アルツハイマー型認知症になった母を引き取って2ヶ月以上が過ぎました。
父もアルツハイマー型認知症と診断され、ワンオペダブル介護になりました。
閲覧、イイね、コメントありがとうございます☺️
母を引き取ってから、
毎日朝晩に様子を見に行き、
休みの日には、数時間、 母の話相手をしていました。
そして、わかったこと。
改めてやっぱり母は毒親だったんだなぁってこと。
毒親にもいろいろあるとは思いますが、
母から出る話は愚痴ばかり。
そして、元旦那である私の父への恨みつらみのオンパレード。
自分は子供のころは身体が弱くて…とか、
いかに自分は可哀想な人生だったかと言う話を、毎日聞かされるのです。
楽しい話はひとつも無い。
自分の主張ばかりで、
下手すりゃ暴言、暴力が飛んで来ます。
子供のころを思い出しました。
金銭面に全くの余裕のなかった我が家。いわゆる貧乏です。
子供4人いて、お金はかかります。
ちょうどパブルのころで、
皆がお金に不自由していなかったころでした。
けれど、ウチはいつもお金のことで、父母はケンカの毎日。
家庭内別居。
楽しい記憶は、ほとんどありません。
食事はさすがに与えられていましたが、身の回りのことは自分でやっていました。
小学4年のころだったと思います。
母が出掛けていて、遅くなった日。
私は、ご飯を炊きました。
何合炊いていいか分からなかったので、目一杯の10合炊きました。
ガスコンロを使うことは許されていなかったので、料理は出来ません。
それでも、母が帰って来てから、直ぐにご飯が食べられるように。
ドキドキしながらやりました。
喜んでくれるかな?褒めてくれるかな?と淡い期待もありました。
けれど、帰宅した母から出た言葉は、
なんでこんなに炊いたんや❗️
余計なことしやがって❗️
でした。
そして、勝手なことするなとネチネチ責められました。
悲しい気持ちになったことを覚えています。
母は私が母の思い通りにならないと、直ぐに殴る素振りをしたりしました。
実際にゲンコツ、平手打ちをされたこともあります。
記憶の中で褒めてもらったことはありません。
ありがとうとか言われたこともありません。
常にアンタは○○やからアカンねや、と否定的な言葉を言われていました。
「性格が素直じゃない、ひねくれている」
毎日そう言われて育ちました。
母の人生は思い通りにならなくて、
家庭も上手くいってなくて、
金銭面でも余裕がなくて、
ストレスの発散、はけ口は私たち子供に向けられていたのでしょうね。
大人になった今、
母は精神面の毒親だったんだって。
そう思える。
長姉、次姉たちからは拒否られて、
最後に頼って来たのは、この私。
それでも、母の性格は、変わらない。
認知症になってますますひどくなっているかも知れない。
認知症のせいじゃなく、母のもともとの性格だったんだ。
私の心が荒んでいく。
ああ、姉達が母を拒否する理由がこれなんだなぁと、つくづく思った。
これから、母とどうやって向き合おう…。