鞍馬・貴船を巡って16時過ぎ。それに山中を随分と歩いたのだから、普通ならこれでこの日は終了のはず。

 

しかし、日は長い。日没は18時40分くらいだったと思うので、17時台の参拝なら問題はない。そうまでして行きたい神社があったのである。それが、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称、上賀茂神社である。

 

私の中では上賀茂神社は結構行きにくいイメージがある。特に、この場合に出町柳まで戻ってしまったり、国際会館まで行ってしまうと時間がかかりすぎる。しかし、叡山電鉄の途中の市原駅付近の市原バスターミナルで京都バスを乗り継ぐという離れ業があり、17時は過ぎるがなんとか参拝が可能だというスケジュールを立てていた。

 

※ 貴船口バス停より京都バス国際会館駅前行に乗り、市原下車乗り換え。市原より京都バス出町柳駅前行に乗り上賀茂神社前下車。

 

しかし、市原バスターミナルで待てど暮らせど予定のバスが来ない。30分も待った挙句に平日と休日を勘違いしていたことがわかる。さすがに、もうダメか・・・。仕方なく、国際会館駅行のバスに乗る。

 

国際会館駅にはついたのだが、諦めがつかない。再度、思い直して、地下鉄で北大路駅へ。そして、北大路バスターミナルから京都産業大学行のバスに乗り、上賀茂御薗橋バス停下車。ここから徒歩6分で当社到着。

 

 

到着時間は忘れたが、たぶん18時くらいになっていたと思う。30分でも参拝時間がとれれば、それで良いと思っていた。画像から判るように、まだ充分に明るいし、時間が時間だから人が少なくて参拝には都合が良いかもしれない。

 

久しぶりの境内参道を懐かしさに浸りながら歩き、気分が良かった。ところが、次の瞬間、これである。

 

 

閉門・・・。

 

当社公式サイトによれば、参拝時間は5:30~17:00だそうである。皆さんも充分に注意していただきたい。

 

ここで思い出したのが前回のこと。なんと、前回も夕方に来て閉門されていたのである。このことは、この日この閉門の状況を見て初めて思い出したのである。もう5年も前のことだろう。ここから、とぼとぼバスに乗って帰った記憶が蘇ってきた。

 

2回連続で閉門を食らってしまったのだが、ますます諦めがつかない。もちろん、京都市内だから、いずれまた参拝のチャンスは訪れるだろう。しかし、私の京都での神社巡りの原点とも言える当社には、どうしても今回参拝しておきたいのだ。

 

ただ、翌日は京都駅を8:36発の特急「きのさき」に乗ることが決まっていた。実は、今回の旅行で元々女神様たちから行くように奨められていたのは兵庫県にある一宮3社、つまり、粟鹿神社(あわがじんじゃ)、出石神社(いずしじんじゃ)、伊和神社(いわじんじゃ)であって、京都市内の神社は私が付け加えたのである。もう、この予定は変更することができない。

 

諦めないのだとすると、翌日の早朝参拝しかありえない。この周辺に泊まっていれば良かったのだけど、昨今の状況においては、ゴールデンウィークの京都というのは宿泊料金がバカらしいほど高いため、私は常套手段で隣の滋賀県、今回は佐久奈度神社の最寄である石山駅近くに宿泊していた。早朝参拝はあまりにも厳しい。

 

出した結論は・・・朝5時過ぎの電車に乗り、当社へ向かう。地下鉄の北大路駅からはバスもない時間帯のため、徒歩。鴨川沿いなどを20数分歩いて当社到着。

 

 

何がここまでの執念を呼び起こしたのか。今度は当然とはいえ、鳥居を入ることができた。

 

 

細殿(ほそどの)という社殿。この前にある立砂(たてずな)は当社シンボルの1つ。賀茂別雷神社と言って思い出すものの1つが、この立砂である。

 

別雷大神が降臨した円錐形の山にちなむものだという。

 

 

 

もう1つの当社シンボルである楼門。手前の反り橋(玉橋と呼ばれる)や御物忌川(おものいがわ)、緑と調和して非常に美しい。

 

しかし、またしても閉門である。中に入れない。早朝だから中に入れないのだろうか。

 

公式サイトで調べたのだが、よくわからなかった。当社では有料の特別参拝を行っているので、その場合にはもっと中に入れるはずである。と思ったら、公式サイトに特別参拝の受付は楼門の中、左手の社務所にてと書いてあるから入れる時間帯には楼門の中に入れるようである。特別参拝は10時~16時(土日祝16時30分)とサイトにある。

 

ただ、早朝だったからか閉門されているので、ここで参拝である。私の経験では楼門からの参拝になるのは当社だけである。

 

なお、私も6年前の初回参拝時には、特別参拝に参加している。別雷(わけいかづち)の神話や流造(ながれづくり)という社殿の様式について説明されたことを記憶している。そして、通常では入れない場所に入っての参拝になる(撮影は禁止)。是非、特別参拝に参加されることをお奨めする。

