いよいよ超有名神社の紹介である。賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、通称、下鴨神社を紹介する。

 

過去記事「神社・神道 豆知識集(1)」において、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称、上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷大神とは、実は天孫ニニギを指すということを説明した。天孫ニニギが雷を別けるように地上に降臨したから、あるいは神話に伝えられるように、成人した時の祝宴で雷を別けるように天に昇って行ったから「別雷(わけいかづち)」なのである。

 

それに対して賀茂御祖神社というのは、別雷大神の両親を祀る神社という意味になる。

 

これは天津神としての天孫ニニギの両親ということではなく、天孫ニニギの地上における両親というのが元々の意味あいである。前述の過去記事に書いたように、父親は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)である。

 

そして、母親が問題となる。現在では公式に玉依姫命(タマヨリヒメ)となっているのだが、少し前までは「賀茂玉依姫命」と「賀茂」が付いていたと思う。

 

なぜかというと、「賀茂玉依姫命」と一般に言われている「玉依姫命」は別人だからである。

 

父親である「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」も、元々の母親の「賀茂玉依姫命」も、普通の地球人である。だから、ニニギが成人した時の祝宴で雷を別けるように天に昇って行ったのを見て驚き、その時初めて息子が天津神だと知ったのである。

 

それに対して、一般的に「玉依姫」として知られる存在は天孫ニニギの2代後の統治者であるウガヤフキアエズの妻であり、すなわち女神様なのである。

 

だから、元々の御祭神である「賀茂玉依姫命」は「玉依姫」ではないのである。

 

ただし、現在では当社も公式に御祭神を賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と「玉依姫」としているようである。そして、これは大正解なのである。現在では「玉依姫」が実際に御祭神を引き受けていると女神様たちは言っている。

 

そして、過去記事で何度も紹介している通り、玉依姫というのは私の守護霊様チームの瀬織津姫と同一神なのである。これが当社を語る上で絶対に必要な基本知識である。

 

 

 

 

当社参道は出町柳駅近くから北に向かって伸びている。非常にわかりやすいはずなのだが、初回参拝時にはなぜか横の方から境内に入ってしまい、こんなに長くて素敵な参道があることすらわからなかった。2回目参拝時には出町柳からの参道はわかったのだが、そのころにはまだ境内をくまなく歩く習慣がついていなかった。

 

参道を全て歩き、境内をくまなく巡り、ほぼ全ての境内社に参拝するのは3回目の今回が初めてなのである。読者の皆さんは、くれぐれも、このようなもったいない参拝の仕方をしないように注意していただきたい。

 

 

 

私の中で、下鴨神社のイメージとして思い付くものの1つがこの参道である。朱と緑の美しい参道。石碑にあるように、当社は世界文化遺産でもある。

 

この参道を包み込む社叢林は糺の森(ただすのもり)と呼ばれている。この中央の参道のほかにも散策路があるので、時間があれば散歩してみるのも良い。

 

 

参道左手に摂社の河合神社(かわいじんじゃ)。これが超重要である。

 

 

 

 

単独の神社として考えてもかなり立派な社殿である。それもそのはず、延喜式内の名神大社である。現在は賀茂御祖神社の第一摂社。

 

それよりも重要かもしれないのが「美人の神様」を謳っていることである。どこかに日本一の美麗の神様のようなことが書かれていたはずである。御祭神は玉依姫。

 

そして、最初の方に書いたように玉依姫は瀬織津姫と同一の存在である。つまり、私の守護霊様チームのメンバーである。

 

私の守護霊様チームのメンバーを最初に知った頃に、7人の女神様全員に「〇〇ちゃん(愛称)ってかわいいの?」と質問したことがある。全員から即答でYesの回答が返って来た。高次元では自分の好きな姿になれるし、それゆえに、自分が一番かわいいと思っているのかと思っていた。

 

ところが、この記事を書くにあたって、この河合神社では御祭神の玉依姫(=瀬織津姫)を日本一だか宇宙一だかの美麗の女神様と言っているけど、みんな、自分が一番かわいいと思っているんだよね?と質問してみた。

 

すると、本当に本当に意外な答えが返ってきたのである。うちの守護霊様チームの女神様たちはこのように思っているのである。

 

瀬織津姫>自分>>>>>>>>>ほかの女神たち

 

当然、自分はかわいいけど、瀬織津姫には勝てないと思っているのである。瀬織津姫はチーム中一番古い魂であり、一番次元が高い(波動レベルが高い)存在である。やはり、基本的に上の次元、上の波動レベルの存在には勝てないのだそうである。

 

