足職人tomoeです。
足は隠したい部位だった時代
その昔、足袋や靴を履く上流層と
素足や草履で暮らす庶民に分かれていました。
足のサイズが大きく丈夫なことは、働く足として当たり前。
これが上流階級との労働者の格差です。
農民は、上流階級が持っていた土地で、貴族たちの食を作り、領土を守る兵士として、ありがたい存在。農民が増えれば、国力が強まる。
そして藤原氏の時代へ進みます。
国が変われば文化が変わる。
中国の「纏足(てんそく)」の風習を見ると、理解できます。
纏足とは、幼少期から足を小さく折りたたみ、小さい足を作ることです。
目的は、女性を観賞用として扱い、
身分が低くても、足さえ小さく華奢であれば、嫁がせることで家の地位が変わります。
貧しい家こそ、女の子が生まれたら、纒足を始める。
小さな足と華奢な脚では、簡単には嫁ぎ先から逃げることができないので、送り出した家は経済的安泰を期待できます。
気づいた年齢の頃には、すっかり歩けない足になっている。女に生まれた。ただそれだけ。
家の事情で肉体を傷つけられる。
何とも弱肉強食な時代です。
台湾・台中には「纏足博物館」があり、歴史に起きた出来事をリアルに学ぶ場です。
未だに纏足の後遺症が残る女性も、数少なくなったとはいえいらっしゃるのでは。
それは嗜好
男性にとって、纏足の足は秘部同様。
見せない部分だから見たくなるものらしい。
『金瓶梅』に纏足が登場すると聞けば、お分かりでしょう。
足を見られて恥ずかしい。
それは、何がそうさせているのでしょうか?
纏足は、皆さんが思う以上にグロテスクです。
だからこそ見たい衝動に駆られるのかも。
流石に理解に苦しみますが、
当人が「恥ずかしがる」のは「こんな気味悪いもの、綺麗じゃないもの見せられない」という羞恥心。
皮膚科でアトピーや水虫の皮膚を見せたくないのと同じ気持ち?でしょうか?
皮膚は人体最大の臓器。
外部と常に触れる感覚器。
無防備といえば無防備です。
足は、自分の土台。
それを恥ずかしい部位だと思うのは、
そもそも、なぜ?
日本はどうなの?
セッション時に、決してソックスを脱がない
足部の骨格・皮膚・爪の状態がわからないと、適切な指導ができないので脱いでもらいますが、
絶対脱がない方、いらっしゃいます。
脱いでも見せない。
痛いのに痛くないと嘘を重ねる。
爪や皮膚の状況を伺っても「痛くない」「何もない」となると、通常のセッションを行うのですが、途中から「本当は痛い」と告白されます。
だから最初に伺うのですが、単純に言いたくなかったのでしょう。
セッションをかなり重ねてから知ることになりますが、それでも靴下をぬがない。
まさに「隠す」。そんな気分かも知れません。
さらけ出すタイミングがない
ご本人は恥ずかしいのかも知れませんが、
隠し事をされたままのセッションはうまくいきません。
特に足は、全身の動きの基盤。
それで、痛いから嫌だと、整形や整体をジプシーしていても時間だけが過ぎ去ります。
症状はもっとひどくなるばかりです。
素足を見せてください。
あなたが主役の時間なのです。
ただね。
本心を言えないほど信用がないなら、
信用できる場を見つけましょう。
「他のサロンの陰口いう方」は
誰も信用していないし
ご自身のことを1番信用していません。
歩きをスムーズにしたい
動いて気分いい
あなたはどうしたい?
自分はどうしたいのかがはっきりわからない方には、実技よりも相談重視でセッション行います。
思い込みと勘違いは、
セット品!
今まで変わることがなかったのに、なぜ自己流の思考で続けるのでしょう?
物事は「素直に言葉通りに受け取る」が重要
素直な人が、変わっていくのは、受け止める能力に長けている つまり「信用」に値すると感じてくださったからです。
素直な人は、伸びます。
だから、足、恥ずかしがらずに見せてください。
思考の学び
迷い人こそ、気学。
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