今回は神社趣味の世界における一宮の巡拝について書きたいと思う。
一宮(いちのみや)とは旧国ごとに定められた最も格式が高いとされる神社のこと。
一宮制度は平安時代末期に確立したとされる。同じ平安時代には延喜式が成立しており、現代において延喜式内社(えんぎしきないしゃ)と呼ばれる一種の社格のようなものができたのであるが、一宮制度の成立はもう少し後の時代とされている。
※ 延喜式内社については過去記事「神社巡り 武蔵国延喜式内社(1)」を参照のこと。
巡拝(じゅんぱい)というのは複数の神社を巡ることであるが、神社趣味の世界においては定められた神社群を全て参拝して巡ることを指す。
一宮というのは旧国ごとに存在し、例えば、摂津国の一宮は住吉大社、安芸国の一宮は厳島神社、相模国の一宮は寒川神社のようになっているので、日本全国に存在するこれら全ての神社を巡るのが一宮の巡拝ということになる。
一宮というのはどのくらいの数存在するのかと言えば、数え方の問題があり、統一見解のようなものはないのであるが、ざっくり言えば100~120社くらいあると思えばよい。
日本全国に散らばっているうえに、交通の便が悪い僻地や、離島、山頂などにも存在しているため、一宮巡拝を達成するのは神社趣味人でもかなり難しく、最低でも10年くらいはかかるというのが私の中でのイメージである。
もっとも、世の中にはほかの神社には目もくれず、ほとんど一宮だけを巡ることを目的としている人もいるので、そういう人の中には3年くらいで達成してしまう人もいるようである。
ただ、私としては一宮以外にも数多くの素晴らしい神社があることを知っているし、一宮に参拝に行ったならば、その周辺の有名神社や良さそうな神社にも参拝してみたいわけなので、一宮だけを線でつないで巡っていくようなことはしていない。
だから、実際問題として、まだまだ一宮巡拝の達成は遠く、私の神社巡り歴はもうすぐ9年になろうかとしているのであるが、達成率は約75%といったところである。
これまであまり一宮巡拝に対しての執着がなかった。いや、現在でも執着というものはないのであるが、最近ちょっとした心境の変化があり、きちんと一宮を分類して数え、一宮巡拝達成に向けて少し動き出そうかなと思ったのである。
そして、今回色々と調べたことがあり、折角調べたのだからそれをまとめておこうというのが本記事の趣旨である。
まず最初に、私が運営する神社サイトにおいて、一宮巡拝リストを作成したので、そちらを御覧いただきたい。これでイメージがつかめるはずである。
では、解説に移ろう。
一宮制度というのは平安時代に成立したとされるわけであり、必ずしも全てが資料として残っているわけではない。だから、わからなくなってしまったことがたくさんあるのである。
また、時代によって変遷があり、神社の勢力の変化とともに一宮が入れ替わってしまったとされる例もあるのである。
例えば、武蔵国の当初の一宮は小野神社とされるのであるが、中世で勢力が逆転して大宮氷川神社が小野神社に取って代わって一宮となったようである。
あるいは、時の権力者が自分とつながりが深い神社を一宮に押し上げようとしたり、神社側から権力者に働きかけをしたような事例もあるかもしれない。
さまざまな理由によって、複数の資料上で一宮が食い違っていたりすることだってあるわけである。
その場合、どちらかが絶対的に正しいなどということはなく、時代によってどちらも正しいと言える。だから、前述の例においては、おそらく小野神社も大宮氷川神社も一宮であった時代があった。従って、小野神社しか一宮であると認めないような人も神社趣味の世界にいるとはいえ、はっきり言ってナンセンスなのである。
そういうことで、誰もが認める統一見解というものは存在しない。ただ、神社趣味の世界における一宮巡拝は、大きく分けて以下の3つの方向性があると思われる。
1) 書籍「中世諸国一宮制の基礎的研究」に記載されている一宮を巡拝する。
2) 一宮とされる全国の神社が結成している「全国一の宮会」加盟社を巡拝する。
3) 神社趣味人が自分独自の見解で作成したリストの一宮を巡拝する。最も単純な場合には1)と2)を合わせたリスト。