だとすると、2番目に古い魂であり、私のメインの守護霊であるミズハノメが2番目にかわいいことになるように思えるが、誰もそんなことは思ってなく、ミズハノメよりは自分がかわいいと思っているというところが重要なポイントである。

 

高次元では自分大好きだから、多くの存在が自分が一番だと思っている。それでも、瀬織津姫を立てるほど、瀬織津姫はかわいいのである。

 

宇宙で女神様と言えばシリウスであり、シリウスの中で最高位に君臨する女神様が瀬織津姫である。日本一どころか、宇宙一の美麗の神様でもおかしくないのである。

 

なお、ここで「かわいい」という言葉を用いたことも重要である。地球で言う「美人」「冷たい美人」のようなのは高次元的にはいまひとつである。女神様たち本人も「美人」という言葉は嫌で、「かわいい」と言われることを好む。高次元的には「天真爛漫なカワイ子ちゃん」が好まれるのである。それで「かわいじんじゃ」なのである(本当かは不明)。

 

 

 

同じ門の左隣に貴布禰神社(きふねじんじゃ)。御祭神はうちのチームのあやちゃん(=アヤカシコネ=高龗神)。河合神社内にあるのだが、貴布禰神社は賀茂御祖神社の摂社。

 

そのまた左隣に見えているのが任部社(とうべのやしろ)。こちらは河合神社の境内社である。摂社である河合神社がさらに境内社を持っているのである。

 

 

御祭神は八咫烏命(ヤタガラス)。ご存知、日本サッカー協会および日本代表のシンボルマーク。私の守護霊様チーム紹介の過去記事に書いたように、瀬織津姫はサッカー通でもある。

 

この河合神社の瑞垣内に鴨長明の方丈庵を復元したものがあったのだが、本当に信じられないことに、全く気が付かなかった。通常ではありえないことなのだが、うちの守護霊様たちがやったのである。皆さんは是非見逃さないようにしていただきたい。なお、河合神社の画像3枚のうちの2枚目の右端に一部写っているのが、この方丈庵の復元である。

 

実はこの河合神社とその境内社がかなり立派であり、ここで時間を使い過ぎていたのである。下鴨神社の参拝に用意した時間は参道含めて1時間程度だったのだが、河合神社周辺で既に時間が不足気味になってきていた。

 

女神様たちが私に方丈庵に気付かせなかったのは、「もう行きなさい」という意味だったのである。神社巡り旅行にはこういう一面もあるのだが、仕方がない。時間無制限ではないのである。この日、佐久奈度神社、日向大神宮に続いて当社に参拝。そして、この後の予定として鞍馬・貴船なのである。どうしても1時間で切り上げなければならない。

 

鴨長明は平安時代末期に父親が下鴨神社の禰宜という恵まれた家に生まれる。そして、この摂社河合神社の禰宜に欠員が出た際に、就任を希望し、後鳥羽院からの推挙も得られた。しかし、結果として河合神社の禰宜に就任することはできず、世間的な尺度から見れば、その後の人生もあまりうまくいかなかったようである。

 

ただし、本人としては納得の人生だったのである。

 

人生の終盤になって山の中に小さな庵を建てる。「丈」とは長さの単位であり、約3m。方丈庵は3m四方の小さな庵ということである。ここで、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」で始まる方丈記を書くのである。

 

この庵は組み立て・移動式になっており、鴨長明は必要最小限の持ち物だけで暮らす、今で言う「ミニマリスト」の元祖のような人だったようである。

 

 

三井社(みついしゃ)。河合神社瑞垣の外にある。これは河合神社の境内社としての三井社なのだが、賀茂御祖神社の摂社としての三井神社も後で出てくるので、その時に解説する。

 

 

先を急ごう。糺の森(ただすのもり)の中の参道を歩く。左手にもう1本、このメインの参道と並行して小路があるのだが、工事中だった。その辺りに建て替え中らしき境内社もあった。

 

 

 

やっと楼門に到着。上賀茂神社にも似たような楼門があった。上賀茂神社では楼門の先は立ち入り出来なかったが、当社ではまだまだ奥に進むことができる。楼門は上賀茂神社、下鴨神社共通の1つのシンボルと考えることができる。

 

 

 

舞殿。参道中央にあり、近江形式の拝殿と区別が付きにくいが、ここでは舞殿である。

 

実は当社では舞殿のほかに神楽殿がある。舞殿と神楽殿は基本的に同じ意味であると思うのだが、2つある(神楽殿はノーマークだったので画像はない)。

 

