暇と退屈の倫理学 読みました

とても読み応えのある本でした!

500ページくらいあったはず、、、今まで読んだ中でも上位に位置するボリュームでした。


内容ももちろん面白い。


タイトル通り、暇と退屈、について考えていく本です。




暇と退屈についてどう向き合っていくか。


暇と退屈について考えたことがありますか?


そもそも、暇と退屈の違いもあまりわからず、同じような意味合いで使っている人も多いはず。

私もそうでした。


暇だな〜、と思った時、その「暇」を「退屈」に変えても文脈が成り立つはずです。


退屈だな〜、にしても、成り立つ。


そう言う感じで、暇と退屈の違いをあまり意識していない。


「暇」とは、「時間」のことであり、暇だな〜、とは、何もすることがない時間がある、と言うこと。


「退屈」とは、「自分が飽き飽きしていることであり、退屈だな〜、とは、今自分が周りのことに対して飽きている、と言うこと。


この2つを分けて考えられるだけでも、さまざまな物事の見方が変わると思います。




日々過ごす時間を思い返すと、暇な時間の多さ、退屈している自分が居る時間の多さに気づくと思います。


何か少しでも時間が空けばスマホを取り出す。


これは、その少しの時間に自分が退屈しているから、スマホを取り出して何かするのではないでしょうか。


それそのものが悪いと言いたいのではないです。


こんなふうに考えると、自分がやることなすことほとんどが暇な時間を潰すためにしていること、退屈を紛らわすためにしていることであるのがわかります。


本を読むことだってそうですし、このブログを書くことだってそうです。


本を読まなくたって生きていけるし、ブログを書かなくても人生問題ない。


ただ、本文中の引用になりますが、人はパンがなければ生きていけませんが、パンのみで生きていくのでもない。生活を豊かにするバラが無ければ、人生らしい生をおくれないですし、このバラこそを求めるべきだとも思います。




はるか昔、人間がまだいろんな土地を転々としつつ生活していたころは、退屈など感じる暇もなかったと言います。


人間の感覚は生きることに集中していた。


それが、1つの土地に定住することになると、能力が余る。


能力が余って何をしたら良いのかわからなくなってしまった。これが退屈の一因だと。


これが悪いのではなく、人間はどうしても退屈を感じてしまうのだから、暇と退屈の倫理学を考え、どう向き合っていくのか、と言うことを自分の内で考えていくことが、生きていくことそのものに向き合っていくことになるのではないか、と言いたいのです。


暇、退屈、ということについて考えて見るのもいいのではないでしょうか。


これは、人生において決して無視できないものであるからです。




本を読んで感じたことをつらつらと書いてしまいました。内容と違うところあったらごめんなさい、、、


先に断りを入れておきます。


こんなところで。