
』 (笑)
』と言われ 
』 (笑)
』と言われ 
1学期の毎日の熱が嘘のように
元気に活動していました
こんなに調子よく学校にいけるのなら
本当に2学期はすんなりと登校できるかも・・・
そう期待できるくらい
明るく 元気に

改めて自分の日記などを読み返してみると
5月から病院を受診し始めたけれど
そういえば ゴールデンウィーク前に一度熱を出し
1週間学校を休んでいました
そのまま ゴールデンウィークに突入し
連休明け2週間もしないうちに
受診のきっかけになる発熱が始まったことを思い出しました
1学期中の娘への接し方で
反省することがいろいろあったと思います
もともと すぐに風邪をひいたり 熱を出したりする子でした
小さい頃はしょうがないとしても
ある程度の年齢になれば
自己管理も大切
常日頃 「あなたはすぐ風邪引くんだから、うがい・手洗いは
風邪の季節じゃなくても人一倍やらないとだめだよ!」
と声をかけていても なかなかやってない様子
熱を出すと ついつい
「またぁ?自己管理ができてないなぁ 」(-""-;)
と文句を言ってしまい
特に月曜に具合が悪くなると
「前の日に遊びすぎだよ!!」と怒ったりしていたと思います
そのうち 父親は
「仮病じゃないのか?」
と疑いはじめる始末
仮病も何も実際に熱が出てしまうのだから
それは違うと否定はしたけれど
さすがにあまりに熱が続くと、しかも高熱なのに家では元気な彼女を見てると
私も娘に対して呆れたような
というか
もしかしたら やや冷たい態度をとってしまっていたような気が・・・
毎朝 体温計を見ては ため息をつき
「ゲームとかパソコンなんかしちゃだめだよ!寝てなさい」
と言うだけで
でも 月曜に具合が悪いっていうのは
すでに学校に行きたくないっていうサインだったと気付けなかった 


)なのに、検便なんて
』
何事も経験!!』なんて訳のわからない励まし方をした(笑)
』
看護婦さんに、ガマンしてね!って言われたけど、キツいよ
』
』


呼ばれてないから)
)
を見てたら







父が新しい点滴チューブを入れた事と栄養剤を追加するという事から
最初の診断では 2~3週間の入院 と言われていたが
おそらく最低でも1ヶ月はかかるのではないだろうか と
母と話している
青森はこれからどんどん寒くなる
母としては、できるなら暖かくなるまで病院にいたほうが
安心だと話していた
病院に通う母は大変だろうが
私もそう思った
私が青森から帰る日
母が 今日から一人だなぁ と呟いていたことを
先日兄に電話した時に話し
私は電話ぐらいしかできないから
たまには様子みてあげてほしい とお願いをした
そのためかどうかはわからないけど(笑)
土曜日にでも一緒に晩飯食うか?と
電話がきたらしい
普段は必要なこともろくに喋らないような
無口な兄が
そんな事を言ってくるなんて想像もしていなかった母
『やっぱり いざとなれば 親子なんだなぁ』
と喜んでいた
○○(兄)もあんたも いざというときには
ちゃんと動いてくれるし安心した と
めいっぱいの事はしてあげられなくて
申し訳ないと誤ると
その時にできる範囲で できる事をしてくれる
それで充分親孝行なんだよ
と言ってくれた
その言葉をきいて
私は少しほっとした

父が肺炎と肺気腫で呼吸困難に陥り
入院して 今日で1週間
自宅に戻って以来
毎日 母と電話で話している
それまでは 月に2~3度
多くても週に1度
それも たいていは母の方からかかってきていた
毎日 仕事が終わり帰宅して
食事の支度・後片付け等していると
手があくのはたいてい母が寝てしまった後…
急用でもない限りは
自分から電話することなど滅多になかった
『何かあればかかってくるだろう』
ぐらいの気持ちがあったような気がする
実際 『何か』 がおきてみて
両親の姿を見て
なんて親不孝なことをしてたんだろうと
反省した
母はかなり前から 自律神経の乱れから
軽いうつのような症状やめまい・食欲不振等
さまざまな症状がおこり
数種類の薬を飲みながら
なんとか生活しているような状態だったが
今回のことで 自分がしっかりしなければ
という気持ちになり
毎日 父の病院を見舞っている
普段 一歩も外に出ない日もあったのに
昨日などは
『7000歩も歩いたと』 言っていた
私より歩いてるよ
と言うと
『そのうち 具合悪いのも すっかり良くなるかも』
と笑っていた
さて
父はというと・・・
まだICUに入ったままで 酸素マスクもはずせない
そのため 食事もとれず
このままでは体力が落ちてしまうので
栄養のある点滴を追加することになったそうだ
ただ、腕の血管は連日の点滴で腫れてしまったそうで
股関節の動脈に太い管を入れたらしい
腕に何本かついていた点滴の管も
全てその1本で済むらしく
腕が自由になった分、多少楽かもしれない
私が青森を後にした翌日 父は
『ぴあのはいつかえったんだっけ?』
と訊いていたそうだ
テレビも新聞も見ることがないICUで
曜日も時間の感覚もなくなっているのだ
帰宅してから今日で4日だが
今日も父は
『しかし、よく来てくれたなぁ・・・』
と嬉しそうに話していたと 母が話してくれた
『電話したら その1時間後には新幹線の
切符とったって連絡きたんだよ』
と母が言うと
また嬉しそうに
『よく来てくれたなぁ』
と繰り返していたと
そして『親孝行したね』と言ってくれたが・・・
40数年間も生きていて こんなことしかできていないのに
親孝行なんて言われて
恥かしいよ 