F1~あの先にある栄光~プロローグ | F1~あの先にある栄光~

F1~あの先にある栄光~

F1~あの先にある栄光~は、1994年サンマリノGPで発生した事故の真相を追及するものです。

小説風に書いていきます。更新は2か月1回のペースでやっていきたいと思います。
タイトル写真:BigTallGuy

1994年5月1日、アイルトン・セナはF1サンマリノグランプリ決勝でタンブレロコーナーを通過する時にマシントラブルが発生して事故死した。

レース業界以外でも、非常に有名な彼の死は、普段はF1のことなどまるで取り上げないような人達までもが、センセーショナルに取り上げた。

私にとって、悪魔のような一週間だった。


あらゆる紙面やTV番組は、F1の知識があろうがなかろうが、コメンテーターに意見を求めていた。


適切なコメントなどあるはずもなく、的外れなコメントの連続には、耐え難いものがあった。

なぜ、アイルトン・セナは死ななければならなかったのか。

決勝前、グリッドに並ぶ彼は、明らかに、いつもの様子とは異なっていた。

裁判にまで発展したこの事故は、一応の決着がついたかのように思える。

しかし、今も、多くの謎を残したままになっている。

F1サンマリノグランプリが開催される以前、アイルトン・セナがタンブレロコーナーのバンプを修正するように現地にいってまで、コース管理者を説得している。

この事と、今回の事故には、本当に何ら関係はないのか?

複合事故といわれているが、ひとつのバンプを乗り越える時に、マシンの3カ所が同時に異常な状態になることなどあり得るのだろうか。

それが、発生する確率はどれほどのものなのだろうか。

しかも、あのタンブレロコーナーのような高速コーナーにおいて。

アイルトン・セナのF1マシンには、当時、車載カメラが搭載されていた。

彼のマシンが、レコードラインを外れた瞬間、その映像は途切れてしまう。

誰かが、意図的に消去したのではないか?

プラーティカ・ディ・マーレ空軍基地研究所では、ステアリングシャフトの破損は、事故後のものだという判断をした。

にもかかわらず、裁判では、ステアリングシャフトの破損は壁に激突する前に発生し、それが事故の直接的な原因とした。

空軍基地研究所の判断を覆すものは何だったのか?

土曜日の予選で発生した事故に、過去に見たこともないほど、アイルトン・セナは動揺をしていた。

人が、同じ空間で死んでいるのだ。動揺するのは当たり前だ。しかし、似たような状況は過去にもあったはずだ。

なのに、この時はF1ドライバーを続けられないというところまで、彼は追いつめられていた。

何か、別の理由があったのではないだろうか。

それは、タンブレロコーナーを視察しにいっている事と関係があるのではないか。

すべてが偶然の連続といわれているが、本当は予期できるものだったということはないのだろうか。

これらの事をひとつの仮説を立てる事で、一見、バラバラのように思える要因や出来事が、ひとつの数珠となってつながっていく。

この記事を書くことの目的は、何故、あれほどのドライバーが死ななければならなかったのか、そして、アイルトン・セナは、何故あの運命の日にF1マシンをドライブする事を決断したのか、このブログの目的は、まさにそれらを明確にしていくことである。

そうすることで、あの運命の日のまま時間を止めてしまった多くの人の時間を再び進めることができると信じているからである。