センスの哲学 読みました

センスについて書かれた本は、「センスは知識からはじまる」というものを読んだことがあります。


例えば服選びの際、配色や体形についての知識があれば自らの体似合った服を違和感の少ない色使いで選べるようになり、結果として「センスがいい」と言われる状態になるのではないか。


つまり、知る事を起点にセンスがよくなっている。そんな内容のことが書いていたような気がします。うろ覚えですが。


センスの哲学は、そこからさらにもう一歩踏み込んだ印象を受けました。


「センス」とはなんなのか。センスが「良い」とはどういう事なのか。といった問いに答えていく内容であったからです。




この本の結論から自分が理解した限りで言うと、いわゆる「センスがいい」とは、「ものごとのリズムを面白く並べられている」ということである。そう解釈しました。


「ものごとのリズムを面白く並べられている」にはいくつか不明瞭なところがあります。


リズムとは何か。何が面白いのか。並べるとはなにか。といったところ。


一つずつ書いていきましょう。


リズムとは、「うねりとビート」と本書で書かれています。


ビートとは、わかりやすいリズムであると言えます。太鼓を叩いて出す音のように、音がなる時とならない時が明確に分かれている。


一方うねりは、もっと複雑で明確ではないものです。様々な要素が絡み合い、多層的になっているもの。


これらのリズムを「並べる」。わかりやすいビートと複雑なうねりを並べる。ではどう並べたら「面白い」のか。


「反復と差違」が鍵として出てきます。


反復、つまり一定のパターンが続いた後に、差違、そのパターンからはずれたものが現れる。


そのときに「面白さ」を感じる。


まとめると「センスがいい」とは、「ものごとの、うねりとビートからなるリズムを、反復と差差違を意識して並べる」ということ。




抽象的でわかりにくいので、服を選ぶシーンに当てはめて考えてみる。


たぶん、ビートは「わかりやすい要素」ということになると思う。服のシルエットだったり、目立つところにつけるアクセサリーだったり。それらの「わかりやすい要素」から受ける印象がある。


うねりは何かというと、「一目ではわかりにくいけど確実に印象に影響を与えている要素」ではないか。例えば服の質感だったり、その人自身の雰囲気だったり。


それらを、反復と差違を意識してコーディネートする。


つまり、全体的な色づかい・服の形や質感は揃えて(反復)、どこかにアクセントを加える(差違)ということじゃないかな、と思う。




この本を読んだことによる1番良かったことは、センスについてよく考えられるようになった事じゃないかと思う。


センスってなに?センスがいいってどういう状態?「良い」ってどういうこと?


自分なりに考えを深めていけることそのものが大事なんじゃないか。


ここに長々と書いている事が合っているわけないけれど、こんなふうに考えることが大事なんじゃないかと思う。


こんなところで。