足職人tomoe 村上智慧です。


このところブログを書いている時間がなくて、身近な方へは連絡していました。


ようやく落ち着いてきました。

ありがとうございます。


GW前に起きた事

シェアさせていただきます。


4月に入り、母に会いに行ったブログ



4月に入って会いに行ったのですが...


その翌週に「この週末が山場」

という連絡を病院から受けたと知って、

日帰りで2日に1度は母に会いに行ってたのでした。


そして

春の土用期間に入った

4月18日

母は旅立ちました。


86年を生きた肉体から離れる覚悟ができて、お空を優雅に翔いています。


兄貴はできるだけ家に長くいさせてあげたい、という思いで、4月22日のお通夜・23日のお葬儀まで、長年暮らした家でお別れの時まで家族で過ごす事ができました。


葬儀で思いがけず和装をすることになり、

焼津 ビューティーサロンさくら 

養子先生に髪と着付けをお願いしました。



「ビューティサロンさくら」Instagram

https://instagram.com/ishudu613no3?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ=

ハレの日・冠婚葬祭の着付と和髪セットのご相談・お問い合わせは、「さくら」さま店舗へお願いいたします。






母は、パンデミックで家族が会えなかった期間を耐え抜き、面会解禁になってから家族が会える機会を作ってくれました。


母を心配して、息子も娘も、孫達も勢揃いして、賑やかな中で過ごしたかったんだと思います。


母らしいな、と感じます。


世の「お母さん」は、元気で家事育児仕事なんでもこなして、太陽のように家庭を照らすのが当たり前

と思われやすいですし、そうあるべきだと頑張っている女性も多いかもしれません。


母が、母の役割ではなく、一個人として

1番愛されたい人は誰なのか?


その人から「愛している」「安心して」という言葉を受け取れないと、癇癪を起こすのです。


それが

身体を傷つける表現として現れます。


今回、急性心不全を起こしたとのこと。

心臓の動きを止めるほどの衝動。


母が入院するきっかけは、脳梗塞です。

脳梗塞を起こし、緊急入院したのでした。


母は何故、脳梗塞を起こしたのか?


一般的には

脳血管のどこかに血栓があって、詰まってしまってそこから先の血流が止まり、酸素が行き届かなくなった


と言う状況説明をするのだと思います。


そもそも、何故詰まったのか?


食事が脂が多いから、とか

血液ドロドロ、だとか

それも状況説明です。


もっと根本的な理由があるはずです。


臓器には周波数があり、病も周波数がある。

その周波数にピッタリ重なる思考の時、病へと進む。


そのような考え方で治療をされるドクターもいらっしゃる。

つまり

西洋医学だけにとらわれず、

治療と治癒を行う。

治療は、西洋医学。

治癒は、本人の意思です。

本人の意思が変わったら、病から離れることが可能なのではないか?

可能性ではなく、事実そのように寛解した方もいらっしゃる。



さて

降圧剤を飲まれている方。

それ、飲んで1年、血圧の平均は下がりましたか?

高血圧は変わりましたか?


降圧剤は、高い時だけ下げる対処療法です。

根本の問題解決ではありませんね。

母は長年の糖尿病の影響で、血管が硬く脆くなっていたでしょう。

血圧は高いに決まっています。


では、出血するってどういう事でしょうか?


血圧が200を超えて心筋梗塞を起こして、バイパス手術を受けてからは「坂道を登るのが怖い」とお散歩をやめてしまいました。


これで心肺機能がぐんぐん低下しました。

基礎体力も下がりました。


病気になると周りが優しくなるから、病気や怪我が絶えなくなる。

「お腹痛い→学校休める→親が優しくしてかまってくれる」優しくされたい・愛されたいという無意識が、病気を起こす。


気のせいではありません。

必然的に起きています。


これらは無意識下で行われますから、誰が悪い・誰かのせいなどという事はないのです。


母はプライドの高い人でした。


母は、幼少の頃から、いえ、生まれた時から「女は人工」として育てられました。


戦争でおじいちゃん(母の父親)は亡くなったと聞いています。

父からの愛は、受けたかったのに受けられなかったと考えられます。


おばあちゃん(母の母親)という人が相当強烈で。


疎開してきた静岡。

小学生の母は、静岡から名古屋まで行商したと聞いています。

行商させられた。これが正です。


鯖の干物を売ってこい。

というのがおばあちゃんからの命令。


母は従順にこなしたんです。

「母親の言う命令は聞くのが当たり前」


で、言うことを聞いてきた。

おばあちゃんは、戦争で夫(おじいちゃん)を亡くし、戦争未亡人としての権利獲得のため活動していました。


戦後大変な時代、その活動は同じような立場の女性を勇気づけたと思います。


そして娘には行商に行かせると言う豪傑さ。


おばあちゃんの生命の源が「お金」、母だって無意識下で「お金」に囚われるのです。


おばあちゃんも母も、物質としてのお金に執着していると思われてはいけませんので解説しますと


お金とは、愛。


無条件で受けられる愛の形。

家族間なら、言葉やふれあいです。


形として見えるもののトップは

お金なんです。


愛されているからこそ、豊かである。

そして

循環して初めてお金の価値が生まれる。


もしそうなのだったら、貧困状態から抜けない・お金がない!と口に出して言っている事は、「愛がない」ってことです。


血流の滞りやむくみは、循環が滞った証拠です。


愛の形はさまざま。

お金って、わかりやすいんです。


相続でお金の問題が上がるのも、愛情をたっぷり受けたか?受けないから代償のお金で満足したいか?


父が亡くなった時

きっと最期の会話を夫婦でかわしたかったはず。

でも父はスッと眠るようにいってしまいました。


母は、大事な人・愛する人・みんなに見守られて、いきたかった。


もう寂しくないよ。

みんな居るからね。

母が悩まされてきた事は、わたしが解消するから。

安心していいよ。


母が病院から家に戻り、まだ肉体がこの世にあるうちに。

いろんなお話を、口に出してお話しした中で、不安を安心へ変えて、母のできなかったことをする。


母は商才に長けた人でした。

でも活かす環境やチャンスを活かすことができなかった。


母が叶えられなかった事が、フットワーク軽く動けるわたしが叶えられる。


だから子供がいないし

だから仕事に生きられる。

わたしに与えられた環境は、いかさなきゃもったいない!


生かされているわたしの使命なんだと感じています。





「身近な」情報はメルマガと公式LINEで綴っています。

公式LINEは直接やりとりができるので、ご相談が主です。

メルマガではdeepに書き綴る予定。

もし

よろしければメルマガご登録お願いいたします。