皆さん、こんにちは。




4月も三分の一が経過しました。桜の花びらも少しずつ散り始め、もう花見のシーズンは終わりに近いのかもしれません。




今月の1日にアメリカから帰国した私は、現在、来たる台湾遠征に向けてトレーニングや治療に励んでいる状態です。




そんななか、今日も整骨院で治療していた時、SNSで悲しいニュースを目にしました。




大相撲の元横綱で、相撲を引退したあとは、K−1や総合格闘技やプロレスで大活躍された曙太郎さんの訃報でした。




私の記憶が合っていれば、2017年あたりから、病院での闘病生活を送っていたと思います。




近年はずっと疎遠だったので、私に何かを言える資格はないかもしれませんが、曙さんとの思い出を書きたいと思いました。




私と曙さんの一番の接点は、2005年あたり。大相撲、K−1と経験した曙さんがプロレスに転向するということで、そのきっかけが当時の全日本プロレスだった気がします。




当時の社長だった武藤さんが「横綱のネームバリューは本当にスゲーからよー!」と常々言っていたのを覚えていて、全国どこへ行っても、曙さんの周りには黒山の人だかりができていました。




そりゃそうです。国技・大相撲の横綱(外国人では初)まで張り、身体も大きく、目立ちまくり。逆に、知らない人がいる訳ないというレベルでした。




移動バスに揺られて全国巡業してる時も、休憩のSAでいつも人に囲まれていました。




一時(いっとき)も気が休まらないだろうなと思いながらも、ここまで知名度のある人と知り合いで、誇らしい気持ちがありました。



曙さんは私の事を「小島さん」と呼んでいました。私の方が年齢も一つ下だし、天下の横綱にまでなった方ですから「さん付けなんてやめてください」と言ったのですが「プロレス界では大先輩ですから」と笑顔で言ってくれたのでした。



そして曙さんは本当に頭が良く、プロレスのセンスが抜群な方でした。自分の身体の見せ方(魅せ方)を熟知していて、どうすればお客さんが喜ぶかを本能的に知ってるような方でした。




日本語も英語も堪能で、外国人ともコミュニケーションが完璧。あと、一度だけ試合後の打ち上げで御一緒したのですが、お酒の強さがヤバかったです。ビールのジョッキを3秒くらいで飲み干して笑ってる姿は、本当にザ・プロレスラーという感じでした。




そんな調子でプロレスを続けていた曙さんでしたが、私は2010年から新日本を主戦場にしたので、だんだんと疎遠になっていきました。



ごくたまにイベントでご挨拶したくらいでしたが、会うと人懐こい笑顔で話しかけてくれました。




悔やまれるとしたら、シングルマッチを一度もした事がなくて、、、ぜひ経験してみたかったです。



武藤さんから寵愛されていて、いつも謙虚で、それでいて爆発的な迫力に溢れていた曙さん。




笑顔と真剣な顔のどちらも印象的で、素敵な方でした。謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。