11月30日、帰京して帰宅。


そして夜、祖母に会いにいってきました。


九十五年間も生きてくれたお祖母ちゃん。


90歳まで、耳が遠い以外は元気いっぱいだったお祖母ちゃん。


ここ三年位は入退院を繰り返し、父が介護をしていた。


今夏に入院したのを最後に、家に戻ってこれなかったのが残念でしょうがない。





棺に納められたお祖母ちゃんの顔は、とても綺麗な色をしていた。


晩年は会うたびに顔色が悪いなぁと思っていたんだけど、棺に入っていたお祖母ちゃんは自分が小学生時代に見ていた元気な時の顔色だった。






サラリーマンを経てプロレスラーになる決心をして、試験を受けて入門が決まった時…


「つらかったら、いつでも帰っておいで」


と言ったお祖母ちゃん。


入門して半年経って実家に初めて帰れた時も…


「つらかったら、いつでも帰っておいで」


と言っていた。


入門してから三年間くらいは、そのセリフを繰り返していた。






そういえば、少年時代のお年玉も楽しみだったなぁ。


父母より多めに入っていたから(笑)。






1日の昼から告別式があり、その最後に棺の中に入っているお祖母ちゃんの顔以外の場所にたくさんの花を敷き詰めた。


そこで、涙が溢れた。






お祖母ちゃんが生んだ三人の子供…


うちの父とその妹と弟。


妹(叔母)と弟(叔父)は、ハンカチで涙を拭っていた。


父だけは最後まで涙を見せず、参列者に対して気丈にお礼の挨拶を述べていた。


父はどんな気持ちで、お祖母ちゃんと最後の対面を果たしていたのだろうか。


六十七年間の出来事を思い出していたのだろうか。


子供時代の事や、成人してからの事や、結婚してからの事や、子供を生んでからの事や、介護をしてからの事や…いろんな事を回想したのだろうか。






俺は、お祖母ちゃんの前に立ってまっすぐ前を向いている父を見て、涙を抑える事ができなかった。


お祖母ちゃんが死んでしまった事も勿論悲しいけど、“母親を亡くした息子”を見ていると、悲しみで胸がいっぱいになった。


でも、これは誰もが通る道…いや通らなければいけない道なんだよね。


子供が父や母を天国へ見送る…それが親孝行の一つなのかは分からないけど、子供が親に見送られてしまっては悲しすぎるから。






最後に…お祖母ちゃんへ。


こんな忙しくてタイトなシリーズの中で、30日のオフと1日の昼間に通夜と告別式を選んでくれてありがとう。


おかげで、両方に出席する事ができたよ。


どんな人生でしたか?


今頃、三十七年前に先に天国へ行ったお祖父ちゃんと、久々にデートでもしてるのでしょうか?


俺はまだプロレスラーとして頑張ります。


つらい事、いっぱいあるけど…実家に帰らず頑張ります。


いつかソッチへ行った時には、またお年玉いっぱい下さい(笑)。


安らかに。


合掌。