シリーズ最終戦、盛岡大会が終わり数日が経過しました。


この日に待っていた、NEVER無差別級6人タッグ選手権試合。


今回のシリーズで、ある意味で唐突に組まれた感のあった?私とサイダルとリコシェの挑戦者チームでしたが…結果的に、とても意味のあるチームになったと思う。


偶然?全員のコスチュームカラーが、オレンジと黒を基調としたモノだったのも意義深い。


これまで、まったくといっていいくらい話す機会もなかったし、階級も違うから接点もなかった二人だけど、こうして組ませてもらい、またプロレスの視野を広げる事ができた。


結果的にベルト奪取にも成功。


長いプロレス人生のなかで、シングルとタッグのベルトは奪った事があっても、トリオでのベルトは初めて。


なので、感慨深い戴冠となった。




そして試合後、パートナーの二人にマイクでお礼を言い、テンザンをリングに呼び込みました。


もう既報の通り、このブログを見て頂いてる方はご存知だと思いますが、G1の出場権利をテンザンに譲渡するという意思を本人に伝えました。


6月27日の後楽園大会で、G1クライマックスの参加全選手が発表になり、そこにテンザンの名前がなかった事から始まった今回の問題。


その日、リング上から「何で俺の名前がエントリーされてないんや」と怒りのマイクで言い放ったテンザン。


私はその姿を後(後楽園大会終了後)で知り、ショックを受けました。


かつて、G1クライマックスに三度の優勝をしているテンザン。


出場回数も20回と最多。


G1での勝利数も最多。


IWGPヘビー級王者に何度も輝いている実力者。


その過去の実績を嘲笑(あざわら)うかのように、落選していた。


でも逆に、その時悟った“G1には過去の実績なんて関係ない”という現実。


今現在の調子や勢いを考慮して組まれた人選なのかどうかは分からない。


数ヶ月前にNEVER無差別級チャンピオンになった永田さんならともかく、テンザンと同じように過ごした?私が選ばれている理由も分からない。


そう考えれば考えるほど、G1で落選したテンザンが吠えてる姿を見るのが辛かった。


同情とか、そんな上から目線的な事じゃなく、自分だって普通にありえる事だし…と思ったら切なくて仕方がなかった。




そうこうしているうちにシリーズは続いていき、日々、試合後にG1出場をアピールするテンザンを陰から見ている状態が続いた。


そして、公式サイトでテンザンの緊急インタビューの記事を目にした。


「誰かをブチのめしてでもG1に出場したい」


私の思いはどんどん複雑になった。


このまま最終戦を迎えて、テンザンはどうなっていくのか…と。


誰か(G1出場者)をブチのめして、G1の権利を横取り?する


なんか、言い方が正しいか分からないけど「そんなややこしい事しなくてもいいよ」と思った。


確かにプロレスラーだから、闘って権利をもぎとるという意見も分かるし、もっともだと思う。


でも何となく、限られた枠しかないのなら、オレが譲ればいいんじゃないかと思えてきた。


現役のプロレスラーなのに、こんな意見は正論じゃないし、今までの私だったら有り得ないこと。


正に、プロレスラー失格の烙印を押されても仕方がないかもしれない。


だけど、「今回のG1が最後のつもりやった」と語るテンザンの気持ちに応えたかった。


その選択が間違いだったとしても。


もちろん、私の公式戦を楽しみにして下さるファンの方がいたら、それが一番申し訳ない事だと思っています。


でも、私は岩手での試合後にテンザンをリングに呼び込み、G1の出場権を譲渡する意思を伝えた。


そして、会社からも正式に発表になり、私とテンザンが入れ替わる事も決まりました。


ネット等に流れる、賛否両論。


予想はしていた事だけど、想像以上だった。


私はハッキリ言って気の小さい人間だから、賛否の否の方の意見に胸が締め付けられた。


「G1を何だと思ってるんだ?」「G1を軽く見んじゃねえよ」「お前にとってG1はその程度か?」「もう二度とG1に関わるな」など。


ここで、今の正直な気持ちを書くとすれば、やはり出場したいのが本音です。


第1回G1の時、私はデビューしたばかりの若手選手でした。


当時、一番キャリアの下だった私が、雑用に追われながらセコンドにつき、目の当たりにしたG1クライマックス。


蝶野さんが優勝し、客席から無数の座布団が投げ込まれ、歓喜の渦になった両国国技館。


それを間近で見た私は「俺もいつかこんな舞台に立ってみたい」と思いました。


それから五年後のG1で初出場。その後、何度もG1に出場しました。


2006年の準優勝。2010年の優勝。


それだけじゃなく、出場したG1の全試合を、今でもよく覚えています。


それだけの熱い思いがあるのなら、なぜ譲渡を?と問われたら、自分でもうまく答えられないけど…枠がもう決まっている状態で、あのようなテンザンを見ているのが辛かった…としか言い様がありません。


長い、とりとめのない文章になってしまいましたが、数日に分けて作成しました。


Twitterでは収まりきらない、今の私が思う気持ちを徒然なるままに書かせて頂きました。


今でもこの問題で賛否のご意見が出ていますし、どちらかといえば否定意見の方が多いかもしれません。


ですが、今回自分で自分の意思を伝え、G1に出たがっていたテンザンもやる気になっていて、会社も交代を発表した。


後は、リング上の闘いを観て、プロレスファンの皆様に判断して頂ければと思います。


長くなりましたが、読んで頂きありがとうございました。