監督:樋口真嗣

脚本:成島出 加藤正人

撮影:


エヴァと平成ガメラとアルマゲドンを混ぜて怪獣と隕石を抜いた感じ

そんな風に思っていたらスタッフがかぶっておりました。


研究者がマントルの中でメタンガスを大量発生させる微生物が大量発生していることを確認、一年以内に日本は沈没するとの仮説を政府に発表するが政府は、震災で死ぬ人数を計算し海外移民の数を減らすという冷たい方程式をめぐらせていた。

そのことに不満を持った者が仮説を唱えた科学者に面会し日本を救う方法を問う。

日本を救うには世界中の掘削船を集め、爆薬を仕込み、特殊な爆薬で連鎖爆発を引き起こしプレートを切断するというものだった。

一度目の作戦で爆薬を紛失し潜水艇ごと海に沈んだ友人と同じ任務に挑戦するため、愛する人に別れを告げ旧型の潜水艇で二度と帰れない任務に就く主人公。

作戦は成功し、日本は完全な沈没を免れるも2名の潜水艇乗組員を失う。



一々場面が変わるたびに出てくる場面説明の白い文字と、自衛をプッシュするとり方、災害時の映像のリアリティより怪獣映画を思わせるような描写、なにか見たことあるぞ・・・ガメラとEVAを知るものには猛烈な既視感を与える作風になっている。

ストーリーは愛するものを残して男が爆薬をセットするため犠牲になるという、どうみてもアルマゲドンなラストが待っている。


ヒロインの幼少期のトラウマの関連付けのためだけにできて来たような孤児の少女はあまり必要なかったよう思える。

大人を主人公にした作品の中には会えてガキと馬鹿な女を出してピンチ作ろうとするものだがこの少女は特に祖の役回りも無いので個人的にあまりこのキャラクターの重要性は見えてこない。


上記の3作品は個人的は好きな作品であるのでこの作品も好きな部類に入る作品となりました。

監督:ロブ・コーエン

脚本:マイルズ・ミラー アルフレッド・ガフ

撮影:サイモン・ダカン


あのミイラ映画の第三弾

2に登場した息子が成長して大学生になっている舞台は1943年の上海、シャングリラの目というダイヤをイギリスから上海に運び終えた後、博物館での戦闘のさいに誤ってダイヤの中の水を王のミイラにこぼしてしまい王が復活してしまう。

不老不死の呪術者の娘リンと主人公一家は、シャングリラの目を持ち込むことで不老不死の泉の場所を示す遺跡へと向かう、王は現代の軍と協力し遺跡にシャングリラ目を持ち込み不老不死の泉のありかを突き止める、遺跡での戦いで致命傷を負った父を一足早く不老不死の泉に運び、呪術者リンの母親に出会う。

その後、泉を訪れた王は力と軍を復活させに敗北しリンを奪われてしまう。


よみがえった王の軍団とリンと母親の不老不死の力と引き換えに敵軍のミイラを生き返らせ王の軍団と戦う

主人公一家の父と子が王を唯一倒すことのできる短剣で心臓を突き、王を倒すのであった。


イベントが多いのであらすじを適当に書いても長くなってしまいますが、けいして内容が濃いというわけではない。

花火を打ちながらのカーチェイス(正確には馬車のゾンビとトラック)等派手なシーンもおおい。

ミイラ兵士がいっせいに弓矢を放つシーンは某レッドクリフで見たことのあるような、付けPANでの演出が見られたが比較するにレッドクリフの場合は矢がカメラの目前まで迫る映像だがこちらは矢が落ちる地点の多少後ろにカメラが位置しているため、既視感はあるもの似て非なる映像となっている。


何の複線も無くイエティが登場したり、なぜか王が変身したり何の説明も無い部分もあるがあまり突っ込みは無しの方向で・・・


とりあえずリンちゃんがかわいい

監督:ロブ・ライナー

脚本:アーロン・ソーキン

撮影:ロバート・リチャードソン


通称:コードレッドといわれる指令を受け同僚の軍人を拉致したが、その同僚が突然死亡してしまう。

ただ命令に従っただけで自分たちに罪は無いと言い張る実行犯の二人の軍人と裁判を弁護するハーバード出身の新人軍人の主人公と内部調査部所属の女少佐が、2名の無実を証明するため、基地の最高司令官に法廷に証人として出廷させ、激情させた指令官にコードレッドを出したことを証言させるが、二人は懲役を免れたが、軍を除隊することになる。


序盤の逆行の夕日?朝日に映える人物の監視中の人物のシルエットが印象的に思える。

よく裁判物にある、頭脳線と前半に司令官に張った伏線を見事に回収するスマートなやり口での戦い方だったが

やはり、命令とはいえ人一人殺しているという点で完全な無罪は得ることができ無い結果となったが、無実の罪を決して認めず、有罪になるより罪を認めて服役したほうが楽であるという描写が中盤にあるが、まるで現代の痴漢冤罪事件と似たような印象を少なからず受ける。


この映画では、極端なアップは少なくそのカットでのメインとなる演技や台詞を話す役者にピントを合わせ周りの不要なものはボカスという演出が他の映画と比較してかなり多くもちいられている。

そのため、目がしゃべる役者に集まる、難しい用語の多い裁判物では、有効な手法なのではないかと思われる。