今回は、2018年夏にアルカディアから発売された「メガゾーン23(以降「本作」)」の主役メカ「ガーランド」にかこつけ、本作その物について書いていこうと思います。


「メガゾーン23」劇場公開当時のパンフ表紙


本作が語られる「あらまし」としては、「OVA初の商業的成功作品」。"メカ"と"美少女"という潮流を産み、OVA時代の本格的な幕開けとなった…というのが一般的な評価です。

肝心要の「作品内容」は「"若者と大人の対立"や"SF世界"等々、様々な要素が混在するもののその全てが中途半端」…一言で言えば「散文的」というもの。

そして「総評」は「ロボットアニメ(メカ)を装ったエロアニメ(美少女)。爆発的に売れたのもエロが目的」とか言われる始末。

…違うんだ!ロボもエロも否定しないけど、本作の「本質」は「1980年代当時の若者の"空気"を、最も鮮烈にフィルムに焼き付けた作品」な事にあるんです。

今の「総評」に到ってしまった一番の原因は、皮肉にも本作の「あらまし」たる「OVA」という発表媒体その物の問題だったりします。

本来「リアルタイムで見た」上で評価されるべき物が、ほとんどの人は「後で見た」ために正当な評価が得られなくなってしまう。本作の「本質」が埋没してしまっているのです。

「劇中同様、厳しい現実と時代に飲み込まれた悲劇の作品」…それが、現在の私のメガゾーン23に対する印象です。

そこでマイフェバリットの一つたる本作に対し、汚名挽回のためにも「(ほぼ)リアタイで見た」その衝撃と「本質」を思い切りぶちまけておこうってのが今回のお話。意外と本作公開当時の事が書かれていない事でもありますし。

改めて裏付けをとったりはしていません。出来るだけ現在の感覚に置き換え、敬称略、愉快なヨタ話・ホラ話の一つとしてご笑納頂ければ幸いです。では、どうぞ。


◼️その1:1980年頃の、とある一中学生の状況

時に1984年(以降「当時」)。東京在住の一中学生は、自らの今後の立ち位置をどうすべきか本気で悩んでおりました。

「中学になったんだから、漫画アニメなんか卒業して大人になれ!」

当時の「ネアカ」…スマートにスポーツをこなし、芸能を嗜む。今でいう「陽キャ」への誘い、世間の常識(主に親)からのプレッシャーに対してです。

当時、アニメ・特撮・漫画・小説などを趣味とする熱心なファンたち・その界隈・そこで形成された文化は、総じて「ファンダム」「マニア」「ネクラ」等と呼ばれていました…今でいう「オタク」「陰キャ」です。

趣味の多様化に伴い今では大分廃れた道徳観念だとは思いますが、当時の同調圧力(強迫観念)ときたら、それはもう「パないの!」てな物でありました。

ジャンプ等の週刊漫画雑誌は別として、当時は陽キャからもガキっぽいとバカにされる位、漫画アニメ好きは恥ずかしいものだったのです。


●「メカ」と「美少女」

事実、この年6月に公開された劇場版「超時空要塞マクロス~愛・覚えていますか」を機に「陰キャ」卒業宣言する友人が続出。「推しメン引退と同時に追っかけ止める」みたいな事が起きていました。


劇場版「超時空要塞マクロス~愛・覚えていますか」


つまり、自分の今後の人生を「陽キャ」として過ごすか「陰キャ」のまま過ごすか?この二者択一を迫られていた訳です。

自分の本質が「陰キャ」なのはもはや自明の理。でも、中学に入ると同時に運動部に所属。仲間に触発され、人並みに芸能界への興味も出てきて「陽キャ」への足掛りだけは整えてありました…何故?

それは極めてシンプルな答え。いつの時代も変わらない真理。

「女の子(出来れば美少女)と仲良くなりたい!」

だって「陰キャ」じゃ絶対モテナイじゃん!バカでも分かるよ!なら「陽キャ」になって「リア充」にランクアップする夢くらい見たって良いじゃないですか!!