まず1)について。
一宮に関する基礎的データを収集、整理し、それまでの研究結果も踏まえた上で総括した書籍である「中世諸国一宮制の基礎的研究」が2000年5月に出版された。
私はこの書籍を読んでいないが、一宮に関する最も網羅的で最新の研究であり、この世界において多大な影響力を持っている書籍なのだと思う。
この書籍で言及されている神社群を巡るというのが1つの方向性である。これらの一宮は「歴史的な一宮」「諸国一宮」などと呼ばれるようである。
次に2)について。
一宮とされる全国の神社が結成したのが「全国一の宮会」なので、これは神社側の業界団体のようなものである。
全国一の宮会に加盟している神社には諸国一宮に含まれない神社もあるし、諸国一宮には含まれているのに全国一の宮会に加盟していない神社というのもある。
例えば、相模国の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は諸国一宮には含まれないが、全国一の宮会の加盟社である。同様の神社は10社ほど存在している。
また、前述の小野神社は諸国一宮に含まれるが、全国一の宮会には加盟していない。
このようにややこしいことになっているのであるが、さらには全国一の宮会は「新一宮」というものを認定している。これは一宮制度ができた平安時代などには北海道、東北の一部、沖縄など一宮が存在していなかった地域があるため、これらの地域の一宮に相当すると全国一の宮会が認めた神社となっている。
全国一の宮会に加盟するか否か、あるいはそもそも加盟のお声がかかるか否かは諸般の事情があるだろうし、どちらかと言えば諸国一宮と比較すれば人為的に作成された一宮リストとも言えるかもしれない。
ただ、諸国一宮のリストが絶対的に正しいわけでもない。歴史的な資料や研究などは限られているのである。それらから判明したこと、推定されたことなどをまとめているのであって、正しさの保証などできるはずもない。
また、同じような資料・データを元にして一宮の判定を行うとしても、見解の違い等は生まれるということである。
最後に3)について。
一宮巡拝についての私の方向性はこの3)ということになる。
結局のところ、諸国一宮も、全国一の宮会の加盟社も、完全な一宮リストにはなり得ない。「正解は誰にもわからない」のである。
そして、趣味の世界ではどうしても「どうせやるなら、コンプリートしたい」ということになりがちなのである。
ある基準を決めて、その一宮巡拝を達成したとしても、別の基準によるリストに含まれる一宮に参拝していないとしたら、ちょっと嫌なのである。だから、1)と2)の両方のリストを網羅したリストか、それに自分独自の基準でいくつかの神社を加えたリストを作って、それに基づいて一宮巡拝をやろうという方向性である。
例えば、阿波国の一の宮会加盟社の一宮は大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)であり、これは誰もが認める阿波国一宮である。
ただ、ほかに一の宮会非加盟の一宮が3社存在する。八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)、一宮神社(いちのみやじんじゃ)、上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)である。
阿波国は現在の徳島県にほぼ相当するが、徳島県に神社参拝旅行に来て大麻比古神社に参拝したとして、ほかの3社を見逃すだろうか。
人によって考え方は異なるし、日程の関係で今回は大麻比古神社しか参拝できないという場合もあろうが、何の制約もないのだとしたら、私だったらほかの3社も併せて巡りたい。
徳島県まで旅行に来るのだって大変なのである。次の機会がいつやってくるのか、そもそもそんな機会があるのかだってわからない。だとしたら、併せて参拝しておきたいのである。
では、逆に諸国一宮だけ押さえておけばよいのかといったら、同じことである。