 

 

中には入れないので、中の様子を写真に収める。

 

正面の社殿は高倉殿と呼ばれる。ここで参拝するとのこと。

 

実質的に拝殿と言えるのかどうか。実は、上賀茂神社の境内図の中には拝殿という言葉が出てこないようである。ネットで調べると、さきほど立砂があった細殿という社殿を拝殿としている記事が複数ある。

 

立砂の細殿と、楼門の中のこの高倉殿と、2箇所で参拝できるようになっているとも言えるのかもしれないが、この高倉殿は本殿瑞垣内に入るための「門」であると思うので、細殿が拝殿ということらしい。

 

当社の御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。そして、何度も過去記事で書いているように、これは天孫ニニギを指す。

 

天孫ニニギが雷を別けるように地上に降臨したから、あるいは神話に伝えられているように、成人の時の祝宴で雷を別けるように天に昇って行ったから「別雷(わけいかづち)」なのである。

 

 

 

ここからは境内社等。末社の川尾神社。御祭神は私の守護霊様であるミズハノメ。うちの女神様たちは全国の神社でかなり幅を利かせていて、どこにでもいるなあ、といつも思う。

 

当社の境内社にはプレートに社名と御祭神が記載されているのがとても良い(この画像では御祭神が読み取れないが)。

 

 

楼門手前の片岡橋を渡って(玉橋は通行禁止)、第一摂社の片山御子神社。延喜式内の古社でもある。別名で片岡社とも呼ばれる。

 

由緒書・説明には御祭神が「玉依比売命」となっているものと、「賀茂玉依比売命」となっているものがあった。後者は当社御祭神である賀茂分雷大神の母親である。この2人の違いについては過去記事「神社巡り 賀茂御祖神社」をご覧いただきたい。

 

平安の昔より恋愛成就、子授け、安産の神様として著名であり、源氏物語の作者である紫式部も度々参拝に訪れたという。

 

 

 

隣の須波神社。ここも摂社であり、延喜式内社。

 

諏訪神社の当て字かと思いきや、阿須波神 (あすはのかみ)ほか五柱の総称で座摩神(いかすりのかみ)と呼ばれる神様が御祭神。大阪に摂津国一宮とされる場合もある座摩神社(いかすりじんじゃ)がある。

 

 

末社の橋本神社。

 

 

舞殿。

 

実は「ならの小川」と呼ばれる川の上を跨いで建てられているという珍しい舞殿。それゆえに橋殿(はしどの)とも呼ばれるのである。それが判る角度からの写真も撮っておけばよかった。

 

そのせいなのかは不明だが、通常の舞殿と比較して、長い社殿である。正方形よりも長方形。この画像の手前から奥に向かっての柱の数を見ていただくとわかる。

 

この「ならの小川」はこの画像の左手から2つの川に分かれ、右手の楼門側が御物忌川(おものいがわ)、左手が御手洗川と呼ばれるそうである。

 

 

上賀茂神社の一般参拝というと、だいたい以上で一通りと思って、元の参道を戻ってしまう人が多いのだが、「ならの小川」に沿った境内社群の参拝を忘れずにしていただきたい。というのは、私も初回参拝時にはこの境内の一角に全く気が付かなかったからである。

 

画像は先ほどの舞殿の右手の橋である。

 

そして、この橋周辺や橋を渡った辺りの場所が当社で一番美しいポイントである。

 

 

 

 

息を呑むほど美しい光景。

 

神社境内の美しく清らかな川ということで思い出されるのは、静岡県の小國神社(おくにじんじゃ)、三重県の瀧原宮(たきはらのみや=伊勢神宮別宮)。

 

下鴨神社も御手洗川周辺が最も美しいポイントであった。

 

 

 

末社の岩本社。御祭神は住吉三神。底筒男神(そこつつのお)、中筒男神(なかつつのお)、表筒男神(うわつつのお)。

 

 

 

摂社の賀茂山口神社。

 

不自然な横からの画像となっているが、この本殿の前には拝殿があって、拝殿と本殿の間に細い通路がある(岩本社から続いている小径)という構造になっており、本殿はこのようにしか写真が撮影できない。拝殿は別の道をまわり込まないと行けないため、後で出てくる。

 

「かもやまぐち」で思い出すのは奈良県御所市の葛城エリアにある鴨山口神社。こちらからの勧請かと思ったのだが、御祭神が異なる。鴨山口神社の御祭神はオオヤマツミだが、当社は御年神(みとしのかみ)。しかし、御年神の場合も、それはそれで葛城には葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)というのがある。

 

そして、葛城にある高鴨神社(たかかもじんじゃ)が全国の鴨・賀茂・加茂神社の総本社と称しているので、葛城の「鴨」と京都の「賀茂」「鴨」は元々は関係があるのである。当社にも関連する京都の賀茂一族というのは葛城に源流があるようである。

 

 