当時の中学生達のバイブル「みゆき」。左の鹿島みゆきか、右の若松みゆきか、「どっちのみゆき」?Wヒロイン全盛の時代でした。


逆を言えば、第二次成長期で思考の中心が頭から下半身に移動し「美少女」に心奪われてもなお、「メカ(正確にはロボ)」への想いは絶ち難たい物でした。

何しろ生を受けた直後から、仮面ライダーから始まる「第二次特撮ブーム」の産湯に浸かり、マジンガーZに始まる「スーパーロボット」に衝撃を受け、「宇宙戦艦ヤマト」に連なる「SFロマンブーム」、そして「機動戦士ガンダム」ブームに端を発した「リアルロボット」ムーブメントの真っ只中にいた世代ですから。


●「不良」と「バイク」


「ネアカ」「ネクラ」という言霊に引きずられ、そのどちらかを選ばなくてはいけないという強迫観念に捕らわれ過ぎていたのが、一中学生の迷走の原因でした…だってしょうがないじゃん、バカなんだから。

そんなバカ故に、人生から見ればどう見ても斜め下を選択します。若さ故の気の迷い、人生の寄り道と言えば当時一つしかありません…いわゆる「不良化(今の「DQN」化)」です。

当時、青年層の「不良化」は大きな社会問題となっていました。「積木くずし」がドラマ化されたのもこの頃です。
ただこれは当時の良識ある大人たちの「総論」で、当事者たる自分たちからすると少々見解が異なります。

「つまらねえ大人にはなりたくねえが、何をやったらいいか分からねえ!」

「若さ」という勢いと力任せに、盗んだバイクで走り出したり校舎の窓ガラスを壊して回ったりして良い訳ぁ無えのですが、こんなのが一種のステイタスとなっていた「イカれた」時代。

イキってるのがカッコいいと思う時代だったのです。今でいうと「ワタモテ」の智子が、「イタイ」より「イケてる」と感じるみたいな?いや、何か違うな…。

「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!!」~陰キャ特有の「痛い行動」を自虐的に笑う作品のはずが、主人公 智子の修学旅行での一大発起により、劇的に青春作品へと変化した今一番の注目作です。


若さ特有のモヤモヤ「反逆と自由を求める独立心」を体現してしまう「不良」という輩に対し、当時の青年層はいささかの迷惑と多分の羨望という愛憎半ばな思いから、一種のカッコ良いスタイル「流行」「ヒーロー」として捉えていたのです。



女性にも子供にも一種のスタイルとして受け入れられていた当時の世相を表す一枚「なめネコ」


そして「不良」といえば、喧嘩・友情・恋 そして「バイク」!

当時は狂乱の「第二次バイクブーム」真っ盛り。今では信じられませんが、あの忌み嫌われるバイクが「老若男女問わず」ブームだったのです。


当時女性に人気だったYAMAHA FZ250 フェザー

ただ免許取得可能なのは高校生からでも、実際は校則や親からの反対で不可能に近いものでした。

そこに「反逆」を翻し、生き生きとバイク生活を楽しむ姿を見せつける不良達に羨望の眼差しを送らざるを得なかった…というのが、当時「不良」を一種の「流行」「ヒーロー」として捉えていたからくりの正体だったりします。

当時「バリ伝」「ふたり鷹」「湘爆」「ビー・バップ」等、ほとんどの漫画雑誌の看板タイトルとして、ヤンキーや暴走族やライダーを主とした「不良・バイク漫画」やそのドラマ化が進行していた事からも、その影響度合が伺えます。


 週刊少年マガジンの不良バイク漫画「特攻の拓」。乱舞する「!?」は不良ならではの「ガン決め」シーン、緊張感溢れる雰囲気を示す一種の目印として使用されていましたが、あまりに多用したためにむしろ笑ってしまい、今で言う「シリアスな笑い」を提供する事になってしまいました。今では「漢字を英語で動詞る」言い方も含め、完全に笑い所を示す「ネットスラング」として定着してしまっている模様。


