8ヶ月ぶりのリング復帰。
27年間のキャリアで、過去最高の欠場期間。
過ぎてみればあっという間だったが、思い返してみれば、長かったように思う。
試合前日から、あまり寝られなかった私。もともと睡眠時間は短い方だが、それを更に短くしてしまった。
道場へ行き、身支度を済ませ、会社のバスに乗る。
半年以上乗っていなかったバス。真新しいバスの座席に座ると、改めて今の新日本プロレスの設備の素晴らしさに気付かされる。
数時間後、東金の会場へ。久しぶりのリング、久しぶりの会場設営を見て、高揚が収まらない。
準備運動を済ませ、コスチュームに着替える。
この独特の緊張感。まだ少し違和感のある左膝をさすり、不安感を少しでも消そうと気持ちを落ち着かせる。
控室の隣はテンザン。欠場前は当たり前の光景が、とても新鮮に映る。
そして、あっという間にやってきたメインイベント。
第3世代の四人は、一人ずつ入場。
ここでサプライズ。一人ずつの入場で、私が最後だったこと。
通常なら、テンザンがラスト。それか、永田さんの凱旋興行だから、永田さんがラストのはず。
それを、私の復帰戦という理由だけで最後にしてくれた。
会社が決めたのか永田さんが決めたのか分からないけど、戸惑いと嬉しさで気持ちがテンパってしまった。
そして入場した時に、またサプライズ。
多くのお客さんが、オレンジの私の顔写真入りのプラカードを掲げてくれていた。
涙腺が一瞬緩む。まだ試合もしていないのに、泣いたらまずい(苦笑)。
でも、 本当に嬉しかった。
そして、コールを受ける。この試合、絶対に先発で出ると決めていた私。他の三人をコーナーに下げて、自分が出る意思表示をした。
指名したのは真壁。これも決めていた。
今回のチームリーダーで、正規軍の裏番長的存在。しかも芸能面で大活躍していて、現役のプロレスラーでは群を抜く知名度を誇る男。
ゴングが鳴り、最初のロックアップからのタックルを豪快に喰らい、思い切り受け身を取った。
あまりの痛みに驚く。
欠場前は特に感じなかったけど、受け身一つでこれだけ痛いんだと、忘れかけていたプロレスの怖さを思い出した。
試合は、私がずっとやられる展開。
欠場前は、まだ若手だと思っていたデビッド・フィンレーも、すっかり風格と実力を身につけ、別人のようだった。
数年前は若手だったジュース・ロビンソンも、今やIWGPのUSチャンピオン。
真壁の安定感も素晴らしい。
そして、あともう一人の相手、本間。
私より遥かに長い欠場期間を経て、数ヶ月前に復帰を果たしたばかりだ。
本間の復帰が決まった時、我が事のように喜んだ。
私の怪我のレベルを遥かに超えた重症を乗り越え、奇跡の復活を果たしたから。
なので、そんな本間と相まみえる事ができるのは、本当に喜ぶべきことだった。
絡みはほんの少しだったけど、本間と闘えたのは本当に嬉しかった。
試合結果は、私のラリアットがフィンレーに決まり勝利。
この結果も、長期欠場からの復帰戦ということを考慮すれば、奇跡的かもしれない。
こうして、怒涛のように過ぎていった復帰戦。
まだたったの一戦を終えただけだし、不安は完全に消えない。
だけど、やはり試合ができたことは幸せだった。
『プロレスラーが、リングでプロレスの試合をする』
これは、当たり前のようで当たり前ではない。
さまざまな怪我や事情があって、プロレスラーであってもプロレスの試合ができない人もいる。
それを、私は身をもって経験した。
これからも、大変な思いをするかもしれない。でも、私より大変な人もたくさんいる。
色々と考えることが多かった欠場期間。
復帰戦を終えたいまでも、色々と考えている。
自分は復帰できたから良かった…とは絶対に思わないし、思ってはいけない。
少しでも怪我の再発を防ぎ、現在怪我で苦しむレスラー仲間の役に立てるような生き方や行動をしていかなければ…と、切に感じたのでした。
そして、私事になりますが、本日、誕生日を迎えました。
この年まで現役を続けていられてること、この年までプロレスに関わっていられてることに感謝しながら、また一歩ずつ、前へ進めれば嬉しく思います。
たくさんの方々に救われて、今日までやってこれました。
本当に、ありがとうございました。
新日本プロレス
小島聡
『第3世代』のメンバーと筆者。