賀茂山口神社の先をさらに歩くと、雰囲気が全く異なる一角がある。恐ろしいとか、不気味だとか、途中で具合が悪くなって引き返したとかいう話が溢れているようであるが、私は平気である。

 

 

八嶋龍神。

 

 

二葉姫稲荷神社。

 

 

戻ってきて、さきほどの賀茂山口神社の拝殿側に回り込む。ここは渉渓園(しょうけいえん)と呼ばれる庭園。ここも当社の中で美しい場所の1つだ。

 

 

 

賀茂山口神社の拝殿。ここにも近江形式の拝殿を見ることができる。

 

 

奈良神社。御祭神は奈良刀自神(ならとじのかみ)で、学業成就と料理技術向上の神とある。

 

料理の神様として把握しているのが三柱になった。お酒の神様は松尾大社(大山咋神)、料理の神様については過去記事「神社巡り 吉田神社」を参照していただきたい。

 

それにしても、当社の配置が不思議である。左に建物があり、建物との間の通路から参拝するという変な構造になっている。この謎はしばらく後に解くことができた。

 

 

反対側の広い場所から見たところ。この長い建物の説明に「北神饌所」とあったのである。

 

神饌(しんせん)とは神様にお供えする食事のこと。神饌所はそれを調理・準備するところであろう。ということは、奈良神社は神饌の調理・準備にあたって料理の神様に祈念するために、このような構造になっていたということが推察できる。

 

 

ならの小川の続き。「ならの小川」と表記したり、「奈良の小川」と表記したりするようであるが、ネットの辞書を調べるとなんと掲載されていて、なぜひらがな表記なのかがわかった。元は「楢の小川」らしい。賀茂山口神社のルーツかもしれない奈良県御所市の葛城エリアや、奈良神社に掛けて「ならの小川」となったのであろうか。

 

 

末社の山森神社。御祭神は素戔嗚神(スサノオ)、稲田姫神(クシナダヒメ/イナダヒメ)、田心姫神(タゴリヒメ)。病気を治す神様とのことだが、組み合わせが斬新である。

 

 

お隣の末社、梶田神社。御祭神は瀬織津姫。下の病の神様とある。不思議に思ったのだが、瀬織津姫に訊いてみたところ、それで合っているとのこと。

 

ならの小川沿いに境内入口に近いところまで来てしまったのだが、少し戻る。

 

 

外幣殿(げへいでん)。

 

話の都合で最後になってしまったが、境内入口となる一の鳥居から夕方に来て閉門されていた二の鳥居までの広々とした参道の右手に実はこの社殿があった。

 

説明には法皇、上皇等の御幸や摂関賀茂詣の際の著到殿(ちゃくとうでん)とある。これは装束の着替えを行う場所らしい。

 

外幣殿というのは伊勢神宮の内宮にもあった。高床式倉庫のような建物である。それとの共通点は何だろう。一般的に外幣殿とは何か、調べたのだが明快な答えが出てこない。

 

通常の幣殿(へいでん)というのは、拝殿と本殿の間にあり、神様に幣帛を供えるための社殿。御祈祷の儀式の際に、玉串を神に捧げる玉串奉奠(たまぐしほうてん)というのがあるが、玉串を捧げる社殿も幣殿となる。

 

外幣殿とは、拝殿瑞垣の外にあるから外幣殿なのであろう。

 

幣は幣帛(へいはく)の幣。幣帛は神様にお供えするもののうち、神饌(食事)以外のもので、特に布や装束類。

 

内宮の外幣殿は幣帛を収める建物、こちらは装束の着替えの場所。装束というのも神へのお供えの一種みたいなものらしい。まあ、そのくらいしか内宮の外幣殿と当社の外幣殿の共通点は無さそうな気がする。

 

以上で一通り巡って1時間くらいだっただろうか。

 

帰りは当社前にある上賀茂神社前バス停から京都駅前行のバスに乗り、北山駅前バス停で降りて、北山から地下鉄で京都駅へ。8:36発の特急「きのさき」に余裕で間に合った。

 

当たり前なのだが、京都駅前行のバスだからといって、そのまま乗り続けると、とんでもない時間がかかる。京都市内のバスを長距離乗り続けると1時間以上かかることもあるし、渋滞などでどうなるのかわからないので基本的には避けるべきである。

 

そういったあまり使えない経路を除いた、当社までの実践的な経路は、1)北大路駅か北山駅から徒歩。2)北山駅前から上賀茂神社前行バスに乗る。3)北大路バスターミナル(北大路駅直結)から京都産業大学行のバスに乗り、上賀茂御薗橋下車、徒歩6分。

 

京都の人はまた別のことを言うかもしれないが、あまりバス経路に詳しくない旅行者の場合は地下鉄などの駅を起点に考えるから、こんなところではないだろうか。

 

当社の基本情報と全ての画像は以下をご覧いただきたい。

 

現代神名帳 賀茂分雷神社

 

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