こんにちは。



前回のブログで、アメリカの大会(MLW)について書きました。



それから今日まであった主な出来事は、、、




◯とある芸能人の方との対談形式のインタビュー



◯都内スタジオをお借りしてのトレーニングセミナー



◯某人気TV番組の収録に参加



という感じでした。どれもがとても楽しく、充実した時間を送れました。インタビューとTVについては、追々、情報公開できると思います。



トレーニングイベントは、かなり久しぶりになりました。コロナ禍になる前には数回行った記憶があるのですが、コロナ禍になってからは本当に難しくなり…なので、今回、大変嬉しく感じたのでした。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。






話は変わりますが、、、新日本プロレスの公式リリースとして、オカダカズチカ選手の退団が発表になりました。



新日本プロレスの、、、いや、プロレス業界のトップランナーと言っても過言ではない位置にいるオカダ選手の退団は、いろんな意味で波紋を投げかけました。



そりゃあそうです。業界の顔とも言える選手が、突然の所属団体の退団を発表したんですから。



ただ、1月末の契約終了、、、という事は、ちゃんと筋を通してることになります。



我々選手は、一年に一度「契約更改」を行っているので、その契約が終了して、翌年は契約しないという話し合いをしての決定なので。




これを書きながら、自分の22年前を思い出しました。



私はその時(2002年)の契約を更新せずに新日本プロレスを退団したからです。



あの時、いろんな葛藤があって、その中で自分の気持ちを決めて、周りからの様々な意見もあって、そういうモノを乗り換えて、全日本プロレスへ移籍しました。



良い思いだけじゃなかったし、全てが順風満帆じゃなかったし、それでも約八年間、全日本で過ごし、また新日本プロレスに戻るという経験をして今に至ります。



「戻る」というより「戻らせて頂いた」という表現の方が正しいのかもしれないけど、それによって「出戻り」と揶揄(やゆ)されたり、嫌味を言われる事も正直ありました。



でも、全ての経験が自分の糧になって今があると思っているので後悔はしていません。今現在、こうしてプロレスラーとして生かしてもらってる以上、全ての経験に感謝しかありません。





話が脱線しましたが、とにかくオカダは退団を表明しました。



私が新日本プロレスを退団する時とは比べ物にならないくらい大きく報道もされて、大きな話題となっている状態。



業界の大スターの去就に注目が集まっていますが、今後の活躍に期待したいと思っています。






そして私は、2月2日にアメリカへ飛び、現地時間の3日、アメリカのフィラデルフィアにて試合をしてきました。



前述しましたが、昨年の暮れから上がらせて頂いてるMLWという団体。その団体の最高峰の王座に挑戦させてもらいました。



結果から先に書くと、勝利してMLWのチャンピオンになる事ができました。そして、この王座を獲得したのは二度目。しかも前回は21年半前です。



32歳で獲得したベルトを53歳で再び獲得できた事で、いろんな記事にもして頂きました。大変ありがたい話です。




対戦相手のアレックス・ケイン選手は、スープレックス系を得意としたオールラウンドのプロレスラー。




年齢を調べたら、30歳でした。私より、23歳年下。つまり、私が初めてMLWのチャンピオンになった時、彼は10歳にもなっていない小学生という事になります。




そんなに年齢の離れた選手と、大きな舞台で試合する、試合できるという事に、感謝と喜びしかありませんでした。



「ベルトを戴冠できたから」という意味ではなく、試合できた事が喜びでした。




しかし、私の身体には異変が生じて、現在は怪我で療養しているところです。




その後の決まっていた試合も欠場する事になり、会社にも迷惑をかけています。そして、私の参戦を待って下さっていた?ファンの方にもご迷惑をおかけしています。




情けないのと恥ずかしいのと、様々な状況が頭を駆け巡っていますが、今は治療とトレーニングに専念するしかありません。




先日、とあるクリニックへ出向き、怪我の精密検査(MRI)をして頂きました。幸いにも膝の靭帯は切れていませんでした。6年前のように靭帯が切れていたら、半年以上の欠場は免れません。そういえば、マスター・ワト選手が靭帯断裂と診断されたみたいで、彼のことを思うと胸が詰まります。ただ彼はまだ若いから、いくらでもやり直せるし、性格も前向きで良い子なので、皆さんで待ってあげて欲しいです。





⬆️ワト君のポスト。







改めて、今回発表された試合を欠場する事になり、申し訳ございませんでした。



全く歩けない訳ではなく、治療とトレーニングはできていますので、もう少し待って頂きたいです。





読んで頂き、ありがとうございました。






今回の試合後の筆者。



今回、獲得できたベルト。



2002年、初めてこのベルトを獲得した時の筆者。