僕のブログがラーメンしか出てこないとご指摘いただきましたので、そうでない事も
これからはアピールしていかないといけませんね。
さて遅くなりましたが、12月23日の被災地レポをお届けします。
12月23日
今回は、前日に電車で行く電車組と車で夜中に出発する車組に優者が分かれました。
オペラの上演が決まったのは、12月頭だったでしょうか?
岩手の福士さんが23日に岩手でAKIRAさんのライブをすることは知っていまし
たが、場所も何も決まっていないという事で困っていましたので、このオペラをやろ
うと決めました。
日程のない中でAKIRAさん、藤本ゲンさん、村上由香ちゃんが揃うスペシャルな
内容で行うことが決まりました。
場所は何度か訪れている避難所だった慈恩寺に決まりました。
住職に話をして快く場所を貸していただけることになりました。
慈恩寺は70名の避難者が仮設住宅ができるまでの間暮らしていました。
そんな慈恩寺さんの七福神に今日は特別サンタになってもらった。







僕のオペラをいつかは岩手でやりたいと思っていましたが、まさか今年中にかなうと
は思いませんでした。
何かに導かれたように、23日に決定したと言うわけです。
会場にはどんどん人が来てくれる。
10名ほど来ればと思っていたところ40名を超える人たちが来てくれました。
その中には、広田半島の六ヶ浦非難所のリーダー畠山さんや、一番初めに岩手に行ったとき宿を貸してくれ、おいしい事を頂いたやえはた自然農園さんのしょうちゃんとかおりさん、高田一中の千秋さん、慈恩寺に伺ったときに避難所にいた方も来てくれました。

もう何とも言えない感動でした。
こうして元気な姿でまた皆さんと会えた事に嬉しくなりました。
4月から避難所に伺わせてもらったときは、まだまだ生きる事に必死で、僕は何をどう伝えればいいのかわからない状況でした。
そんなところから乗り越えて、着実に心も復興に向かっている人たちがいる。
命ってすごい。
まずは慈恩寺の住職さんから挨拶をもらった。

オープニングに村上由香ちゃんの手をつないでを歌ってもらう。
この写真は何とも言えないですね。守られている気がします。

この手をつないでは被災地に行ったとき、多くの非難されている方の心をつかみ涙させた。
そして、村上由香の存在そのものが心の支援だってことを確信した。
さあオペラも気合が入る。



AKIRAさんもいつになく神がかり、観ている人の魂を揺さぶっていく。

藤本ゲンさんも、病気の中来てくれて最高の演奏をしてくれた。

由香ちゃんの彼女役もさらに磨きがかかっていた。


僕は、後半の被災地の話のところで、涙で声を詰まらせてしまった。

~セリフ~
「皆さんと友達になりに来ました、皆さんと僕達は日本に住む家族です」
「これからも辛い事はたくさんあると思いますが、
辛い時は泣きましょう・・・そして一緒に笑いましょう」
「共に考え、共に生きていきましょう」
今回の震災が教えてくれたのは、命の大切さ
助けあう心、そして人の温かさでした。
僕が避難所でお話をさせて頂いた時一人のおばあちゃんが泣きながら僕にこう言いました
「津波後、泣く事も忘れてました。必死に逃げたけど、
家も家族もみんな流されてしまったの。
今日は来てくれてありがとう、津波後初めて泣いたわ」と。
さらに、「若い時に事故されて大変だったでしょう、本当に来てくれてありがとう」って、手をぎゅっと握りながら言ってくれたんです。
こんな大変な時に僕の事何てどうでもいいのに・・・
被災地の人は温かかったです
これからも、一生心の支援を続けていくつもりです。
人生はいろいろな事が起こります
でも絶対にあきらめないで欲しい
絶対にあきらめないで
必ず希望の春はやってくるから
~~~~~~~~~~~
最後は参加者とスタッフみんなで一つの輪になり。


AKIRAさんの「ありがとう」を歌う。
オペラ終了後、もっとたくさんの人に見せたかったという声が多数出た。
大丈夫また来るから。
大丈夫。
バーベキューをしながらみんなで話をした。
サプライズでAKIRAさんがミニライブをやってくれた。

最後は、残ったみんなとスタッフが握手やハグをする。



みなさんとこうして生きて出逢えて本当に良かった
生きていてくださりありがとうございます。


第2の故郷陸前高田市、きっとまた来るよ。
約束しよう!
参加してくれた優者のみなさんありがとう。
PS 1月19日は石巻市渡波仮設住宅でのオペラ、すでに20名の優者が石巻に集まることになっている。