尾張国の大神神社(おおみわじんじゃ)は諸国一宮には含まれないが、一の宮会の加盟社である。愛知県一宮市にある尾張国一宮の真清田神社(ますみだじんじゃ)に参拝に来たのに、至近距離にある大神神社を意図的に見逃すなどということがあり得るだろうか。多くの神社趣味人的にはあり得ない話だと思う。
結局、できる限りコンプリートしようということになり、神社趣味人的には1)2)の合成リストのような一宮巡拝リストを作成する場合もかなり多いはずである。
私個人の一宮巡拝リストには、あと微妙な神社を3つ追加してある。
1つは甲斐国の一宮浅間神社(いちのみやせんげんじんじゃ/いちみやあさまじんじゃ)である。現在の山梨県西八代郡にある、近代社格は村社に過ぎない神社のことである。
甲斐国の一宮は世間的には笛吹市の浅間神社(あさまじんじゃ)で確定とされている。しかし、当社に実際に参拝した際に「ここが本当の一宮かもしれない」という感触を持ち、当社の御祭神である私の守護霊チームのコノハナサクヤヒメにぶつけてみた結果、「当初の一宮は当社である」という回答を得たため、世間的には無視されていようが、私としてはこの神社を一宮巡拝リストから外すことができないのである。
次に、備前国の安仁神社(あにじんじゃ)。ウィキペディアには備前国元一宮とある。
しかし、一宮というのは時代によって変遷があることは珍しくなく、後の時代に一宮を取って代わられた場合でも武蔵国の小野神社のように一宮扱いされるわけだから、「元」の但し書きは不要というか、一宮のリストというのはそもそもが「元」を含めたリストだという考えである。
一宮制度が成立する少し前の時代の延喜式においては、備前国唯一の名神大社。だから、元々は備前国では一宮に相当する格付けだったのだが、「天慶の乱において当社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷より剥奪された(ウィキペディアより)」とのことである。
ただ、女神様たちに確認したところ、その後実際に一宮だった期間があるそうなので、私の独自リストには安仁神社も加えておきたい。
最後にもう1つ微妙なのが、出羽国一宮の鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)に関して、山頂御本社を一応リストに加えている点である。
鳥海山大物忌神社に関しては歴史的に一宮争いがあり、結局、吹浦口之宮(ふくらくちのみや)と蕨岡口之宮(わらびおかくちのみや)の両方が一宮ということになっている。諸国一宮にも含まれ、一の宮会加盟社でもある。
ただ、ほかに鳥海山の山頂に本社があるのである。
一般的に一宮の巡拝において、鳥海山大物忌神社の山頂本社は参拝していなくても巡拝を認めることが多いと思う。一の宮巡拝会という団体で一宮巡拝の認定を行っているが、山頂本社は参拝していなくても認定されていると思う。
しかし、越中国一宮の雄山神社(おやまじんじゃ)の峰本社(みねほんしゃ)も同様に立山連峰の標高3003mの雄山の山頂にあり、これは一般的に参拝しないと一宮巡拝達成とは認められないことが多いのである。
この違いは本質的に何なのだろうか。
また、ほかにも一宮の中には奥宮等の名称の関連社を持っている神社もある。例えば、駿河国一宮の富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は富士山頂に奥宮が存在する。また、加賀国一宮の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)も白山山頂に奥宮がある。ほかにも奥宮を持つ一宮は存在する。
こういった奥宮は一般的などんな基準においても巡拝の対象外である。もしかしたら、奥宮を含めて巡拝をしているような奇特な人もいないとは限らないが、この基準はいくら神社趣味人でも厳しすぎるし、そもそも議論の対象外である。
ただ、鳥海山大物忌神社と雄山神社においては、山頂にある神社が「本社」なのである。そこが単なる奥宮と違うところだと思う。
「本社」なのだから、そこがメインなのである。だからこそ、雄山神社の峰本社は参拝しないと巡拝が認められないということなのだろう。