女神様たちに訊いたところ、こちらの舞殿がメイン。そのほかにサブの舞殿を区別のために神楽殿と呼んでいるらしい。たまに、2つの舞殿(神楽殿)がある神社がある。大きな神社であれば、御祈祷のメニュー(?)として、それなりにお金を積めば御神楽の奉納というのがあると思う。それを2箇所の舞殿で同時にやることはおそらくないであろうが、一応可能にはなっている。ただ、こういう場合、元々舞殿があったのに、後から「もっと立派な舞殿をつくろう」ということになったのが経緯として考えられる。

 

なお、舞殿の読みが難しい。難しいというか、神社によっても公式の読み方が異なり、一般論で言えば「まいどの」「まいでん」「ぶでん」のどれも正解のようである。最も一般的な読みは「まいどの」らしいのだが、個人的には「まいでん」と読んでいた。本殿、拝殿、神楽殿はいずれも「でん」と読むからである。

 

 

中門。ここから中が拝殿瑞垣内であり、一般参拝で入れる最終地点。

 

 

拝殿。正面から写真撮影するスペースはない。また、本殿には残念ながら近づくことはできない。

 

 

 

 

 

下鴨神社と言って思い浮かべるのが、参道に続いて、この拝殿瑞垣内の雰囲気。まず、拝殿含めて社殿が全てこげ茶色の古めかしい、よく言えば歴史と重みを感じさせる色で統一されているということである。

 

これらの社殿群の屋根は桧皮葺(ひわだぶき)。檜(ひのき)の樹皮を重ねてつくる。想像を絶するくらいの費用がかかる、超高級品である。

 

そして、この12の干支ごとの境内社。これは総称で言社(ことしゃ)と呼ばれる。御祭神の実体としては、全て大国主命(おおくにぬしのみこと)だが、全て異なる名称で祀られている。

 

 

中門を出てお隣にある三井神社。摂社の河合神社にも、その境内社としての三井社があったが、こちらは賀茂御祖神社の摂社としての三井神社。河合神社同様に、こちらも延喜式内の名神大社である。

 

御祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)、玉依姫の三柱であり、多少の表記の違いを除けば河合神社の境内社の三井社と同じである。

 

そして、ここでは賀茂建角身命の妻が伊賀古夜日売命で、娘として玉依姫を生んだことになっている。

 

この話はおかしい。上賀茂・下鴨に共通する神話と矛盾してしまっている。賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とその妻である賀茂玉依姫命(かもたまよりひめのみこと)が別雷大神(わけいかづちのおおかみ=天孫ニニギ)を生んだというのが、上賀茂・下鴨に伝わる神話である。

 

一般的に「玉依姫」の名前で知られる女神様は、竜宮城の乙姫として知られる「豊玉姫」の妹である。そして、母親は神話に出てこないが、父親は竜宮城の王様である大綿津見神(オオワタツミ)である。

 

なぜ、下鴨神社に「玉依姫」が関係するのかと言うと、元々は全く関係がなかったのに、別雷大神の母親が「賀茂玉依姫命」であるために、後になって本当の「玉依姫」が御祭神を引き受けたということなのである。

 

別雷大神の母親が「賀茂玉依姫命」というのも、直感的に判るように実際の固有名詞ではなく、おそらく「玉依姫」のように美しい女性だったことから後の時代に「賀茂玉依姫命」という名前を付けられたのであろう。

 

「賀茂御祖神社というのは別雷大神の両親を祀った神社」という大前提が崩れてしまう三井神社、三井社の由緒書の内容はいただけないと言わざるを得ないのである。

 

 

もう1つの摂社である出雲井於神社(いずもいのへ(え)じんじゃ)。ここも延喜式内社。御祭神は建速須佐乃男命(スサノオ)。

 

この後、中門に向かって右手の川が流れる一角へ。

 

 

井上社または御手洗社。御祭神は瀬織津姫。井戸の上に祀られていることから井上社なのだそうである。

 

 

 

御手洗池周辺は当社で一番美しい場所。

 

 

最後に楼門を出たところにあった相生社(あいおいのやしろ)。縁結びの神様であり、ここには人がたくさん集まっていた。御祭神は「産霊神(むすひのかみ)」となっていて曖昧なのであるが、女神様たちによれば、ここの御祭神は高皇産霊尊(タカミムスビ/タカミムスヒ)とのことである。

 

この後、行きと同じ参道を戻って出町柳まで戻った。参拝所要時間は1時間だが、時間の制約があるため、途中で切り上げての1時間だった。行けなかった境内社もある。全ての境内社に参拝したり、糺の森(ただすのもり)をゆっくり散策したい方などは1時間30分~2時間程度みておく方が良いだろう。

 

当社の基本情報は以下をご覧いただきたい。

 

現代神名帳 賀茂御祖神社

 

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