こんにちは。
アメリカ・ニューヨークにて、鈴木さんとの試合が終わり、帰国しました。
まずは、鈴木さんと私の歴史について振り返ってみたいと思う。
鈴木さんは1968年生まれ、私は1970年生まれ。
鈴木さんがプロレス界入りしたのが1988年、私は1991年。
共に入門は新日本プロレス。私は鈴木さんより三年後輩のキャリアになるけど、入門した時、私は鈴木さんと会っていない。なぜなら鈴木さんは、私が入門した時、すでに新日本プロレスを退団していたから。
鈴木さんは、入門して一年くらいで、UWFという団体に移籍していたのでした。
そして、私と鈴木さんは全く接点がないまま、プロレス界での時間を過ごす事になります。
ちなみに鈴木さんとの初対面は…
私の記憶が合っていれば、2002年頃。
横浜の某デパートのエレベーターの前で偶然お見かけした。
自分の方から鈴木さんの元へ駆け寄りご挨拶。
完全な初対面だったけど、少しだけ話して頂き、その後は特に接点もなかった。
次にお会いしたのが、2006年。全日本プロレスの会場。厳密に言うと、お会いしたのではなく、襲われた(苦笑)。
旧・大田区体育館にて、私の試合後(グレートムタとの三冠戦だったかな)に突然やってきた鈴木さんに絞め落とされて…。そこから鈴木さんは全日本プロレスを主戦場にして、私は何度となく闘った。しかし、私は2010年に全日本プロレスを退団し、私と鈴木さんの関係は終わりを告げた。
次の接点は2011年。私が新日本プロレスで闘っていた時。真壁選手との一騎打ちに敗れたあと、乱入してきた鈴木さんに絞め落とされた。そこから鈴木さんは、新日本プロレスを主戦場にして「鈴木軍」を作る。そのあと何度も闘いは続いた。
そして数年前に、10年以上続いた鈴木軍は解散。それでも鈴木さんは、今でも日本や世界を股に掛けて、様々な団体で活躍している。
そんなこんなで迎えた2024年。何度目になるかはもう覚えてないけど、鈴木さんと、今回アメリカでは初の一騎打ちをする事が決まったのでした。
なんか、感慨がありすぎて、逆に無心になるというか、、、不思議な感情でした。
お互いに30年を超えるキャリアがありながら、プライベートの接点はゼロ。しかし、リング上ではまあまあの接点があって、、、という関係。
ただ、プロレスラーの鈴木みのる選手は、本当に尊敬できる存在。それだけは間違いない。浮き沈みの激しいプロレス界において、フリーとしてずっと各団体を渡り歩いてきた実績は、本物じゃなければ絶対に成し得ないと思ってるし、私には到底マネのできないこと。
鈴木さんとの歴史を振り返ったところで、今回の試合での感想。
なんというか、終始「落ち着き払っている」という印象が強かったかな。もちろん強いのは昔から変わってないけど、なんというか「状況を読む力」が凄くて、ある意味で観客を手球に取っていた。
お客さんの喜ぶツボを押さえているというか、お客さんの反応を見て攻撃の仕方を変える能力というか、とにかく天才的なプロレスの仕方に思えた。
これは、昔に対戦した時には無かった感覚。つまり、鈴木さんのプロレスは、キャリアと共に進化している印象が強い。
「お客さんの反応を見ながら自分の技を繰り出していく」、、、恥ずかしながら、私にはまったくそんな余裕がなく、今回お客さんの事を考えることはできなかった。
しかも、観客は外国人。凄すぎると言わざるを得ない。
そんな中で試合が終わり、結果は辛勝。
膝の痛みが再び襲ったけど、気持ちの中は凄く満足しています。
「勝ったから満足してる」のではなく、この年齢とキャリアにおいて、また鈴木さんと一騎打ちする事ができたから。しかも、その舞台がアメリカで、、、大歓声の中で試合できて、、、こんな幸せな事、なかなかないよなって思いました。
それと追記で…鈴木さんのアメリカでの人気が尋常じゃないレベル。もう、なんか、カリスマ的なオーラが出ているというか、観客全員が鈴木さんに心酔して、崇拝しているといった感じ。
異国の地で、その観客を自分のプロレスで魅了するって、本当に凄いことだと思わされました。その部分では、鈴木さんに完敗したと思っています。
そして今は帰国して、安堵している状態です。
また治療しなければいけないけど、試合を終えて、私は生きていられている現実。プロレスという特殊な世界で、鈴木さんという凄い人とアメリカの大会で試合するなんて、これまで想像した事もなかった。
そう思うと、とても幸せです。
以上になります。読んで頂き、ありがとうございました。