だとすれば、鳥海山大物忌神社の山頂本社も外せないということにならないだろうか。
両者の違いは登山の難易度というか、登山にかかる時間である。雄山神社の峰本社は立山黒部アルペンルートの室堂までは乗り物で行くことができ、そこから上り2時間、下り1時間20分といった感じである。
本題とはまるっきり関係がないが、これが雄山神社の峰本社。標高3003mながら、登山にあまり興味がない私でも登れたし、それほど大変だったということもない。
なお、神社趣味の世界では、登山には特に興味が無いのに、神社があるから仕方なく登山するという人は私だけではない。有名な玄松子さん(「玄松子の記憶」という神社サイトがネット上で一番というくらいに有名であり、かつ参考になる)もそう書いていた。
鳥海山大物忌神社の山頂本社の場合には、もっともっと条件が厳しくなる。登山コースはたくさんあるのだが、そのうち有名で初心者向けのものでも上り4時間10分、下り3時間のような感じであり、朝から1日がかりである。
しかも登山口までの移動も公共の交通機関の定期便などはないので、登山者用の季節運行のバスとか、タクシーとか、レンタカーとかで行くようなものである。
玄松子さんは鳥海山大物忌神社の山頂本社にも参拝していたが、私はどうしようかなという感じである。ちょっと厳しすぎる。
おそらく、一般的な一宮巡拝の条件でここを免除されているのは、それが理由なのではないかと思う。ただ、本質的には鳥海山大物忌神社の本社は山頂の神社を指すから、雄山神社の峰本社と理屈は同じ気がするのである。
※ なお、一宮ではないが、鳥海山から比較的近くに位置する名神大社・官幣大社の月山神社も本社は月山山頂であり、登山が必要である。近代社格に基づいた官幣社・国幣社の巡拝も、未参拝で残っている神社を見ると一宮と同じような感じであるが、この巡拝をやり遂げようという場合には月山の登山をどうするかという問題は出てくる。
以上の理由により、現在のところの私独自の一宮巡拝リストというのは、1)2)の合成リストに加えて、甲斐国の一宮浅間神社と、備前国の安仁神社と、出羽国の鳥海山大物忌神社は山頂本社も含めるとしている。
逆に、リストから外している神社としては大阪府枚方市にある片埜神社(かたのじんじゃ)などがある。当社の公式サイトの由緒書では平安時代に社名を「一宮(いちのみや)」と改めたとあり、ウィキペディアによれば河州一之宮と称している、または称していたようなのであるが、「当社は交野郡一宮であって河内国の一宮ではない」と書かれており、このように旧国全体の一宮ではなく、その一部地域における一宮的存在であることを称したり、それによって旧国全体の一宮と混同されるような事例もあるようだが、こういったものは1)2)その他の一般的なリストにも含まれないし、私のリストからも除外している。
あと、数え方の問題として、信濃国一宮の諏訪大社は「諏訪大社 上社」「諏訪大社 下社」などとされることがあるのだが、神社趣味人的には「諏訪大社 上社本宮」「諏訪大社 上社前宮」「諏訪大社 下社春宮」「諏訪大社 下社秋宮」の4社になるのは当然のことである。
こうしてできた私のリストだと一宮巡拝の対象は120社である。
そのうち、私がこれまでに参拝したのが89社であるので、残りは31社ということになる。
未参拝の一宮について、ざっと見たところでは、一宮巡拝の達成のためには、あと最低12回は一宮に関連した神社参拝旅行に行く必要がありそう。そして、離島(佐渡、隠岐、壱岐、対馬)や鳥海山大物忌神社の山頂なども残っており、そう簡単には終わらない状況ということである。場合によっては、鳥海山大物忌神社の山頂本社だけは諦めるかもしれない。まあ、それでも一般的な基準では巡拝達成とすることができる。
以上で一宮巡拝に関する解説は終わりである。
一宮巡拝に興味のある方は多いと思うが、以上を参考にして、自分の巡拝の対象とする一宮をどのようにするのか決めてみてはいかがだろうか。
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