれ、大人げないオタク達によって「壮大な場所取りゲーム」の様相を呈する「映画泥棒」も真っ青な状況が「当時の劇場」の日常風景だったのです。

そんな「当時の劇場」で席に座る事は出来ませんでしたが、幸い真ん中通路の前方がまだ空いていました。ここにまた新聞紙と荷物を配し、手早く友人達とのエリアを確保します…これでようやく一安心。

人混みをかき分けて交代でトイレと飲み物とグッズの最終確認を行い、周りの視線を遮らないよう体育座りで小さく収まり、体制を整えます。開演が待ち遠しく気分は最高潮。ちっとも眠くなんかありません。

そして、ブザーが鳴り、照明が落ち、喧騒が鎮まります…「メガゾーン23」堂々の開演です!