重苦しい時間が流れていただろう。
誰もが胸を締め付けられるような時間だったに違いない。
耐えきれずに泣き出す人物もいただろう。
そして誰もが思ったはずだ。
「もう二度と見たくない」
本来の目的は事故原因を検察側より先に見つけることにあった。そしてこれからの裁判に対してどのような対策をすべきなのかを検討するはずだった。
だがこの時点で、この場に集まった者の共通認識は、この映像を世の中に出してはいけない。
「映像は消去すべきだ」
これが集まっていた者達の最終的な結論だったのではないだろうか。
この中にはアイルトン・セナと犬猿の仲だった者もいるだろう。
しかし同じ戦場を戦ってきたという自負と仲間意識はある。
そんな仲間の死を再び好奇の目に晒すような事はできなかったのではないだろうか。
きっとこの映像の存在がしられたら、また世間の目は好奇な見方しかしない。
何度も何度も放送され、数多の急性的なF1特別コメンテーターが出現し、ピント外れな事故分析をするに違いない。
それらの事は簡単に想像する事ができ、とても耐えられるような事ではなかった。