忘却の整理学 読みました
忘れることの大切さ、忘れていました。
忘れることは悪いことだと考えていました。
冷静になってみれば、少し考えてみれば、なぜ、悪い、のか。
忘れることは、なぜダメなのか。
忘れない人なんていないし、忘れることは悪、ということまでなるだろうか?
親しい人が自分のことを忘れていたら悲しい。
でもそれは、忘れる、ということそのものが悪いわけではないのではないだろうか。
その人が、忘れる、という道具の使い方を間違えた、と考えた方がしっくりくるような気がする。
忘れることそのものは悪くない。
私達は、忘れることを許されない社会で生きていないでしょうか。
学生の時、忘れることはよくないこととされていました。
学校のテストがそう。
授業の内容を覚えていて、テストで良い点を取れたら優秀。
授業の内容を忘れていたら落第。
社会人でもそう。
仕事の内容、コツ、容量を覚えていたらできる奴。
忘れる、覚えられないとできない奴。
でも、忘れるということは良くないことな訳がない。
もちろん、なんでもかんでも忘れていい、ということではない。
忘れることは悪くないんだ、ということを免罪符に、大事な約束まで忘れることを正当化したいわけじゃない。
忘れることが不当に悪者にされていることをどうにかしたい。
とてつもない量の情報が日々発信されている世の中、すべての情報を受け取っていたらあっという間にキャパオーバーしてしまうだろう。
無意識的に忘れて、自分の意識は守られていると思う。
本を読む時も忘れることはプラスに働いていると思う。
たくさん本を読むけれど、内容全て覚えているわけじゃない。
じゃあ、たくさん本を読んだのに自分の中に何も残っていないか、というと、そんなことはなくて。
一冊分の本の内容を、忘れる、という行為が、今の自分が理解できる分、今の自分に必要なところだけを、抽出してくれている。
まだ今の自分に早いところを削ぎ落としてくれている。
そうして残った知識、考えが、自分の意識の深いところに落とし込まれて、自分がアップデートされると思う。
そうしてまた、新しい本を読むと、より広い範囲を理解できる。この繰り返し。
忘れるということがなければこれはできない。
一冊の本を読んで、全ての内容を受け止めて、受け止めきれなくて、情報に溺れると思う。
忘れることは悪いことなんかじゃない。
生きている時の、忘れるという行為に、もう少しスポットライトを当ててみても良いと思う。
こんなところで。