我が家の玄関先の側溝に花が咲いている。

人の出入りの時に何回も踏まれたことだろう。

この花をみていると亡き母の手紙を思い出す。手紙の中に「踏まれても 根強くしのべ 道草の やがて花咲く 春も来るらん」と書いてあった。もう、何十年前の事である。

さて、私は子供たちに何を残しただろうか。

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この団地に住み始めて36~37年になる。住人の半分近くは入れ替わっている。

夫婦とも亡くなってしまったとか、介護施設に入所されたとか事情はさまざまである。

鴨長明は方丈記で
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし」と、人生の儚さを書いている。

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ここの家の人も亡くなってしまった。



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近頃は日の出が早くなった。ラジオ体操の時間には太陽が水平線から上がっている。

毎朝「ありがとうございました」と朝日を拝んでいる。

鹿児島の「串木野さのさ」の一節に
「ハア~落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の 奥ぞ知る 朝日を拝む人あれど 夕日を拝む人はない サノサ」

人間社会において日の出の勢いの人には近ずいていくが、勢いの無くなった人からは離れていく。そんな事を歌っている。

4月はそんな事が顕著に現れる月でもある。心しなければならない。
「人は落ち目が大事」と言われる所以である。


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