戸隠神社の奥社を後にして随神門まで戻る。ここで右手方向に行く小径がある。
鏡池に向かう小径である。前回はほとんど人に遭遇しなかったのであるが、ここでもやはり人が増えていて、10人くらいは見掛けたような気がする。
途中にある天命稲荷。
随神門から2kmほど歩いて鏡池である。
鏡池というくらいだから、天候条件が良ければ鏡面のように綺麗に山が湖面に映るのだろうが、前回も今回もそれを見ることはできなかった。画像を見ると湖面に山が映っているように見えるが、鏡池の名称が納得できるほどの光景は残念ながら見ることができなかった。
この鏡池のほとりにあるお店で蕎麦粉のガレット(円盤状の薄焼き)という料理をいただく。戸隠といえば蕎麦が有名であり、中社周辺等にはいくらでも蕎麦のおいしい店があると思うのだが、この旅行中に既に3回も蕎麦を食べていたので、さすがに変化をつけようと思い、わざわざ蕎麦のガレットを食べるためだけに鏡池に来たのである。
しかし、最寄バス停の鏡池入口までは2kmもあるうえに、山を1つ越えていかねばならず、かなりきつい。この後、中社まではバスで移動。
中社の社号標と鳥居。当然ながら、ここでも皆が記念撮影をするので、なかなか人が入らない写真は撮影困難である。
参道右手に御神木の三本杉。
参道石段。この上に社殿。
社殿到着。3連休とはいえ、もの凄い人である。
ここでも参考までに前回撮影した画像を貼っておく。
見ていただきたい。見事に人が入らない写真が撮れているのである。これは今回の状況では到底不可能であることは明白である。
これがわずか2年前の状況である。年々地場エネルギーが強化され続けて、明らかに参拝者は増加し続けているのである。
さて、中社の社殿は拝殿・本殿一体型である。1つの社殿で拝殿兼本殿。
そして、建築様式は入母屋造であるが、正面に切妻のやや珍しいタイプである。妻(≒短辺)側が出入り口となるため、妻入り(つまいり)と呼ばれる。
入母屋造については過去記事「神社巡り 伊和神社」に説明があるので、参照していただきたい。伊和神社では幣殿のみが正面切妻、拝殿・本殿が側面切妻であった。
中社の御祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと=オモイカネ)である。岩戸開きの作戦を考えた、智慧の神様。
実はオモイカネとは私のメインの守護霊であるミズハノメのツインソウルである。神代七代(かみよななよ)の第4代の神様ペアがツノグイ・イクグイであるが、ツノグイ=オモイカネ、イクグイ=ミズハノメである。
ミズハノメはうちの守護霊チームの中で瀬織津姫に次ぐ古い魂(魂年齢が2番目に古い)である。当然、ツインソウルの魂年齢は等しいのだから、オモイカネは非常に古い魂なのである。
中社の次は、火之御子社(ひのみこしゃ)に向かう。神道(かんみち)と呼ばれる神社をつなぐ道を歩く。これがやや分かりにくく、案内板も不親切である。途中で真っ直ぐ行く道と、左斜め前方に向かう道の分岐点があるのだが、どちらにもこの先火之御子社という矢印が書いてあったりする。観光案内所でもらった地図も結構いい加減である。
戸隠五社の中で、唯一専用のバス停がないのだが、バスで行く場合には戸隠営業所で降り、4分ほどバス通りを下ると火之御子社に到着する。
社号標と鳥居。
少し前まで、当社は火之御子社と書かれたり、日之御子社と書かれたりしていたと思うのだが、いつの間にか火之御子社に表記が統一されたような気がする。
参道石段。両脇の杉が素晴らしい。
伊和神社の紹介記事で黒門(こくもん)というのが出てきたが、参道の両脇に見られる巨木というのも、鳥居とは呼ばないが鳥居と同じ意味がある。神聖な場所に入るための一種の門のようなものである。
社殿。中社と同様に、本殿・拝殿一体型であり、正面が切妻の入母屋造。これが中社、宝光社と共通しており、戸隠神社の1つの特徴となっている。
御祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと=アメノウズメ)で、岩戸開きの際に岩戸の前で踊りを踊った神様。芸能の神様であり、人気の神様であるとされる。
しかし、よく考えてみると、社名は火之御子社である。アメノウズメが火之御子というのは違う気がする。なぜ、火之御子社と呼ばれるのか謎ではないか。その説明も読んだことがない。
こういう時は神様に直接質問する。
神様の世界で「火」と言えば、まず「カグツチ」である。火産霊(ほむすび)と呼ばれることもあるが同一神である。全国の秋葉神社や愛宕神社などに多く祀られている。
そして、当社の主祭神はアメノウズメなのであるが、ほかに三柱の神が祀られており、その中に天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと=オシホミミ)という名前があった。アマテラスの子である。ここで私はピンときた。
