13日の訃報を耳にしてから、一睡もできず朝の6時を迎えた。


7時に就寝して10時に起きる。


ネットやテレビでは、三沢さんの事故を何回も伝えていた。


夢じゃなかったんだ…という落胆。


食事をしていてもテレビをボーッと視ていても、頭の中は三沢さんの事でいっぱいだった。


徳光さんが司会の番組で、三沢さんの試合直後の映像が流されていた。


何故、あの強い…強くて仕方がないような人が…という思いが頭の中をグルグルと駆け巡る。


そんな思いとは裏腹に、自分には日常生活が待っていた。


動きたくない身体を無理矢理起こして、犬の散歩をする。


またすぐに、三沢さんの事が頭をよぎる。


「ノアさん、今日博多で興行なんだ…」


三沢さんがいないノア。


試合をしなければいけない選手のかた達。


リングを組み立てなければいけないスタッフのかた達。


プロレスという職業に携わっている者として…考える度に胸が締め付けられる。


夕方過ぎ、足は自然と道場へ向かっていた。


トレーニングをして汗を流す。


汗びっしょりの身体でリングに上がり、大の字になった。


この時も、頭の中は三沢さんの事でいっぱいだった。










三沢さんを初めて見たのは、蔵前国技館。


中学校に通う熱狂的プロレスファンの自分がそこで目にした、二代目タイガーマスク。


当然その時は、その正体が三沢さんだとは知らなかったけど…ただただ「カッコいい!」と、友達同士で言い合っていた。


それから時は流れて、新日本プロレスに入門した自分。


その時の三沢さんは《超世代軍》のトップ。


“闘魂三銃士”や“馳健”という凄すぎる先輩を間近に見ながら、“四天王”という人達にも憧れを抱いていた若手時代。


駄目だ、今はこれ以上書けない。


改めて、三沢さんのご冥福をお祈り申し上げます。