イグアスの滝見学を終え、ブラジルからペルーへ渡り、首都リマの旧市街を観光。ガイドは 、なんと“有吉の世界同時中継”に度々登場しているミゲールさんだった。世界遺産の旧市街は、スペイン様式の大聖堂・大統領府・市庁舎などが連なっていた。

 

 

続いて標高3400mに佇むインカ帝国の古都クスコに飛んだ。残念ながらインカ帝国の名残は石組の壁と石畳の道が残るくらい。この石組の精度は半端なく、カミソリの刃1枚さえも入らないほど。鉄器が無かったインカ、黒曜石器でここまで加工していたとは驚きだ。

 

 

かつては黄金に輝いていた神殿や宮殿は侵略者ピサロによって破壊され、スペイン風の町に作り変えられたことはとても残念。

 

 

夕刻、いよいよこの旅のハイライト、マチュピチュに向かう。バスで3800mの山を越え、オリャンタイタンボから列車に乗ってマチュピチュ村へ。

 

 

小さな山村をイメージしていたが、世界中から観光客を集めている村は立派なリゾート地と化していた。尚、マチュピチュ村の初代村長は日本からの移民である野内さんが勤め、水力発電などインフラを整備、村の発展に多大な貢献を果たされたようだ。

 

 

2連泊したホテルはEL MAPI。これまた想像していた山小屋と異なり、モダンな作りで快適、食事も旨かった。

 

 

標高2000mのマチュピチュ村から2400mのマチュピチュ遺跡までは、バスで切り立った山の狭い急坂を登っていく。見た事のない景色の連続だ。

 

 

40分ほど走って遺跡の入口に到着。遺跡保護のために入場者を1日6,000人に限定、ガイドの付添いが義務付けられ、決められたいくつかのルートのみが通行可能となっている。

 

 

階段を登って山道を進むと徐々に遺跡が見え始めた。その全貌が見えた時は、正しく息を飲む絶景であった。

 

 

マチュピチュは、15世紀頃にインカ帝国第9代皇帝パチャクティの離宮として建設されたと言われている。遺跡内には神殿や住居、トウモロコシなどを栽培していた段々畑などが見られた。

 

 

インディージョーンズのモデルになったと言われる米イエール大学の考古学者ハイエル・ビンガムが遺跡を発見したのは1911年と比較的最近である。にも拘わらずここまでの人気が出ているのは、4~5,000m級のアンデスの山々に囲まれた、この秘境感あふれる景色によるものであろう。

 

 

午前中の散策を終え、遺跡エリアに唯一あるホテル、サンクチュアリーロッジで昼食を摂った。トラウトや鶏料理など、どれも絶品であった。

 

 

食後、遺跡のさらに一段高いところまで登るとラマの群れに遭遇した。遺跡を眺めながら、イヤフォンでインカ音楽が元となった“コンドルが飛んでいく“を聞くと、なぜか深い哀愁に包まれた。

 

 

ずっと憧れていたマチュピチュ、かなりハードの旅であったが、念願かなって最高の旅となった。