自分がプロレス界に入ってすぐに知り合い、ずっとお世話になってきた方の訃報を聞いたのは、台湾遠征を終えて日本へ帰国する直前でした。


その方は札幌のKさんといい、今で言うところの“オネエ”の部類に入る人。


当時の新日本プロレス営業をされていたIさんに連れられて、一つ上の先輩・西村さんと一緒に出会ったのが最初。


リーゼントのようなヘアスタイルに厚化粧、そして着物。


インパクト絶大で、一度見たら二度と忘れない風貌をしていた。


野太い声で、話し方も面白い。


最初に出会った居酒屋で食事した後、そのKさんが営んでいるスナックへ。


スナックといっても、お客さんが10人も入れば超満員という小さな店。


そして壁一面には、Kさんとツーショットに収まった数々のプロレスラーがいた。


「この写真はねぇ、○年のシリーズに来てくれたヤツでねぇ!ガハハ!」みたいに自慢しまくっていた。


それから決まって毎年、札幌で試合がある時はご挨拶するようになった。


当時の新日本は、年に二回(2月と7月)札幌へ行っていたので、結構な頻度でご挨拶していたと思う。


一番よく会っていたのが、90年代の後半かな。


試合が終わり、スナックへ顔を出し、ファンの方も交えて乾杯。
そのあと食べたい料理を聞かれてレストランへ行き、食事してからまた飲み歩く。


終了はいつも朝。必ず行くラーメン屋で食べてから別れる。




でも、自分が全日本に移籍した十年前あたりから、少しずつ疎遠になってしまっていた。


全日本経由でお世話になる方が新たにできたり、札幌遠征に行く機会も減ってしまった事等が要因。


そして、気付けば電話もしなくなっていた。




それで久々の再会を果たしたのが、全日本を退団して新日本へ再び上がるようになってから。


当時一緒に組んでいたタイチから「Kさん、最近具合が悪いみたいだから顔出しましょうよ」とキッカケを作ってもらった。


そして、Kさんが働いている店へ顔を出した。


そう、Kさんはもう自分の店を畳んで、雇われる立場として働いていたのだった。


そこで五年以上ぶりの再会を果たしたんだけど、正直ショックだった。


無茶苦茶元気だったイメージしかなかったから、元気なく話すKさんを見て愕然とした。


でも、仕事ができているという安堵感もあり、その時は別れた。






そして迎えた、今年の札幌遠征。


三沢トレーナーから、「交通事故で入院してるらしい」と聞かされていて、たまたま宿泊先から病院も近かったので、お見舞いに行かせてもらった。


結果的に、これがKさんとの最後の再会となってしまった。


今思えば、あのタイミングで入院していなければ会えなかったし、会うタイミングも逃していたような気がする。


交通事故にあったのはもちろん不幸な事だけど、死因が別の病気だった事を考えれば、神様が最後に会わせるチャンスを作ってくれたのかなとも感じた。




お見舞いには一人で行ったんだけど、偶然居合わせた永田サン、そしてこれまた偶然来た三沢トレーナーと楽しく談笑した。


永田サンがお見舞に渡した“白目ストラップ”を嬉しそうに持って笑っていたKさん。


「小島君も永田君も三沢君も皆ありがとう!」と言って帰り際に握手してくれたKさん。




人の命には必ず終わりがあるけど、お世話になった方の訃報は本当に切ない。


Kさん、安らかに。


合掌。