テミンのジェンダーレスファッション (訳) | ふとしすずかげのブログ ③

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ただいま整理中につき、一部記事のみ開いてます。
(歌詞訳はご自由にお使いください♡)

 

 

 

 

K-POPは性別の区分が非常に明確な方だ。 時々、大型音楽番組のようなイベントでアイドルが自身と性別の違うアーティストのダンスをしたりもするが、それを見れば手ぶり、ステップなどからその動きまでその違いが非常に明確なことがわかる。 すなわち複雑なステップとあふれる力、やわらかい動作と繊細なウェーブのようにそれぞれが別の方向と方式で着実に発展してきた。 もちろん全世界的にポップミュージック、ヒップホップ、ダンスミュージックというのは、大抵そうだ。 体のつくりが違い、声が違い、動きが違う。 性別の違いはとりわけその間隙を非常に明確に認識させるので、違いを見せるのに良い領域だ。 

だが、果たしてそうだろうか。 初めからここに敷かれているという男性らしい、女性らしいということは何なのか。 例えばすべての男性が典型的な男性性を持っていたり、目標にするのではなく、すべての女性も同じだ。 そういうのをあえて作りたい気持ちがない人もいる、やってもうまくいかない人もいる。 持って生まれたのも関心も皆違う。 結局人それぞれ違うという話で、この違いは以前よりますます重要になっている。 作品を作る側も消費する側もその境界を疑い、その明確に見えた区分が薄れて行くのになじむようになっているので、既存の規範と区分の揺れる間で、新しい場所を探し、領域を作り出すことができるようになる。

テミンのソロ活動がそうだ。 簡単に言うならば、テミンはテミン式の“カッコよさ”を生み出している。 このカッコよさは大きくは‘ギャップ'の利用から生まれる。 例えば、官能と純粋、末っ子と成長、激しいリズムとスローな振り付け。サウンドは大変精巧で音楽は耽美的だ。 そして‘怪盗’では男性振付師の間に、‘move’では女性振付師の間にテミンがポジションを確保し、その共通点と違いを共に表わす。 このように両方のすべてとも“違い”というキャラクターの叙事をきちんと作り出していく。

ファッションもしかり、ここで大きな役割をする。 フェティッシュ ファッション風のシャツ、グラムロックの輝き、スリムな黒いスラックスや破けたブラックジーンズ、ミニマリズム、シースルーとレース。皆似ているところがあり、まさに性別の区別が曖昧なファッション ジャンルだ。 例えば、カッコよいセクシーさを作り出すのに、既存の男性性、特にK-POPが慣習的に活用した部分を特に利用していない。 

 

ジェンダーレス ファッションにも様々な流れがあるが、テミンの方式は自身の可視的な性別をファッションで利用し、消してしまい、これを通じて既存の性別区分を無意味にさせる方式とは若干違う。 それよりは、既存の男性性の代案として、新しい男性性を作り出す方が近く思える。 この新しい男性性のために利用できるのは利用し、自分によく似合うものがあるならば、領域に関係なく受け入れて今までとは別のファッションスタイルを作る。

結局、テミンが生み出しているカッコよさとセクシーさはジェンダーフリーや曖昧な想像の概念上に立っているのではない。 明確に“カッコいい”男性に向かっており、それが今までとは違うだけだ。 その外側が違うことはおそらく、関係なく別に関心もないようだ。 言葉どおり既存の観念などは分からなくてもよく、カッコいいとは何か、どのようにすればそれを生み出すことができるのかに集中している。

このような方式でテミンはK-POP産業において、自分だけの領域と叙事を非常に一貫性を持って構築することに成功している。 もちろんまだ行きつける道のりはたくさん残っている。 さらに深く掘り下げ探求し積み重なっているテミンだけのカッコよさやセクシーさということが、果たして今後どこにもう一歩進むことができ、どれくらいさらに完成度を上げられるか気になる。

 

ファッションコラムニスト パクセジン

 

(訳:ふとしすずかげ)

 

 

태민의 젠더리스 패션