みなさん、こんにちは。



前回のブログを更新したあとの事を書きます。



7日に大田区体育館で試合があり、13日に富山、14日に松本と試合をして、18日に新木場で試合をしました(全て全日本プロレスさん)。



お陰様で、全日本さんのリングで、定期的に試合をさせて頂いてます。



初めて闘う選手が多くて、やはりというか、新鮮な気持ちが半端じゃないです。みんな、私より世代的に全然下にあたるのですが、リング上ではそんな事は関係なくなってしまうので、ひたすら一生懸命に闘わせてもらってる状況です。



闘い終えた後の充実感も凄くて、試合のあった日はなかなか寝付けません。



でも、非常に充実した時間を送らせて頂いてます。



閑話休題。



先だっての5月6日、ゼロワンさんの大会に参戦させて頂きました。



この日、あの大谷晋二郎選手が来場するという事で、試合の緊張にプラスして様々な感慨があったので、ここに記しておきます。



会場入りして、準備運動などをして、試合に向けての支度をしている時に、大谷晋二郎選手がやってきました。



車椅子に乗り、後ろには病院関係の方が数人いて、という状態。



私が大谷くんに最後に会ったのが、怪我を負ってしまった日(昨年の4月)だったので、一年以上の時間が流れた事になります。



怪我を負ってしまってから、何度か大谷くんに近い関係者の方と「会える方法はないですか」と聞いていたのですが、結果的に会う事ができないままで…そんな状況のまま、この日を迎えたのでした。



この日に試合がある選手の控室を全て周って挨拶していた大谷くん。



私は、何と声を掛けていいのか分からず、「久しぶりだね。頑張ってね」的な事しか言えなかった気がします。



関係者の方から、ツーショットも撮ってSNSであげてもいいと言われたのですが、何となく「写真撮ってもいいのかな」という感情が湧いて、、、それでも、是非良かったら撮ってくださいと言って頂き、二人で撮影しました。



私と大谷くんの歴史は、31年前の出会いから始まっています。



1992年に新日本プロレスへ入門してきた大谷くん。その前年の1991年に入門していた私は、彼の一年先輩として一緒に過ごしていく事になりました。



彼と過ごした時間は、新日本プロレスのスマホサイトの私の日記(隔週連載)にも書いてますので割愛しますが、本当に大谷くんは、根性が据わっているというか負けず嫌いで、、、「絶対にプロレスラーになってやるんだ!」という気概が凄まじかったです。



今でも覚えているのが、当時、若手のコーチだった佐々木健介さんとのスパーリング中でのこと。



当時の健介さんのスパーリングでの強さは有名でした。スパーリングとは、寝技での関節の極め合いのこと。



当然というか、若手時代の私や大谷くんが敵うはずもなく、ボロボロにされていたのですが、その時に大谷くんが大声で「チクショー!負けてたまるかー!」と言ったのでした。



当時の状況を考えても、一介の若手選手が、そのように声をあげるなんて許される状況じゃなかったのに、それでも大谷くんはそう言いながら立ち向かっていったんです。



もちろん口応え?した代償は大きく、さらにやられてしまったのですが、その光景を見た時に、彼は普通の若手じゃないなと痛感したのでした。



そしてジュニアヘビー級戦士として台頭していき、若手なのにあの獣神サンダーライガーさんと熱闘を繰り広げて、プロレス雑誌の巻頭カラーをゲットしたのでした。



その頃からずっと目立った存在で、とにかく彼には嫉妬ばかりしていた事を覚えています。



でも性格が本当に素晴らしくて、私はずっと仲良くしてもらってました。


それ以外にも様々な事を、会った瞬間に思い出していました。



ここに全て書くと、壮大な量のブログになってしまうので割愛しますが、、、とにかく顔を見れて嬉しかったです。



また次いつ会えるか分からないけど、お互いに笑って会いたいので、私も頑張ります。



まとまりのないブログになってしまいましたが、今回はこの辺で。






また会えるのを楽しみにしてるよ!