実はオシホミミはカグツチの分身なのである。私はこの事実を以前から知っていたので、理解できたのである。火の神様であるカグツチの分身だから、「火之御子」である。
おそらく、古い時代にはオシホミミが主祭神で祀られていて火之御子社という名称が付いた。その後、天の岩戸神話に基づいて、御祭神を調整したのだと思う。
御神木の夫婦杉。
火之御子社は唯一、社務所のない無人の神社。しかし、清潔なトイレが完備されている。
参拝者も一番少ないのであるが、それだけに静かに参拝できるし、場の気に浸ることもできる。
再び神道を歩いて、最後の宝光社へ。
火之御子社から神道を経由して宝光社に向かうといきなり社殿の横に到着するのであるが、今回は画像を実際とは逆順にして、正面鳥居から順に紹介する。
表参道の鳥居と社号標。
宝光社は下から参道を見上げた時の少し厳しい感じの気が好き。
中社よりも参拝者が少ないが、宝光社も素晴らしいので、是非訪れていただきたい。
手水舎のあるスペースと、左手に参道石段。
参道石段の両脇に凄い杉。
これらの画像が私の中での宝光社のイメージ。
実際には火之御子社から神道を通って社殿の横に到着したのだから、この参道石段は上っていない。帰りに下りただけである。ただ、正面鳥居から入った場合には、結構きつい石段を上らなければならない。
先に奥社から参拝すると、標高的には山の上から下りてくる感じになるので、あまり上り坂などに遭遇しないというメリットもあるかもしれない。
参道を見下ろすと、こんな感じ。
もう少しで社殿到着。
宝光社の社殿。ここも本殿・拝殿一体型、正面切妻の入母屋造である。
宝光社の御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと=アメノウワハル)。あまり聞き慣れない名前の神様だと思うかもしれないが、中社の御祭神であるオモイカネの御子ということになっているそうである。
ただし・・・。
古事記、日本書紀、その他の書物における神様の親子関係、兄弟関係等というのは、実際の血縁関係とは無関係な場合も多いので注意が必要である。
実際に地球に降臨してきて、地球上で親子関係があったというのは、文字通りの親子関係である。
例えば、天孫ニニギと妻さくや姫がヒコホホデミ(山幸彦)を生み、ヒコホホデミと妻の豊玉姫がウガヤフキアエズを生み、ウガヤフキアエズと妻の玉依姫が初代神武天皇を生んだというのは地球上の出来事であり、本当の親子関係、夫婦関係である(その1回の転生での話ではあるが)。
これに対して、高天原的な親子関係、兄弟関係というのがある。
たとえば、オモイカネの妹としての栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ=磐長姫)とか、磐長姫とさくや姫が姉妹であるとかである。
こういうのは、仲が良いとか、気が合うとか、人間的な関係が近い人同士を親子や兄弟姉妹に見立てて「神話として人工的に作られた関係」なのである。
神道の神様というのは、その実体は高次元存在であり、高次元存在にも人間関係というのがある。それなりに波動が合う人同士で、ある程度グループをつくっているのであり、それが古事記等での親子関係、兄弟姉妹関係に表れているということなのである。
話を元に戻すと、アメノウワハルはオモイカネの御子であるとのことであるが、これは「神話として人工的に作られた親子関係」である。
アメノウワハルとは何者か。より本質を語ってよいのかどうか、今女神様たちに確認したところOKが出たので書いてしまうと、アメノウワハルとは瀬織津姫の眷属である。
以前の記事で、大祓詞(おおはらえのことば)に出てくる祓戸四神(はらえどよんしん)の中のイブキドヌシという存在は実はハヤアキツヒメ(=ミズハノメ)の眷属であると書いた。
それと同様にアメノウワハルは瀬織津姫の眷属なのである。
そして、実は瀬織津姫の眷属として、このブログに別名で一度登場している。貴船神社の伝説、玉依姫(=瀬織津姫)が黄色い船に乗り、淀川・鴨川をさかのぼり、その源流である貴船川の上流・現在の奥宮の地にやってきたという話。
この時に船の梶を取っていた梶取大神が境外社の梶取社に祀られているのだが、この梶取大神こそ、瀬織津姫の眷属であるアメノウワハルである。このお話については、以下の過去記事を参照していただきたい。
まあ、この話は戸隠神社とは何の関係もなくて、ただ話のついでに書いただけであり、なぜ宝光社にアメノウワハルが祀られているかと言えば、岩戸開きで活躍した智慧の神様オモイカネの御子だから、ということになる。
以上で戸隠五社の紹介を終わりたい。各社の基本情報は以下を参照していただきたい(画像は以前の参拝時のもの)。
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過去記事はこちらからどうぞ。