最近、福田雄一脚本・ 演出のドラマ化で話題になった「今日から俺は!!」。この2作品は比較的最近のもので「頭のいい」不良が出てくるタイプ。時代のギャップに着目して、あえて「シリアスな笑い」に振って今に問うたのはもっと評価されていいと思います。


個人的には、1970年代「仮面ライダー」に端を発する「第二次特撮ブーム」が大きく影響していると思っています。
当時ヒーロー達が乗っていた過剰装飾バイクに悪影響を受けたお子様達が若者となり、空力無視のカウル・大量のステッカー・爆音マフラー・絞りハンドル等に好んで違法改造を行っていたという仮説です。

実際、私の周りの暴走族メンバーは各々心の「推しヒーロー」を隠し持っていました。まあ良い年してヒーローも無えだろって見栄はありましたから、表立っては言ってませんでしたが。推しアイドル同様、知らずにバカにするといきなりキレるので大変面倒臭かったです。

まあそれはともかく、このバカは時の流れ(流行)に身を任せ、第二次成長期特有の反抗期にかこつけて「不良」となり、答えを先送りしたのでした。


なぜか2018年現在も好評連載中の萌え漫画「ばくおん!」を読むと、この辺りの事情が良く解ります。


●当時の「バイク」は、今の「スマホ(PC)」?


現在は、第二次バイクブームの出戻組に加え、若者もインスタ栄え・モトブログ等のSNSの流れにより「第三次バイクブーム」なんだそうです。個人的には、2000年代「仮面ライダークウガ」に端を発する「平成ライダーシリーズ」が大きく影響していると…(もうええわ!)。

ですが、現在の若者がSNSの「ネタ」としてバイクを所有するのと、当時の若者が所有するのとでは、その意味合いは大きく異なります。

今の感覚としては…そう「スマホ」。または「PC」を所有するに匹敵する「所有感」「満足度」を与えてくれる夢の「マストバイアイテム」でした。

「若者」が追い求めるものはいつの時代も変わりません。それは「五感」に訴え掛けてくる物。

「聞く(音楽)」「見る(映像)」「知る(読書)」「話す(自己表現)」そして「 動く(運動・旅行)」です。

これらを行うには「情報収集」「比較検討」「成果入手」の三行動が必要になる訳ですが、デジタル化の進む「現在」若者の行動のほぼ全てを「スマホ」で行えます。正に「文明とは効率化」という言葉が実感出来る事例です。

が、アナログ時代な当時、その全てがスタンドアローンでしか存在していないため、自ら行動してこちらから物理的に「歩み寄る」事でしか行う術がありませんでした。

この「歩み寄る」だけで疲労困憊(精神的に満足)してしまい、肝心要なその先に辿り着けない事もしばしば。その際、「歩み寄る」時間やコストや労力を最小限に縮めてくれる「バイク」の有り難みたるや、何と魅力的に映ったことか。

気分的には「バイク」を入手するだけでその全てを入手した気になりました。そういった意味で「スマホ」に最も近い存在だったです。

更には「バイク」本来の魅力、そんじょそこらの「アトラクション」に負けない「体感」「スリル」があります。そして何と言ってもマイマシンという圧倒的な「所有感」。故に満足度無敵感は更に倍率ドン!

まあとにもかくにも、活動範囲はおろか交遊関係をも拡げてくれる「バイク」は、当時の無敵アイテムだったのです。


●このイカれた80'sへようこそ!

と言う訳で、80年代当時の若者にとっての四大キーワード「メカ」「美少女」「不良」「バイク」が当時どのような感じだったのか、少しでもお伝えする事が出来ましたでしょうか…。


1980年代の簡略表

そんな中二病全開の一中学生は、当時「メガゾーン23」をどう体感したのか?

長々と前説を書いてしまい、誠に申し訳ありませんでした。次回からようやく本筋に入ります。